西暦400年、朝鮮半島は戦争の真っ最中だった。韓国史において「征服王」と呼ばれた高句麗の広開土大王は、新羅に救援部隊を送り、新羅を攻撃してきた日本軍及び加耶軍と接戦を繰り広げた。
加耶(カヤ)は、朝鮮半島南部の洛東江(ナクトンガン)、南江(ナムガン)、黄江(ファンガン)流域で栄えた地域国家だ。高句麗と加耶及び倭国(日本)の戦いに安羅(アンラ)からの守備隊が登場する。5世紀に建てられた広開土大王碑から安羅の存在が明らかになっている。西暦720年に完成した日本最古の歴史書『日本書紀』にも同じ地名が登場する。安羅は現在の咸安(ハマン)に存在していた安羅国または阿羅加耶(アラガヤ)だ。3世紀の中国の歴史書『三国志』の中の『魏志倭人伝』の前漢編には、安邪(アニャ)国と記録されている。阿羅加耶は南江沿岸の平野地帯を中心に豊かな農耕社会を構築した。阿羅加耶を流れる南江は、朝鮮半島南部最大の河川といわれる洛東江と合流しており、中国や日本などと交流を行う上でかなり便利だった。この地域には鉄鉱や銅鉱もあり、莫大な量の鉄と銅を日本などに輸出することによって経済的な豊かさを享受していた。
古代阿羅加耶の原形をとどめる慶尚南道咸安郡の末伊山古墳群(The Haman Malisan Tumuli)
慶尚(キョンサン)南道咸安郡伽倻邑の咸安郡庁の後方には、長さが最大で510メートル、南北2.1キロにわたる標高40~70メートルの丘陵地に多くの古墳が点在している。「末伊(マリ)山古墳群」と呼ばれる安羅国の支配層の墓だ。1世紀~6世紀の長期間にわたって造営された古墳だ。これまでの発掘調査の結果、墓の原形をとどめるものは37基だが、風化や浸食によって原型をとどめていないものも含めると約1千基期に上る。
末伊山古墳群に関する体系的な研究が始まったのは1980年代後半からだ。日本による植民統治や朝鮮戦争、そして、遅れた技術や盗掘などによって、全容を解明することはなかなか難しかった。発掘調査は、国立昌原(チャンウォン)大学博物館が1986年に開始して以来、2009年まで計18回にわたって実施された。その結果、土器約2,100点や鉄器約2,500点、装身具約3,400点など計約8,000点の遺物が出土した。古代阿羅加耶のタイムカプセルは、21世紀になってようやくその全容が明らかになったわけだ。
土器の王国「阿羅加耶」。咸安の末伊山古墳群をはじめとする加耶時代の古墳群からは多くの土器が出土した。調査の結果、窯を設置して専門の技術者たちが自ら制作していたことが確認された。阿羅加耶の代表的な遺物は5~6世紀に制作された、円形の上に三角形が載せられたような形をした火焔形透窓土器(左)だ。この土器が大量に出土したのは、咸安とその周辺の昌原や馬山、宜寧、晋州など慶尚南道西部一帯で、遠方では慶尚北道金泉や慶尚南道居昌、慶尚北道慶州、釜山など、さらに日本の近畿地方などでも発見されている。当時、周辺地域との交流が活発であったことがうかがえる。これまでの発掘調査を通じて歴史学界に報告された火焔形透窓土器は約150点で、そのうち約100点が 咸安地域で出土した
代表的な遺物は、火焔形透窓土器(Flame-shaped Perforation Pottery)や車輪飾土器、双龍文環頭大刀、兜、鎧、馬の兜、馬の鎧、鳥形飾り有刺利器(Saw Knife) など、多種多様な鉄器だ。
2013年10月30日、文化財庁は末伊山古墳群と金海(キメ)古墳群の世界遺産暫定リストへの登載をユネスコに申請した。その根拠は、約1500年前に存在していた古代国家「加耶」の文明を実証する証拠であり、北東アジア文化圏にある多数の古代国家の発展水準や交流をよく表す事例として、歴史・文化的価値がかなり大きい遺産であることだ。また、加耶時代の原形が今もしっかりと保存・管理されていることも挙げた。同年12月11日、ユネスコは「金海・咸安の加耶古墳群」をユネスコ世界遺産暫定リストに登録した。加耶古墳群が世界文化遺産としてその名が広く知られる日もそう遠くなさそうだ。
記事:コリアネット ウィ・テックァン記者
写真:コリアネット ウィ・テックァン記者、咸安博物館
whan23@korea.kr
末伊山古墳群への交通アクセス伽倻邑の市街地近隣に所在。南海高速道路の咸安インターチェンジ、咸安市外バスターミナル、咸安駅から咸安郡庁または咸安博物館までお越しください。古墳群が見えます。
咸安博物館。2003年オープン。旧石器時代~三国時代の長きにわたる期間の遺物が展示されている。もちろん、加耶時代の遺物の割合が高い。建物の中央にある阿羅加耶時代の火焔形透窓土器をイメージしたオブジェがひときわ目を引く
咸安博物館に展示された加耶時代の土器
加耶時代に制作された有刺利器(Saw Knife)。馬に乗っている武士を馬から引きずり降ろすために使われた武器で、儀式用品としても活用された
1992年6月、末伊山古墳群周辺の古墳から発掘された5世紀の馬具(Horse equipment)。韓国で初めて完全な形で発掘されたものだ。阿羅加耶の鉄加工技術がいかに優れていたかがわかる
車輪飾土器。祭祀や儀礼の際に酒や飲み物を注ぐ用途で使わていたほか、死者の霊をあの世に送る儀式に用いられていたとされる