[文・写真=田尾秀子]
韓国南西部の都市・光州では、毎年5月18日には『5・18民主化運動』の犠牲者追悼式典が執り行われます。
昨年、私は「南道 郷土料理博物館」を訪れた際、『光州チュモッパッ(おにぎり)』が、5・18民主化運動(日本では「光州事件」とも呼ばれている)の際に、市民の方々が心を込めて作ったものであるという説明書きを目にしました。そのことをきっかけに、この出来事についてあらためて意識するようになりました。
私はそれまで、日本で言われている「光州事件」として知ってはいましたが、深く知ろうとはしていませんでした。
5・18民主化運動は、1980年5月、光州で起きた民主化を求める市民運動で、軍による武力鎮圧により多くの犠牲者が出た出来事です。
私は、昨年光州を訪れてから、5・18民主化運動に関する映画をいくつか観たりして、当時の状況に触れていくようになりました。その中でも、映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』は実話をもとに制作された作品で、映画のラストではこの出来事を世界に伝えたドイツ人記者であるユルゲン・ヒンツペーター氏の姿が映し出されていました。
私はその映像を観て以来、実際はどうだったのか、その事実を確かめたい気持ちが徐々に強くなりました。そして昨年に続き、今年の3月に再び光州を訪れた際には、長期に渡り閉館していた旧 全羅南道庁が偶然にも試験的に公開されていました。
そこには数多くの、当時の凄惨な状況を物語る写真や、犠牲者の遺影、遺品などが展示され、壁には弾痕が残っている部屋もありました。また、当時の状況を知る方々の証言VTRも見ることができました。初めてそれらの様子を目にするとあまりに衝撃的で、私は言葉を失うと同時に、映画で観た光景が鮮明に思い出されて、思わず涙が溢れました。
しかしながら雰囲気は感じ取れたものの、説明の細かなニュアンスまで理解することができず、出来事の本質にまで迫ることはできませんでした。
帰国後、前回光州を訪れ時よりも、更にこの出来事を正しく知りたい気持ちが強くなりました。様々な書籍を読んだり、インターネットで調べていくなかで、光州で5・18民主化運動の解説士をされている日本の方がいらっしゃることを知り、私はもう一度、あの地を訪れることにしました。
渡韓前にあらかじめ、5・18民主化運動の解説士の方に訪問の目的と希望を伝え、前回の訪問地を除いて1日のスケジュールを組んでいただきました。
当日、最初の目的地へ向かう道中で、私から解説士の方に、なぜ解説士になられたのか質問をしました。韓国在住20年であるその方は、5・18民主化運動について、正確な事実を知りたいと思われたことをきっかけに学び始めたそうです。その過程で解説士の存在を知り、案内をするためにさらに知識を深められました。そして日本から訪れる方には、やはり日本語でちゃんと伝えた方が良いと思われて解説士を始められたそうです。
最初に向かったのは、国立5・18民主墓地。そこは、5・18民主化運動の英霊が祀られている墓地です。墓地内を進んで行くと、『5・18民衆抗争の追慕塔』が、空に届きそうなくらいに高くそびえ立っています。その上部は、二本の塔身が卵(英霊)を包み込むような形をしており、新しい生命の復活を天に向かって祈るかのように感じられました。
私はその前で献花をし、お線香をあげて黙禱を捧げました。
「あなた方のことを忘れません。安らかにお眠りください」と心の中で祈りました。
その後、先生に引率された多くの小学生の姿も見られました。次の世代へと記憶が受け継がれていることを感じさせる光景でした。墓前では解説士の方が、最初に犠牲になった方や、お腹に新しい命を身ごもっていた方、バスに乗っていた女子学生など、一人ひとりの最期について話してくださいました。
また、2024年にノーベル文学賞を受賞されたハン・ガン氏の作品『少年が来る』の主人公のモデルとなった文在学(ムン・ジェハク)氏の墓についての説明も受けました。
『少年が来る』の主人公のモデルとなった文在学(ムン・ジェハク)氏の墓前には、本人の写真とともに、ハン・ガン氏の著書が供えられていました。
敷地内には、不義に抵抗する市民軍のオブジェや、悲しみを乗り越えて勝利を歌う” 大同世上(光州市民共同体)” のオブジェが配置されています。
悲しみを乗り越えた人々の姿を通して、連帯と希望、そして大同世上(光州市民共同体)の精神を表現したオブジェ
