文化

2014.12.02

韓国唯一の特別自治道である済州島の歴史は、開闢神話「三姓神話」から始まる。「良乙那」「高乙那」「夫乙那」という三神人が漢拏山北部の毛興穴(現在の三姓穴)から出てくる。三人が狩りをしながら暮らしていたとき、海岸に流れてきた木の箱を発見する。開けてみると、その中には「碧浪国」(現在の全羅南道莞島)の3人の姫と五穀の種、子牛、子馬が入っていた。そのときから済州島で農作業と牛や馬の飼育が行われるようになり、人々は豊かな暮らしを送る。その後、「高乙那」の子孫が新羅王国の官職に就き、「耽羅」という国号になったと伝えれている。耽羅は三国時代から統一新羅時代、そして高麗時代まで朝貢を捧げ、独立国家としての命脈を受け継いでいたが、高麗粛宗10年(1105年)に地方行政地に編制されるに伴い独立国の地位を失う。

국립제주박물관은 고대 구석기시대부터 근대에 이르기까지 다양한 제주도의 역사에 대한 유물이 전시되어 있다.

国立済州博物館では、古代旧石器時代から近代に至るまで、済州島の歴史に関する様々な遺物が展示されている



耽羅、すなわち済州島は、独立国家の地位を失ったが、島という独特な地形的特徴と独自に発展させてきた文化をその後も継承させていった。古代旧石器時代から耽羅を経て高麗、朝鮮、そして近代に至るまで、済州島の歴史が一目でわかるのが国立済州博物館だ。

스테인드글라스로 꾸며진 중앙홀 천장은 탐라 개국설화, 한라산, 그리고 제주도에 풍부하기로 소문난 돌, 바람, 여자 등 알록달록한 그림이 펼쳐진다.

ステンドグラスが張られた中央ホールの天井には、耽羅開国説話、漢拏山、そして済州島に豊富にあることで知られる石や風、女性など、様々な絵が描かれている




同博物館のハン・ジユンさんは、「済州島は、様々な海洋文化が交流する中心地、また通り道としての役割を果たし、島地域特有の文化を発展させてきた。朝鮮半島はもとより、日本、中国、台湾、そして東南アジア諸国とも活発な交流を行ってきた」と話す。

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국립제주박물관에서 제주에서 나는 전복 껍데기를 이용해 만든 장신구와 고지도 등 다양한 유물을 볼 수 있다.

国立済州博物館では、済州島で獲れるアワビの殻を利用した装身具や古地図など様々な遺物を鑑賞できる


同博物館では、耽羅で交流が盛んに行われていたことを証明する様々な遺物が展示されている。新石器時代遺物室に展示されている高山里式土器は、韓国本土ではまだ出土したことのない土器だ。有文土器の範疇になかった高山里式土器が中国の海南島や日本の沖縄などで発見された土器に似ていることから学界の注目を集めたことがある。青銅器も鉄器も玉もつくられていなかった済州島で発見された青銅器時代の銅剣彫刻や鉄器時代の鉄器遺物、玉でつくられた装身具などは、済州島が国の体裁を整える前から交流が盛んに行われていたことを物語っている。

朝鮮時代の済州島の姿は、「耽羅巡歴図(Governor's Official Tours in Tamna)室」で観賞できる。国宝に指定された41幅の彩色画帳「耽羅巡歴図」は、1702年に済州牧師兼兵馬水軍節制使として済州島に赴任してきたイ・ヒョンサン(1653~1733)が済州島各地を巡視(inspection tour)した様子と一年間にわたって挙行した催しを簡単な説明とともに残した記録画集だ。絵には、牧師一行が助川城に入って軍事訓練と馬を点検し、金寧の溶岩窟や正房滝などを見回った後、ミカンの木の森で風楽の宴を開いている様子や日課を終えた後に済州牧場に戻って各地域の老人たちを招いて宴を開いている様子などが詳細に記録されている。「巡歴図」という名称の記録画は韓国では唯一のもので、当時の済州島の地形や役所、邑城、軍事施設、そして風物などについて知ることができ、済州島史の研究における貴重な資料と評価されている。

탐라순력도의 일부. 목사 일행의 순시 모습이 담겨 있다. (사진제공: 제주시청)

耽羅巡歴図の一部。牧師一行が巡視した様子が記録されている(写真提供:済州市庁)


詳細は済州国立博物館ヌリチプのサイトをご覧ください。
http://jeju.museum.go.kr/html/en

記事:コリアネット イ・スンア記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
slee27@korea.kr