文化

2025.02.25

タプコル公園の全景=ソウル・鍾路区、国家遺産庁

タプコル公園の全景=ソウル・鍾路区、国家遺産庁


[イ・ジヘ]

1919年3月1日、韓民族の自主と自由への叫びが響き渡った。タプコル公園で始まった独立宣言書の朗読は、全国的に拡散した。日本帝国主義への単なる対抗ではなく、全世界に韓民族の自主と独立に対する念願を知らせた。今も、全国各地にはその日の熱い歓声を感じることができる場所がある。KOREA.netがソウル・鍾路(チョンロ)区にある歴史的なスポットを訪問し、3・1運動の精神を振り返ってみた。

1.タプコル公園

(左)チョン・ジェヨンが独立宣言書を朗読した八角亭。(右)己未独立宣言書が刻まれた記念碑=国家遺産庁

(左)チョン・ジェヨンが独立宣言書を朗読した八角亭。(右)己未独立宣言書が刻まれた記念碑=国家遺産庁


タプコル公園で3·1運動が始まった。1919年3月1日、独立運動家の鄭在鎔 (チョン・ジェヨン)が、タプコル公園の八角亭で己未独立宣言書を朗読した。大勢の人が喉から血が出るほど「万歳」と叫んだ。その叫びは、瞬時に全国へと拡散した。

タプコル公園の記念塔には、己未独立宣言書に署名した民族代表33人の名前が刻まれている。天道教15人、キリスト教16人、仏教2人など、宗教界の指導者だった。宗教は違ったが、独立に向けて手を組んだのだった。

3・1運動と言えば、太極旗を思い浮かべるだろう。しかし、実際のところ、3・1万歳運動では、太極旗は登場しなかった。独立宣言と宣言書の配布が優先だったためだ。万歳運動が全国に広まるにつれ、太極旗が使われるようになり、独立運動の象徴になっていった。文章で書くと長くなってしまう上、配布も容易ではない。その反面、太極旗は韓民族のアイデンティティが一目でわかるものだった。

タプコル公園には、全国各地で起きた独立運動の壁画がある。タプコル公園での場面は、太極旗がない姿で描かれているが、次の場面からは皆が太極旗を手に持っている。

(右から1番目)3.1運動の壁画=イ・ジヘ

(右から1番目)3.1運動の壁画=イ・ジヘ


2.泰和(テファ)ビル


テファビルのカフェに飾られている民族代表たちが独立宣言する絵=ソウル・鍾路区、イ・ジヘ

テファビルのカフェに飾られている民族代表たちが独立宣言する絵=ソウル・鍾路区、イ・ジヘ


泰和(テファ)ビルは独立宣言書に署名した民族代表33人のうち29人が1919年3月1日に独立宣言した場所だ。独立運動家たちは、タプコル公園で独立宣言書を朗読してから、警察に連行されるつもりだった。しかし、前日、独立運動のために学生たちがタプコル公園に集まる可能性があると報じられた。独立運動家たちは、学生たちを巻き込まないために、飲食店だった泰和館に急きょ、場所を移した。

泰和館があった場には、泰和ビルが建てられた。泰和ビルのカフェには、1919年3月1日の歴史的な瞬間を記念する絵がかかってある。しかし、絵をよく見ると33人ではなく29人しかいない。連絡がつかなかったり、地方での独立運動の準備などで、4人は参加できなかったそうだ。

3.壽松(スソン)公園


(左)普成社の跡を表す標石。(右)普成社の社長だった李鍾一の銅像=ソウル・鍾路区、イ・ジヘ

(左)普成社の跡を表す標石。(右)普成社の社長だった李鍾一の銅像=ソウル・鍾路区、イ・ジヘ


壽松公園は単なる公園ではない。3·1万歳運動に使われた独立宣言書を出版した普成(ボソン)社という印刷所があった場所である。

3・1運動の前日である1919年2月28日の深夜、親日警察の韓国人刑事である申勝熙(シン・スンヒ、シン・チョル)が、印刷機の音を聞いて普成(ボソン)社の中に入ってきた。そして印刷中だった数万枚もの独立宣言書が見つかってしまった。ボソンサの社長であるイ・ジョンイルは、シン・スンヒに口止め料として大金5000ウォンを渡した。しかし、結局シン・スンヒは、口止め料を受け取ったことが明らかになり、日本憲兵隊に逮捕された。そして、シン・スンヒは京城(キョンソン)に押送される途中、汽車から飛び降りて自ら命を絶った。

公園には李鍾一(イ・ジョンイル)の銅像が建てられている。

jihlee08@korea.kr