文化

2026.01.02

国立民俗博物館で、馬に関する特別展示が開かれる。済州島の在来種ポニーは、1986年に天然記念物に指定された=16日、ソウル、パク·デジン

国立民俗博物館で、馬に関する特別展示が開かれる。済州島の在来種ポニーは、1986年に天然記念物に指定された=16日、ソウル、パク·デジン


[イ・ジへ]

2026年は丙午(ひのえうま)年である。丙は「火」や「赤」を、午は「馬」を表す。

東アジアでは、馬は方位と時間を表す十二支の一つで、7番目にあたり、午前11時から午後1時の時間帯と正南を象徴する。丙午年を迎え、コリアネットは韓国の馬の歴史を紹介する。

国立民俗博物館の特別展示に並ぶ馬牌=16日、ソウル、パク·デジン

国立民俗博物館の特別展示に並ぶ馬牌=16日、ソウル、パク·デジン


朝鮮時代、官吏の交通手段だった馬


馬牌は、朝鮮時代の官吏が公務で遠方へ移動する際、駅で国有の馬を借りるための「借用証」であり、同時に身分証でもあった。駅站は、官吏が乗馬用の馬を受け取る中継拠点として機能していた。

馬牌は、朝鮮時代の官吏が公務で遠方へ移動する際、駅で国有の馬を借りるための「借用証」であり、同時に身分証でもあった。駅站は、官吏が乗馬用の馬を受け取る中継拠点として機能していた。

役人たちは駅で馬を借りて目的地へ向かったが、途中で馬が疲れた場合は、近くの駅で乗り換えて次の地域へ進んだ。現代でいえば、バスターミナルや停留所で乗り換えるのに近い制度だった。こうした背景から、漢字の「駅」には、馬を意味する部首の「馬へん」が使われている。

駅で馬を借りる際、官吏が提示しなければならなかった「馬牌」は、直径およそ10センチの円形の銅製の札で、表には馬の絵が刻まれていた。その馬の絵の数が、札を持っている官吏が利用できる馬の頭数を示しており、身分や等級によって異なっていた。

馬牌で借りられる馬の頭数は1頭から最大10頭までとされていたが、実際には1~3頭が一般的だった。暗行御史(王命を受けて地方官吏の不正を調査する高位官職)は、3頭が刻まれた「三馬牌」を使うことが多く、10頭の馬牌は王室だけに許された特別なものだった。

長距離移動を行う官吏が宿泊した公営の宿舎は「院」と呼ばれていた。現在、観光地として知られるソウルの梨泰院(イテウォン)という地名は、当時その地に設けられていた宿舎「梨泰院」に由来するとされる。

国立民俗博物館の特別展示で上映されている済州島の馬に関する映像=16日、ソウル、パク・デジン

国立民俗博物館の特別展示で上映されている済州島の馬に関する映像=16日、ソウル、パク・デジン


広大な牧場が広がる済州島

1270年から1356年までの約86年間、高麗はモンゴル帝国(元)の強い影響下にあった。この時期、済州島では本格的な馬の飼育が始まった。

それ以前にも済州島の住民は馬を飼育していたが、モンゴルの侵攻期以降、体系的かつ大規模な飼育が本格化した。モンゴル側は、済州島が農耕には適さない一方で、平野が広く、馬を脅かす猛獣も存在しない点に着目し、馬の飼育に最適な土地だと判断した。その結果、クビライ・カーンの命により、済州島で大規模な馬の飼育が推し進められることになった。

済州島の在来種のポニーは、モンゴル馬の血統を受け継ぎ、1986年に天然記念物に指定された。2000年以降は「済州馬」とも呼ばれてきた。

ソウルの森に設置された競走馬の銅像=イ・ジヘ

ソウルの森に設置された競走馬の銅像=イ・ジヘ


かつて競馬場だったソウルの森

ソウル城東区(ソンドング)の「ソウルの森」は、かつて競馬場だった。1954年5月8日にトゥクソム競馬場が開場した当初は、施設も十分とは言えず、走路には砂地と草地が混在していた。その後、施設は段階的に整備されたが、1989年に果川に近代的なソウル競馬公園「レッツ・ラン・パーク・ソウル」が開場したのを機に、トゥクソム競馬場は35年の歴史に幕を下ろした。

こうした歴史を伝えるため、ソウルの森の入口には競馬の銅像が設置されている。

2026年の丙午年を迎え、国立民俗博物館では、特別展示が3月2日まで開催される=16日、ソウル、パク・デジン

2026年の丙午年を迎え、国立民俗博物館では、特別展示が3月2日まで開催される=16日、ソウル、パク・デジン


丙午年を迎え、ソウル鍾路区の国立民俗博物館では、馬にまつわる特別展示が3月2日まで開催されている。観覧料は無料。

jihlee08@korea.kr