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コラム

【コラム】「独島が韓国領土である」歴然たる史料



久保井規夫
アジア民衆歴史センター主宰、歴史学名誉博士
「竹島の日」を考え直す会理事長
領土教育研究会理事長



独島=竹島の領有権は、日韓両国政府の見解を対比しつつ、論説すべきです。李栄薫編著「反日種族主義」竹島問題(以下、李栄薫氏著作)は、日本政府の見解への検証は全くしないで(全面的に肯定し)、狡猾に、韓国側だけの見解から、たった二つだけ抜き出します。史料の検証が必要とされる于山島=独島説と、韓国勅令の石島=独島説です。第一級史料は一つも示さずに、これら二つの説を「否定」して、「独島=竹島が韓国固有の領土であると証明できる証拠は一つも存在していない」と極論します。また、領土問題化した戦後について、李栄薫氏著作では、「サンフランシスコ講和条約」を主導した米国が、独島=竹島を、日韓どちらの領土とも断定しない立場をとった事実を偽り、「日本領と断定した」如き史料操作をします。李栄薫氏著作は、自説に合わせて、歴史を偽った欺瞞の書なのです。私は、歴史学名誉博士として第一級史料に基づき、李栄薫氏著作に反論し、「独島=竹島が韓国領土である」ことを明晰にします。

1693年の安龍福事件は、独島が朝鮮の領土であることを証明する際によく取り上げられます。当時、幕府は、当該の鳥取藩から、「鬱陵島(日本名;竹島)も、渡海の目印とした独島(日本名;松島)も、藩の領土ではない」との上申(1695.12.25)を受けて、鬱陵島・独島を朝鮮領と認め、渡海禁止として、朝鮮国にも通告しました。この時点で、鬱陵島(竹島)、独島(松島)の二つの島は、外交で(国際法的に)朝鮮国領と確定したのです。

もう一つの「竹島一件」があります。「松島(独島)への渡海も異国渡海の重罪」として罰せられた天保の浜田藩竹島一件(1836年)です。浜田藩商人・今津屋八右衛門が、「松島へ渡海」を名目に、鬱陵島を拠点に密貿易を行った事件です。全国に、次の要旨の高札が掲げられました。「元禄時に異国(朝鮮)渡海禁止と決定したことを破ったので厳しく罰する。今後、竹島(鬱陵島)に近づいてもならない」。

史実を隠蔽することは、歴史に嘘をつくことです。李栄薫著作では、日本政府が、独島=竹島を朝鮮国領と決定した第一級史料「太政官指令」(1877年)について著述を避けています。李栄薫著作が、参考文献に挙げた池内敏「竹島問題とは何か」は、「太政官指令」を主題とした書籍です。何よりも、韓国政府(外交通商部)の見解冊子や、韓国の中学教科書に記述されています。中学生でも学んでいることを、韓国の学者が知らぬはずがありません。「太政官指令」とは何でしょう。日本政府の内務省は、領土の確定のために地籍編纂をしました。島根県より「日本海内竹島(鬱陵島)外一島(竹島=独島)地籍編纂方伺」が提出されました(1876.10.16)。すでに、江戸幕府が、竹島(鬱陵島)、松島(独島=竹島)は朝鮮国領と裁可済みのことです。これを再確認して日本の明治政府も、「太政官指令」(1877.3.29)で「鬱陵島、独島=竹島は、(朝鮮国領土であって)日本国領土ではない」と決定しました。

日本政府は、地籍編纂を受けて、日本国領土地図の規範となる内務省地理局地誌課「大日本全図」を刊行しました(1881.2)。独島=松島(竹島)、鬱陵島は領土外(朝鮮領)でした。改訂版(1883年)も同様でした。内務省より先に、公(官製)地図を作製したのは日本陸軍省でした。陸軍参謀局「大日本全図」(1877年)、及び陸軍参謀局「亜細亜東部輿地図」(1879年)です。いずれも、 独島=松島(竹島)は日本領土外として記載していません。日本が日露戦時(1905.2.22)に独島を強奪する以前に、独島=松島(竹島)を日本領土として明示した公地図(第一級地図史料)は一つも見当たらないのです。

