李承晩大統領が権威主義的統治を強化し、1960年の大統領・副大統領選 挙で政府与党の自由党が不正選挙を行ったことにより反発が強まり、4・19革 命が起きました。その鎮圧の過程では多くの犠牲者が発生しました。李承晩大 統領は下野し、アメリカに亡命しました。すぐに内閣責任制と二院制議会とい う権力構造に憲法が改正され、民主党の張勉(チャン・ミョン)政権が発足しま したが、政治的な葛藤と学生デモ等で社会が極度に不安定になりました。
1961年5月16日、朴正煕(パク・チョンヒ)少将を中心に若い将校たちがク ーデターを起こし、政権を握りました。2年余りの軍政後に行われた1963年 10月15日の大統領選挙で朴正煕候補が当選し、同年12月17日、大統領に就任 しました。朴正煕政府は「祖国近代化」というスローガンの下、経済開発5カ年計画を立て、輸出政策で高度成長基盤を構築し「漢江の奇跡」を成し遂げ ました。京釜(キョンブ)高速道路の建設、地下鉄の建設など本格的な国土開発 を進め、セマウル運動を展開して貧困農業国から産業国家へと国の姿を変貌 させました。
政府を樹立した1948年以降、韓国が世界で最も貧しい国の一つから模範 的な自由民主国家、経済大国へと発展してきた過程は、人類の歴史における 奇跡と呼ばれるに値します。
1972年10月に維新が断行されましたが、民主化運動は続きました。1979 年10月26日に大統領の暗殺という悲劇的な事件が発生すると、全斗煥(チョン ・ドゥファン)少将を中心とした新軍部勢力が軍事力を掌握しました。新軍部 は5・18民主化運動といった民主化の要求を武力で鎮圧し、全斗煥を大統領に 推戴して権威主義統治を行いました。全斗煥政府は経済の安定化に焦点を当 て、高騰する物価を抑え持続的な経済成長という成果を収めました。
1987年6月29日、政府与党の盧泰愚(ノ・テウ)代表委員は、民主化と大統領直選制を骨子とする特別宣言を発表し、その年の12月16日、5年単任制任 期の大統領に当選し1988年2月25日に就任しました。盧泰愚政府はソ連や中 国、東欧共産圏の国々と外交関係を樹立しました。盧泰愚大統領の在任中で あった1991年9月17日に、南北韓が国連に同時加入しました。
1993年に発足した金泳三(キム・ヨンサム)政府は、公職者の財産登録と金 融実名制などを実施し、不正腐敗の解消のために努力しました。これにより 社会の透明性は一層高まりました。また、地方自治制を全面的に実施し、地 方分権化の基礎を作りました。
1998年に発足した金大中(キム・デジュン)政府は、通貨危機の克服に成功 し、民主主義と市場経済を共に発展させるために努力しました。特に、南北 関係では「太陽政策」を掲げ、2000年6月15日に南北首脳会談を開催し、共同 声明を発効しました。その後、離散家族の再会や京義(キョンイ)線・東海(トン ヘ)線の連結などの交流の活性化と民間統一運動の活性化、金剛山(クムガンサ ン)観光など、南北経済協力を拡大して和解・協力体制を構築しました。