義禁府は、王の命によって犯罪者を尋問する朝鮮時代の官庁だった。カトリック信者らの中でも重罪人、つまり主教と神父、リーダーらは王の命によって義禁府に移送された。義禁府で尋問を受けたカトリック信者は、イ・スンフン・ペテロや「内浦の使徒」イ・ジョンチャン・ルドヴィーコ・ゴンザーガ(Louis de Gonzague)らだ。刑曹は、朝鮮時代の中央官署で、韓国カトリック教会創設以来多くの信者がここに移送され、尋問を受けた。典獄署は、監獄と犯罪者らに関する事務を担当する官署だった。多くのカトリック信者がここに移送され、尋問を受け、刑が執行されるまでここに収容された。キム・デゴン神父の父親であるセント・キム・ジェジュン・イグナチオ(Ignatius)も義禁府から刑曹に移送され、処刑されるまで典獄署に収容された。
(左から)右捕盗庁址、典獄署址、刑曹址(写真提供:カトリック・ソウル大教区)
右捕盗庁は、ソウルの西北部と加平、開成、高陽、坡州、抱川などを管轄する官庁だった。1879年5月14日に忠清道公州地区でドゲット(Victor Marie Deguette)神父が信者らとともに逮捕され、ソウルの捕盗庁に移送された。このときは迫害が終了していた時期なので、ひどい拷問はなかったが、ドゲット神父とともに投獄された信者らは、空腹で大きな苦痛を受けた。結局、数人の信者は右捕盗庁で餓死したが、彼らこそまさに韓国カトリック最後の殉教者だ。