ところが、日本陸軍参謀局「朝鮮全図」(1875.11)には、竹島(鬱陵島)、松島(独島)の両島が朝鮮国領土として記載されています。欧米、朝鮮の地図も参考にし、正確を期したとの説明付の公地図です。

1881年、日本人が鬱陵島を侵犯している弊害が報告されたことを受け、高宗国王は、李奎遠(鬱陵島検察使)を派遣し、次の任務を指示しました。「侵犯の日本人を検察せよ、鬱陵島の開拓・耕作の見積もりをせよ、さらに、松島、竹島、于山島をまとめて鬱陵島と称しているようだが、調査せよ」 高宗は、すでに独島の存在を認知し、特別な命令を下したのです。鬱陵島から戻った李奎遠は、報告書・絵図「鬱陵島外図」を示して、鬱陵島のすぐ近くの二つの島(竹嶋、島項)を視察したこと、高く上っても遠方に島は見当たらない。耽羅島を済州島と言うように、于山島を鬱陵島と称したようだと述べました。

これを受け、高宗は、急ぎ鬱陵島への管轄を強化するために、「大韓帝国勅令第41号」(1900.10.24)を執行しました。島監を郡守に格上げして検察権を強め、管轄地域を「鬱陵全島と竹島石島」としました。

李栄薫著作では、「1905年、日本は独島を自国の領土に編入しました。独島の履歴を調査し、それが朝鮮王朝に所属していないことを確認してからのことでした。(無主地先占)」とします。歴史を偽る妄言であります。日本政府が認めていた、独島=竹島は朝鮮領であると決裁した史実を隠蔽しています。すでに先述した、江戸幕府の鳥取藩竹島一件(1693年、安龍福事件)、明治政府の「太政官指令」(1877.3.29)であります。独島=竹島は、韓国領であって、無主地ではありませんでした。国際法に基づく「無主地先占」は成り立たず、日本による領有は無効であります。同じ明治政府が、一旦、韓国領と決定したことを、後でを日本領と変更したのは一事不再議であり、明治憲法でも、国際法でも不法な占拠であります。

戦後、韓国は、独島の領有権を復権した

戦後、韓国政府が、サンフランシスコ講和条約(1951.9.8)の条文に、当初の案文のように「独島の韓国領有を明示する」ように戻してほしいと、米国政府に申し入れました。これを拒否した米国ラスク国務次官の書簡を、李栄薫著作では、「正確な答」とします。書簡を引用します。「独島、……通常、人が居住していないこの岩の塊は、韓国の一部として扱われたことが無く、1905年以来、日本の島根県隠岐島の管轄下に置かれていた」(1951.8)。このラスク書簡は、一読して問題点が噴き出します。まず「韓国の一部として扱われたことが無く」とは、江戸幕府の竹島一件決裁(1696.1.28)、明治政府の「太政官指令」(1877.3.29)、韓国の大韓帝国勅令(1900.10.25)によって、独島は韓国領と証明された歴史認識を欠如しています。そして、あろうことか、「1905年以来、日本の島根県隠岐島の管轄下に置かれていた」と述べました。日露戦争時(1905.2.22)に、バルチック艦隊の迎撃とウラジオストク露港の戦略要地として狙い、韓国領と是認してきた独島=竹島を「無主地先占」と強弁し強奪した行為を追認したこととなります。侵略否定の「ポツダム宣言」を反映すべき「サンフランシスコ講和条約」の条文を提示する立場に悖るものであります。

