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2025.10.30

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西大門刑務所歴史館の全景= 西大門(ソデムン)刑務所歴史館

西大門刑務所歴史館の全景= 西大門(ソデムン)刑務所歴史館


[イ・ジへ]

ソウル特別市西大門(ソデムン)区にある西大門刑務所歴史館は、日帝 が1907年に竣工 し、翌年に開所した近代式刑務所だった。今は日帝強占期の痛ましい歴史を秘めた教育現場となり、年間60万人以上が来館している。コリアネットは7月30日、西大門刑務所歴史館を訪れた。

取り調べ中に行われた拷問に苦しむ同志たちの悲鳴と日本警察の暴言は、独立運動家に心理的な圧迫を与えた。=イ・ジへ

取り調べ中に行われた拷問に苦しむ同志たちの悲鳴と日本警察の暴言は、独立運動家に心理的な圧迫を与えた。=イ・ジへ


刑務所歴史館の地下に降りていくと、暗闇が広がる。日帝は高等警察の刑事をここに常駐させた。裁判前に独立運動家を警察署まで移送する手間を省くためだ。取調室のすぐ隣には拷問室がある。このような配置にした理由は、拷問室からの悲鳴がそのまま聞こえてくるようにするためだという。恐怖心を最大限にあおり、尋問を有利に進めるためのものだった。当時の状況を再現した模型と傷だらけになった独立運動家の写真が、沈黙の証言を今でも投げかけている。

取り調べと拷問は残酷そのものだった。水槽の中に無理やり首を突っ込めだり、逆さ吊りにして鼻や口に水をかけ、呼吸できなくするような拷問が行われた。肺に水が溜まって死に至ることもあった。また、釘が打ち込まれた箱に独立運動家を閉じ込めて揺さぶり、釘で刺し殺す拷問もあった。光復(植民地支配からの解放)後の生存者による証言映像の前に立ち止まり、涙を流す人もいた。

(左)拷問具として使われた箱。中に鋭い釘を打ち込み、収監者を閉じ込めて激しく揺さぶった。右の写真は水拷問を再現した模型。=イ・ジへ

(左)拷問具として使われた箱。中に鋭い釘を打ち込み、収監者を閉じ込めて激しく揺さぶった。右の写真は水拷問を再現した模型。=イ・ジへ


獄中での生活も過酷なものだった。一日10~14時間、収監者たちは布地の製作や採石を行い、第二次世界大戦が勃発した後は主に軍需品の生産に動員された。日が短い1~3月と10~12月は休憩がなく、日が長い4~8月は午前と午後に15分ずつ休憩があった。獄舎と工場の間を行き来する時は、何も所持していないことを証明するために裸で木製の棒を跳び越さなければならなかった。男女の収容施設こそ分けられていたものの、甚だしい羞恥心に苛まれたはずだ。

西大門刑務所の監房=イ・ジへ

西大門刑務所の監房=イ・ジへ


さらに、収監者の生活環境も惨酷だった。大監房(10.9㎡)には10人以上、小監房(3.9㎡)には3人以上が収監された。片側には便器が置かれ、絶えず悪臭がした。独立運動家の沈熏(シム・フン)は、獄中から母に宛てた手紙にこう書いている。「夏になると、橙色のレンガの壁は火炉の中のように熱くなり、部屋の中では便器の中が沸騰します。脚も伸ばせないのに、トコジラミやノミに体中を刺されます」

ご飯を入れる型(左)とその中に入れる板(右) 。板が薄いとご飯の量が多くなり、厚いと少なくなる。食事の量は罪質によって分けられた=イ・ジへ


食事の量は罪質によって9段階に分けられた。一般犯罪者は1~5等級、「思想犯」に分類された独立運動家は6~9等級に分けられ、ご飯を入れる型の中に等級に応じた板を入れて食事の量を調節した。板が薄いとそれだけご飯が多くなり、厚いとご飯の量が少なくなる。独立運動家には一般犯罪者よりはるかに少ない食事が与えられた。

西大門刑務所の収監者は、光復節の翌日である1945年8月16日に出所した。彼らは鐘路(チョンノ)まで行進しながら解放の喜びを満喫した。西大門刑務所は1987年まで使用され、1998年には一部の施設を撤去して西大門刑務所歴史館として開館した。

毎週月曜日を除く火曜日から日曜日まで開館する。開館時間は3月~10月は午前9時半~午後6時、11月~2月は午前9時半~午後5時。オンラインで事前予約すると、解説付きで観覧できる。入館料は大人(19~64歳)3000ウォン、青少年(13~18歳)1500ウォン、子供(7~12歳)1000ウォン。

jihlee08@korea.kr