追慕館では、民衆抗争当時を伝える貴重な史料が多数展示されており、なかでも抗争の過程で犠牲となった父の遺影を手にする子供の写真の、あどけない表情が、かえって胸に迫る光景でした。
そうした話を聞く中で、最初に目にしたあの塔についての説明を思い出しました。
「5・18民衆抗争の追慕塔」は、解説士の方によると、犠牲となった人々を追悼するとともに、あの時代を生きた人々の思いと精神を受け継ぎ、語り継ぎ、決して忘れないという誓いが込められているそうです。
続いて、望月洞にある旧墓地に向かいました。殆どの英霊は、先に訪れた国立5・18民主墓地に移され祀られているそうです。この旧墓地には5・18民主化運動の惨事を世界に伝えたドイツ人記者であるユルゲン・ヒンツペーター氏の墓も存在します。
解説士の方の説明によると、この墓には彼の遺志により、遺髪と爪の一部が埋葬されており、その想いの深さから光州の人々との強い結びつきを感じました。
旧墓地にあるヒンツペーター氏の墓は石積みで造られており、その上には、訪れる人が重ねたとみられる石も静かに積み重なっていました。
次に向かったのは、5・18自由公園です。名前だけを聞くと、楽しく明るい場所のように思います。しかしここは、1980年5月18日の民主化運動当時、実権を握った新軍部が、民主化を求める市民(市民軍)を不当に拘束し、裁判にかけた場所です。
そこでは、拘束され連れてこられた市民に対する激しい拷問の様子が、人形によって再現されており、悲痛な声が聞こえてくるかのような空間が広がっています。また、目を覆いたくなるような残忍な写真も展示されています。
なかでも、「真実のカーテン」とされる、カーテンで仕切られた向こうには、隠蔽され闇に葬られようとした凄惨な事実を物語る写真がありました。また、仕切られていることの意味には、真実と向き合うためであると同時に、犠牲者の尊厳を守るための配慮でもあるのです。
そしてこの場所で、映画『タクシー運転手~約束は海を越えて~』の実在人物である、ユルゲン・ヒンツペーター氏(ドイツ人記者)と、キム・サボク氏(タクシー運転手)の写真とともに、二人の実際の軌跡を紹介する展示を見ることができます。その展示によると、二人は5・18民主化運動以前から面識があり、当時すでに二度にわたり光州を訪れていることが記されています。また、映画と実際の出来事との違いについても、詳しく確認することができます。
この展示を見ていると、ユルゲン・ヒンツペーター氏がキム・サボク氏に会いたいとカメラに向かって訴えている、あのラストシーンが蘇りました。
そして彼の報道が、当時の状況を世界に伝える大きな役割を果たしたことを、改めて実感しました。
ユルゲン・ヒンツペーター | 5・18民主化運動の実態を世界に伝えたドイツ人記者
写真 (上 三人の写真) 左 キム・サボク タクシー運転手、中央と右の人物はヒンツペーターと同行者と見られるが、どちらが本人かは現時点で確認できていない|写真 下 ユルゲン・ヒンツペーターと共に光州を二度訪れたタクシー運転手、キム・サボク
旧全羅南道庁や5・18民主広場、全日ビル245などが集まる文化殿堂駅では、構内からすでに、民主化運動に関する展示が行われています。光州市内の広範囲に点在する29ヶ所の史跡には、それぞれ標石が設置され、その場所で起きた出来事が刻まれています。また、光州市民や活動家、国内外ジャーナリストによって残された記録は、2011年5月に『ユネスコ世界記憶遺産』に登録されています。
現在の旧全羅南道庁と民主広場。穏やかな風景の中に身を置きながら、46年前の出来事に思い巡らせ、本当の意味での平和について考えさせられました。
解説士の方の心のこもった説明を通して、当時そこにいたのは、ごく普通の生活を送っていた市民の方々だったと知りました。ほんの一部に触れただけでも、あの日を決して忘れず、風化させまいとする市民の思いの強さが伝わってきました。そして、夜になると、5・18民主広場の噴水がライトアップされ、水が高く舞い上がっていました。
その光景を見つめながら私は、穏やかな時間の流れを感じると同時に、未だ解決されていない事実が明らかとなり、本当の意味での平和が訪れることを心から願わずにはいられませんでした。
*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。
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