さらに、李栄薫著作は、米国が独島領有権に対して豹変した背景に触れていません。米国が主導したサンフランシスコ講和条約草案は、第一次案から第四次案(1948.1)までは、「日本から除かれる地域」として「a.鬱陵島、竹島、済州島」とされ、独島=竹島は韓国領でありました。これに対して、日本政府は、次々と自国の領有権を主張した調書を、連合国指令部、米国国務省へ提出しました。 (1946.11、1947.6、1949.7) 「竹島=独島を古くから領有していた」証として、長久保赤水『改正日本輿地路程全図』も添付されました。米国は、条約草案の「日本から除かれる地域」から「竹島」の名を消去しました。かくて、サンフランシスコ講和条約では、竹島=独島は一切触れられず、日韓両国のどちらの領土なのかは明記されませんでした。冷戦下の情勢で、米国にとって、日韓両国とも、資本主義陣営に組み入れるべき相手国であります。領土紛争に介入するよりも、日韓両国の間で独島=竹島の領有問題は処理させることにしたのであります。

さらに加えて、米国が、独島=竹島をどちらの領土とも明記しないと豹変したのは、米国国務長官への、シーボルト駐日外交顧問の進言(1949.11.14)、駐日米国大使館ジョン・スティーブス書記官の書簡(1952.10.3)に明らかであります。すなわち、「日韓の領有権主張よりも、北朝鮮を爆撃する主力の在日米軍の戦略要所として独島=竹島を活用できるようにすることを優先すべきだ」とする立場に立ったのであります。それでも、在日米軍管轄下とされたことは、日本政府が、竹島=独島を自国領土と主張する一つの事由となります。韓国としては容認できない。「サンフランシスコ講和条約」によって消滅するマッカサーラインに代わって、必然として、李ラインを設定して独島=竹島を韓国の管轄下に置くことにしたのであります。

サンフランシスコ講和条約により日本が国家主権を回復してから、米国の仲介で、国交回復をめざす日韓会談が始まりました。李栄薫著作でも、日韓両政府の見解においても、「日韓条約」・会談において独島=竹島の帰属がどう決着したかを述べていません。すなわち、李ライン撤去後の日韓漁業水域図に、独島=竹島を韓国が領有している事実は、韓国の「漁業専管水域」として明示されたのであります。しかも、日本政府は、「紛争の解決に関する交換公文」(1965.6.22)の紛争から「竹島=独島を除く」ことにも同意したのであります。「特定秘密保護法」で史料を隠蔽しても、真実は明白となります。今日、日本政府は、「竹島=独島を韓国が不法占拠している」と罵倒するが、間違っていないか。「日韓条約」の「日韓漁業協定」にて、韓国による独島=竹島の領有を容認して、日本は領有権の主張をひっこめたのだから、「不法占拠」非難はしてはなりません。

まとめとして……史料に基づく確固たる主張を展開しよう

李栄薫著作は、事実上、日本政府側を代弁して、韓国側の見解「于山島=独島説」否定に焦点を絞り、「韓国勅令」の「石島=独島」否定へと論を進めました。此処のところは、韓国の「外交通商部」「東北亜細亜歴史財団」発行の冊子の説明も不十分でありますし、その他の内容も二十年前の記述で今日の論議に適応していません。「于山島=独島説」を新羅時代にまでさかのぼらすことは、史料分析が間違っていると言わざるを得ません。「朝鮮八道図」も資料提示として不適切であります。それに、「石島=独島」を証明する史料は提示できていません。このようなところに、李栄薫著作は(日本政府見解を借用して)つけ込んだので、私は、史料を提示しながら反論しておきました。

一方、日本政府側見解「竹島、10のポイント」、あるいは、島根県の「竹島資料室」、内閣府の「領土・主権館」の展示などは、隠蔽と作為に満ちています。字数制限のため、日本の領有主張に不利として隠蔽している史実だけを列記しましょう。①長久保赤水「改正日本輿地路程全図」の正規版、②韓国領有を示す欧州近代地図や官選地図、③竹島=独島を異国渡海とした天保;竹島一件、④「太政官指令」と「島根県からの添付付図」、⑤日露戦争時に戦略要地として強奪したこと、⑥在日米軍の爆撃訓練中止の事由、⑦「日韓条約」の「漁業水域図」の独島領海の明記、⑧竹島問題に関する日韓会談資料の不開示などであります。韓国側の見解も、「太政官指令」だけにしか論述していません。まとめとして、視野を広め更なる史料の調査分析を踏まえつつ、領有権の確固たる主張を展開することに供に努めたいと思います。



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