歩いてきた道
韓国と北朝鮮の間には長い分断の歳月にわたり多くの葛藤がありましたが、分断の悲劇とその傷を癒すための対話や交流への努力も継続的に行われてきました。
1953年の韓国戦争休戦協定以後、南北は1971年に対話を改めて行いました。南北は、現在(2018年9月7日)まで、公式的に668回出会いました。
668回
南北当局の対話
268回
政治会談
154回
人道主義関連の会談
60回
社会・文化会談
51回
軍事会談
135回
経済会談
お互いの信頼関係構築と平和実現に向けた南北間の対話努力は、約50年間行われてきました。 2000年と2007年の南北首脳会談は、南北が敵対と対立の中でも 保ってきた対話の道に大きなマイルストーンを立てました。
1970
1970年代
南北は1960年代まで、国際冷戦の影響で対話ができませんでした。1970年代に入ってから、国際社会で和解・協力のムードが高まり、南北間の対話が始まりました。
1984年
1984年 9月18日
韓国の大雨災害を受けて、北朝鮮は救護物資の提供を提案し、韓国はこれを受け入れました。これは分断以来、初の人道支援に関する合意でした。また、同年11月の南北経済会談をはじめとして赤十字会談、国会会談予備会談などが相次いで開催されました。
1985年
1985年5月27日
1985年5月27日には、分断後初めて離散家族の再会に合意した第8回南北赤十字会談の本会談が開かれました。また、9月20日から4日間、離散家族の故郷訪問団と芸術公演団による相互訪問が実現し、南北住民の交流が行われました。
―1980年代半ばの南北は、経済やスポーツなど幅広い分野で交流が活発に行われました。1990年9月
分断後初の総理級会談「南北高官級会談」が1990年9月に行われたのを皮切りに、全8回にわたり「南北高官級会談」が開かれ、1992年2月には「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書(南北基本合意書)」が発効されました。
「南北基本合意書」より
南北は、1972年の「7·4 南北共同声明」の原則を再確認し、互いに双方の体制を認定・尊重、停戦状態を平和状態に転換させるために努力することで合意しました。なお、南北高官級会談では「和解」、「不可侵」、「交流・協力」の3つの分野における「南北基本合意書」の付属合意書と「韓半島の非核化に関する共同宣言」が採択されました。
2000
2000年代
韓国と北朝鮮は、2000年6月13日から15日まで、平壌で分断後初めてとなる歴史的な「南北首脳会談」を開催しました。金大中大統領と金正日総書記は、離散家族問題解決への努力や経済・社会・文化交流の拡大などを盛り込んだ「6·15南北共同宣言」に合意しました。
2007年
10∙4南北首脳宣言
2007年8月8日、韓国と北朝鮮は「南北首脳会談」が2007年8月28日から30日まで開催されることを同時に発表しました。しかし、8月18日に北朝鮮が水害を理由に会談の延期を求めてきたため、「南北首脳会談」は2007年10月2日から4日まで平壌で開催されることとなりました。 盧武鉉大統領と金正日総書記は、会談で停戦体制の終息と恒久的な平和体制構築の必要性に共感し、直接関わりのある3カ国または4カ国の首脳が韓半島で一堂に会して終戦宣言することを協力して推進することで合意しました。また、政治・軍事・経済・社会文化など、様々な分野で共同事業を進めていくことでも合意しました。 首脳会談の結果、「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言(10·4首脳宣言)」が採択されました。これには2000年に発表された「6·15南北共同宣言」を具体的に履行する方法が盛り込まれました。
2017
「私たちはすでに韓半島に平和をもたらす方法を知っています。『6·15共同宣言』と『10·4首脳宣言』に立ち返ることです」
「南と北は二つの宣言を通じて、南北問題の主人(当事者)は我が民族であることを明らかにし、韓半島の緊張緩和と平和保障のための緊密な協力を約束しました。経済分野をはじめとする社会各分野での協力事業を通じ、南北が共同繁栄の道へ進めていくことを約束しました。南北が相互尊重を土台に結んだこの合意の精神は依然として有効です。そして、切実です。南と北が共に平和な韓半島を実現しようとしたその精神に戻らなければなりません。」 2017年7月6日 文在寅大統領のドイツ·ケルバー財団招請演説より
2018