名誉記者団

2026.09.15

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[文・写真=えむらしげみ]

「見えないものへの向き合い方」この一点で、東アジアの物語は今も繋がっている。

2024年に韓国動員No.1を記録し、第74回ベルリン国際映画祭正式出品、

第60回百想芸術大賞4冠受賞を果たした映画「破墓」。

そして、2026年に放映された韓国ドラマ「恋は命がけ」。

異なる時代・異なる媒体で、韓国エンタメは繰り返し風水、干支、五行、巫俗といった民俗的テーマを扱い、大衆の支持を得ている。

なぜ韓国では、民俗が今も生きた素材として物語を動かし続けているのか。

そしてかつて同じ土壌を共有していた日本では、民俗はどこへ行ったのか….

本稿では、二つの作品を入り口に、日韓の民俗の記憶を辿る。


第一章 映画「破墓」が描く陰陽五行の相剋

映画「破墓」は、2024年に韓国国内で観客動員No.1を記録し、日本でも2024年10月に劇場公開された。

風水師、巫女、葬儀師が”呪われた墓″を巡る物語として観客を引き込み、韓国国内の観客動員数は1,190万人を超えた。

作品の根底にあるのは、陰陽五行の思想である。木・火・土・金・水という五つの要素が、単に相生(互いを生かす関係)だけでなく、

相剋(互いを抑える関係)として物語の緊迫感をもたらす。何かを足して調和させるのではなく、何が何を抑えるのかを見極める。

この視点が、作品の底にある恐ろしさと美しさの両方を成り立たせている。

韓国民俗村の旗。陰陽五行における五方色、東・南・中央・西・北を象徴する色彩体系そのものである。

韓国民俗村の旗。陰陽五行における五方色、東・南・中央・西・北を象徴する色彩体系そのものである。


同じ「鬼」という言葉でくくられがちな東アジアの怪異にも、実は明確な違いがある。

日本の鬼は強く、暴力的で、破壊そのものの象徴として現れる。一方、韓国の「トッケビ」は、

もっと曖昧で、土地に根ざし、悪戯好きで、人間に近い気配を持つ。

「破墓」の中で描かれる存在は、そのどちらとも異なる怨念や呪いを帯びた、切迫した怪異として迫ってくる。

日本の昔話「耳なし芳一」を思い出す。経文で身を守ろうとしたのに、書き漏らした耳だけが残されていた。

あの物語の恐ろしさは、霊そのものの強さより、守りの抜けたわずかな隙にある。

「破墓」にも、まさに同じ感覚がある。霊は無差別に襲うのではなく、守りの抜けた場所を見つけて入り込んでくる。


第二章 ドラマ「恋は命がけ」が描く干支の六沖

2026年放映のドラマ「恋は命がけ」は、2011年公開の同名映画とタイトルとコアな要素だけを引き継いだ、まったく別物の作品である。

幽霊が見えるホテル財閥の令嬢と、幽霊をこの世で最も恐れる熱血検事の恋。

このラブコメの根底に、韓国の民俗が幾重にも織り込まれている。

検事は寅年、令嬢は申年。この組み合わせは、四柱推命において六沖と呼ばれる、十二支の中でも最も相性の悪い関係の一つとされる。

十二支を円形に並べた時、ちょうど正反対に位置する干支同士が衝突し合う関係で、寅申沖は突然の変化、衝突、事故、別離が

起きやすいとされる。

伝統家屋の入り口に貼られた三災符。干支と結びつく厄除けの符。生活に根ざした民俗の一形態

伝統家屋の入り口に貼られた三災符。干支と結びつく厄除けの符。生活に根ざした民俗の一形態


韓国では四柱推命は今も日常に生きている。結婚・就職・命名、そして時には転居や事業開始に至るまで、多くの場面で参考にされる。

芸能人や政治家が風水コンサルタントに依頼するというニュースも珍しくない。

見えないものを読む知恵が、社会の具体的な形として機能している。


第三章 日本にも残る民俗….遠野の記憶と「耳なし芳一」

かつて同じ東アジアの土壌を共有していた日本では、民俗はどこへ行ったのか。

柳田國男が「遠野物語」でまとめた岩手県遠野の伝承は、日本民俗学の出発点としても今も読み継がれている。

同じ遠野の「現代の怪談」を集めた小田切大輝「遠野怪談」には、こんな話がある。

遠野市の団体職員が神社の例大祭に招かれ、体調不良を押して神社に着くと、神主にこう尋ねられた。

「あなたは申年か?」そうだと答えると、その日は申年の厄日だから早く帰るようにと促された….という実話である。

現代の日本にも、干支と厄日を結ぶ民俗は確かに生きている。

ただしそれは、特定の地域や、特定の職能(神職)の中に残存する形であり、都市部の日常からは大きく後退している。

