文化

2026.03.13

2026年7月、第48回世界遺産委員会総会が韓国の釜山(プサン)で開かれる。コリアネットは、今回の総会が持つ意味を改めて見つめ直すとともに、現在韓国が世界遺産暫定リストに登録している12カ所のうち、注目の6カ所を厳選して紹介する。


[ソウル・コヤン=テレシア・マーガレット]
[写真=イ・ジョンウ]
[映像=パク・デジン]

1392年の朝鮮建国後、都は開京(ケギョン)から漢陽(ハニャン)へと遷都された。朝鮮の初代国王である太祖・李成桂(イ・ソンゲ)が都に定めた漢陽は、北漢山(プカンサン)と漢江(ハンガン)の間に位置する盆地であり、山河に囲まれた戦略的拠点であった。朝鮮時代には、北岳山(プガクサン)・南山(ナムサン)・駱山(ナクサン)・仁王山(イヌァンサン)の尾根に沿って城郭が築かれ、都城の境界と姿を形成した。

このように「漢陽の首都城郭」は、険しい山岳地帯に築かれた、強固な防衛体系を総称する概念だ。1396年の 漢陽都城(ハニャンドソン)建設に始まり、1711年には北漢山城(プッカンサンソン)が完成。その後、二つの城をつなぐ連結式城郭である蕩春台城(タンチュンデソン)が完成し、総延長37.7kmに及ぶ大規模防衛網が構築された。

14世紀に築かれた城郭である漢陽都城。朝鮮の都、漢陽を防衛する役割を担った。今やソウル都心の歴史遺産となり、市民と観光客がよく足を運ぶ探訪コースとして定着している。写真は、漢陽都城の駱山区間を散策する市民の様子

14世紀に築かれた城郭である漢陽都城。朝鮮の都、漢陽を防衛する役割を担った。今やソウル都心の歴史遺産となり、市民と観光客がよく足を運ぶ探訪コースとして定着している。写真は、漢陽都城の駱山区間を散策する市民の様子


都の行政と生活を囲む漢陽都城

漢陽都城(ハニャンドソン)は、都の境界を画定し、外敵の侵入を退けるために築かれた首都の防壁だ。14世紀後半に初めて築城され、15世紀に大規模な改築が実施された。平地に築かれた初期の土城区間を石城へと造り替えることで、防衛体系を大幅に強化した。

全長18.6kmのうち、約12.8kmの区間は原型のまま、あるいは修復された状態で現存している。門楼や城郭も原型を留めており、朝鮮時代の建築技術や都市文化を今に伝えている。

歴史と日常が交差する「北漢山城の大西門(デソムン)」。この門は、16ある城門の中で最も低い標高に位置し、かつては城内に住む人々が日常的に利用する通路であった。現在は、国内外から訪れる観光客を代表的な登山コースへと導く、主要な関門としての役割を担っている。

歴史と日常が交差する「北漢山城の大西門(デソムン)」。この門は、16ある城門の中で最も低い標高に位置し、かつては城内に住む人々が日常的に利用する通路であった。現在は、国内外から訪れる観光客を代表的な登山コースへと導く、主要な関門としての役割を担っている。


有事に備えた防衛の拠点、「北漢山城」

都城の北側に位置する北漢山城(プッカンサンソン)は、有事を想定して築かれた重要な防衛拠点だ。北漢山の険しい山々が連なるこの城郭は、まさに天然の要塞といえる。全長は約11.6km、内部の面積は約5.3k㎡に上る。壬辰倭乱 と丙子胡乱を経て、都城防衛の重要性が増し、18世紀初めに従来の土城を石城に改築し、威風堂々たる姿へと変貌を遂げた。

城内には、有事の際の王の居所となる「行宮(あんぐう)」をはじめ、兵量米の貯蔵庫など、多種多様な軍事施設が備えられている。99の井戸・26の小規模貯水池・8つの倉庫を配置し、長期戦に備えた。これは、非常時に国王をはじめ、一般の民(百姓)も城内に避難し、防衛を継続できるよう設計されたものである。極めて体系的な整備がなされていたことがうかがえる。

蕩春台城の城門である弘智門(ホンジムン)。1921年の洪水で弘智門と五間水門(オガンスムン)が崩壊したが、1977年に実施された蕩春台城の整備事業に伴い復元された。

蕩春台城の城門である弘智門(ホンジムン)。1921年の洪水で弘智門と五間水門(オガンスムン)が崩壊したが、1977年に実施された蕩春台城の整備事業に伴い復元された。


首都防衛を完成へと導いた最後のピース、蕩春台城

蕩春台城(タンチュンデソン)は、漢陽都城と北漢山城を繋ぐ「連結式城郭」であり、仁王山から北漢山城へと続く尾根に沿って築かれている。約4kmのこの区間は、敵の攻撃を効果的に分散させ、都城の人々が安全に北漢山城へと避難できるように設計されている。

城郭は、西側の防衛線を強化すると同時に、二つの拠点を結ぶ兵糧および兵力の補給路として機能した。都城の防衛が困難に陥った際、朝廷と民衆が北漢山城へと逃れるための「戦略的な退路」としての役割も担っていたのである。

その結果、朝鮮時代後期の漢陽の防衛体系が完成。地の「都城」と山岳地帯の「山城」、そしてそれらを繋ぐ「連結路」が一体となった、朝鮮独自の首都防衛体系(首都城郭体系)が確立したのである。

北漢山城から望むソウル都心の風景

北漢山城から望むソウル都心の風景


時代とともに受け継がれてきた人類の文化遺産

「漢陽の首都城郭」は、特定の時期に完成した建築物ではない。まさに、14世紀末から18世紀初めに至るまで、数世紀にわたり段階的に構築されてきた防衛体系だ。城壁の至る所に残る不揃いな石材の形状や積み方からは、当時の築城技術と時代の痕跡をうかがい知ることができる。

特に、山の地形を最大限活用する「包谷式」と呼ばれる北東アジアの伝統的な城郭の築城を創造的に継承している点が需要である。韓半島の首都城郭が自の発展を遂げてきた過程を鮮明に示しており、その歴史的・文化的価値は極めて高い。

現存する世界の都城の中でも、極めて長い年月にわたりその機能を維持してきた「漢陽の首都城郭」。山河と城壁に守られたその堅牢な防衛網は、単なる防御施設という枠を超え、「ソウル」という都市のアイデンティティを形成する根幹を成している。それは、一つの都市、ひいては国家の誕生と今日までの歩みを証明する、生きた歴史の記録といえるだろう。

margareth@korea.kr