釜山市海雲台区のランドマーク「BUSAN X The SKY」から眼下に広がる、海雲台のパノラマ風景=テレシア・マーガレット
[釜山=テレシア・マーガレット]
韓国は、世界遺産条約への加盟から38年を経て、初となる「第48回世界遺産委員会」を釜山(プサン)で開催する。今回の招致成功により、196カ国の締約国と共に世界遺産の保護と国際協力を議論する中心的な役割を担うこととなった。特に、議長国を務めることは、韓国が世界の文化遺産のガバナンスを主導する大きな原動力となる見通しだ。
第48回世界遺産委員会の本会議は、7月19日から29日にかけて、釜山の海雲台(ヘウンデ)区にあるBEXCO(ベクスコ)一帯で開催される。本会議に先立ち、7月12日から23日まで多彩なフォーラムや付帯行事を実施。世界各地の専門家や市民が集う、活発な交流の場が設けられる予定だ。
釜山は、先史時代から現代に至るまで、韓半島の悠久の歴史を刻んできた都市だ。朝鮮時代の約400年間にわたる「朝鮮通信使」が体現した平和外交の精神は、今や世界遺産の未来価値を議論する国際的なプラットフォームとしての礎となった。釜山はもはや過去の記憶にとどまる場所ではない。人類共通の遺産を守る中心地として、新たな変貌を遂げつつある。
釜山市西区に位置する「景武台」。韓国戦争当時、大統領官邸および執務室として使用された。現在は、「臨時首都記念館」として運営されている=イ・ジョンウ
釜山は、韓国現代史の節目ごとに国家の支えとなってきた都市だ。1950年6月25日、韓国戦争勃発により、政府と国民は南下を余儀なくされた。その際、釜山は約1023日間にわたり、韓国の「臨時首都」として国家の存続を支えた。
戦火のさなかにあった当時、釜山は、国家運営の中心地として政治・外交・経済・文化・教育・医療・福祉など、様々な分野を支える役割を担った。同時に、数多くの避難民を受け入れる巨大な避難先でもあった。当時、人口約30万人を抱えていた釜山には、100万人を超える避難民が流入した。住居は圧倒的に不足し、避難民は、仮小屋や共同墓地の周辺にまで仮住まいを設けて生活を繋いだ。離れ離れになった家族を探すため、毎日のように影島(ヨンド)の橋に足を運んだ。
70年余りが経過した今も、釜山の至る所には、当時の痕跡が鮮明に残っている。釜山市は、政府機能の維持や国際協力、そして過酷な避難生活の歴史を物語る11の遺産を、「韓国戦争期の避難首都、釜山の遺産」としてユネスコ世界遺産への登録を目指している。
釜山市南区にある在韓国連記念公園で行われた国連旗の降下式。国連記念公園には、韓国戦争に参戦した国連軍の戦没将兵が埋葬されている。世界で唯一国連が管理している墓地だ=イ・ジョンウ
歴史を重ねながら発展してきた釜山は、今や世界中の人々を魅了する韓国屈指の観光都市へと成長した。韓国観光データラボによると、昨年、釜山を訪れた外国人観光客は364万人に達し、史上初めて年間300万人の大台を突破した。
主な観光スポットとして、波打ち際に佇む寺院である「海東龍宮寺(ヘドンヨングンサ)」、国際会議の拠点「BEXCO(ベクスコ)」、そして華やかなドローンショーが夜空を彩る「広安里(クァンアンリ)海水浴場」、「松亭(ソンジョン)海水浴場」などが挙げられる。特に、世界水準のMICEインフラは、釜山が国際都市としての競争力を高める上で重要な役割を果たしている。
かつて「臨時首都」として国家の存続を支えた苦難の地は、いまや世界が注目する国際都市へと大きな変貌を遂げた。歴史的な物語性と現代的な魅力を併せ持つ釜山は、今回の世界遺産委員会の開催を契機に、世界の文化遺産の未来を構想する世界の中心地として、その名を再び歴史に刻むことだろう。
釜山市の文化芸術インフラが急速に拡充されている。世界的なクラシック音楽都市を目指し、昨年6月にオープンした釜山コンサートホールの内部=テレシア・マーガレット
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