東京近郊の諏訪神社。江戸時代から続く庶民の伊勢参りの記憶が、今もここに残されている

東京近郊の諏訪神社。江戸時代から続く庶民の伊勢参りの記憶が、今もここに残されている


象徴的な例が、建築における方位への意識変化である。

昭和期の日本では、新築の家を建てる際、家相や方位を専門家に見てもらうことが少なくなかった。

日照権という言葉も、単なる法的権利以上に生活の質としての太陽の位置を意識する感覚を伴っていた。

しかし平成から令和にかけて、都市化と経済合理性の中で、それらの意識は大きく薄れた。

建売住宅やマンションが方位に関わらず建てられるようになった現代の風景は、日本人自身が土地の気を読まなくなった証でもある。


第四章 芦屋の証言。民俗は消えたのか、読み手を失っただけか

興味深い証言がある。かつてテレビの番組インタビューで、兵庫県芦屋市に韓国人居住者が増えている理由について問われた回答者が、

こう答えていた….風水的にすべてが揃っている場所だから。

芦屋は、北に六甲山系を背負い、南に大阪湾が広がり、東から芦屋川が流れる。

これは風水地理でいう「背山臨水」の理想形そのものである。

玄武(北の山)、朱雀(南の水)、青龍(東の川)が揃った四神相応の地形は、風水において気の流れが整った土地とされる。

韓国の伝統的な亭子。山を背に、水を前に配置されるその空間は、風水地理でいう「背山臨水」の実践そのもの

韓国の伝統的な亭子。山を背に、水を前に配置されるその空間は、風水地理でいう「背山臨水」の実践そのもの


日本人自身がほとんど意識しなくなった土地の「気の流れ」を、日本に住まいを求めた韓国の人々が、今も住む場所選びの基準として参照にしている。

この事実は、日本の民俗が消えたのではなく、読み手を失っただけかもしれないことを示唆している。

もちろん、芦屋のような土地を選べるのは経済的にも限られた層である。

しかし、選べる余裕がある時、何を基準に選ぶか….そこに、その文化が本当に大切にしているものが現れるのかもしれない。


第五章 東アジアの共通基盤、二つの継承の形

「破墓」の陰陽五行、「恋は命がけ」の干支と六沖、そして遠野に残る申年の厄日。

これらはすべて、同じ東アジアの民俗的土壌から生まれた記憶である。

異なる時代と場所で、異なる形をとりながらも、「見えないものへの向き合い方」という一点で繋がっている。

違うのは、その継承のされ方である。

韓国は日常で伝え、日本は物語と地域で伝える。

韓国では民俗が生活の意思決定に組み込まれ、映画やドラマの中でも自然に描かれている。

日本では民俗が古典文学や地方の伝承の中に凝縮され、専門家や愛好家によって守られている。

大木に結ばれた五色の帯布。韓国の巫俗における神木の姿。手前の石積は積石信仰の跡。

大木に結ばれた五色の帯布。韓国の巫俗における神木の姿。手前の石積は積石信仰の跡。


濃度は違っても、根は同じである。そしてこの違いこそが、東アジアの文化がいかに豊かで多層的であるかを示している。


結び 伝える人がいれば、民俗は消えない

“民俗は消えたのではない、読み手を失っただけかもしれない″….芦屋の風水証言が示すのは、そういう可能性である。

「破墓」のような映画が世界に届き、「恋は命がけ」のようなドラマが海を越えて視聴される時代に、韓国エンタメは

見えないものを読む知恵を新しい世代に、そして国境を越えた観客に手渡し続けている。

日本の遠野で今も残る”申年の厄日”の伝承は、その土地に立ち続ける神主や、それを聞き取り記録する書き手がいる限り、

消えることはない。

伝える人がいれば、民俗は消えない。

異なる濃度で、異なる形をとって、東アジアの記憶は今日も生きている。

私たちがそれをどう受け取り、どう次へ渡していくか….その問いかけを、二つの韓国作品は投げかけている。


【出典】

・映画「破墓」(2024年、監督:チャン・ジェヒョン、配給:KADOKAWA、日本公開2024年10月)

・ドラマ「恋は命がけ」(2026年放映)

・柳田國男「妖怪談義」講談社学術文庫

・柳田國男「遠野物語」

・小田切大輝「遠野怪談」竹書房怪談文庫

・パク・ジョンホ「韓国幻想事典──神、鬼、そしてトッケビ K神話を旅するガイドブック」

・第74回ベルリン国際映画祭公式サイト

・第60回百想芸術大賞公式発表


*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。

hjkoh@korea.kr