名誉記者団

2026.10.02

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【文・写真・動画=加藤清】

漣川で見つけた、風景の中の「4つの歴史」


漣川・瓠蘆古塁から臨津江を見下ろす

漣川・瓠蘆古塁から臨津江を見下ろす


今回、私が京畿道・漣川を訪れた目的は、とても単純でした。「満開のひまわりを撮影したい。」カメラを持って訪れた私の関心は、どこから撮れば花畑が美しく見えるのか、どんな構図なら夏の終わりを表現できるのかということでした。

ところが、ひまわりの向こうに見える古い城壁が気になりました。「あれは何だろう?」調べてみると、そこは約1500年前、高句麗が臨津江を見下ろす場所に築いた瓠蘆古塁でした。

この小さな疑問から、私の旅の目的が少しずつ変わっていきました。花を撮る旅から、その土地に隠された歴史を探す旅へ。今回は瓠蘆古塁、高浪浦口、敬順王陵、崇義殿を巡りながら、漣川という土地に残された「4つの歴史のページ」をめくってみました。

瓠蘆古塁(ホロゴル)を取り巻くひまわり

瓠蘆古塁(ホロゴル)を取り巻くひまわり


【第1ページ|瓠蘆古塁――ひまわりの向こうに1500年前の国境があった】

最初の目的地、瓠蘆古塁では黄色いひまわりが広がっていました。最初の私は、完全に「撮影者」の目で風景を見ていました。青い空、黄色い花、そして丘の上へ続く道。カメラを構えながら歩いていると、その先に城壁の跡が現れます。

瓠蘆古塁は、臨津江を見下ろす高台に築かれた高句麗の城郭です。三国が領土をめぐって争った時代、この地域は交通と軍事の両面で重要な場所でした。城の上まで歩き、臨津江を見下ろしてみました。そこで私は、先ほどまで見ていた風景をもう一度眺め直しました。「なぜ、高句麗はここに城を築いたのだろう?」高い場所から見ると、川と周辺の土地を広く見渡すことができます。

高句麗の城跡「瓠蘆古塁(ホロゴル)

高句麗の城跡「瓠蘆古塁(ホロゴル)


今の私には穏やかな絶景ですが、約1500年前にここに立った人々にとっては、敵の動きや川を行き交う人々を確認するための重要な風景だったはずです。同じ景色でも、時代によって見る意味が違う。ここで私の中の瓠蘆古塁は、「ひまわりの名所」から「高句麗の国境を見つめた場所」へと変わりました。

【第2ページ|高浪浦口――何もない風景から、消えた町を想像する】

次に訪れたのは、高浪浦口歴史公園です。かつてこの地域は、臨津江の水運を利用して人や物が行き交った場所でした。特に近代には商業と物流の拠点として栄えましたが、朝鮮戦争と南北分断を経て、かつての町並みは失われました。

現在の歴史公園では、展示や再現空間を通して当時の暮らしを知ることができます。ここで私が興味を持ったのは、「今は見えないものを、どう見るか」ということでした。

高浪浦口は古来から交易の中心地だった。

高浪浦口は古来から交易の中心地だった。


城壁なら石が残っています。王陵なら墓があります。しかし、かつて人々が行き交った町の暮らしは、その多くが目の前から消えています。展示を見ながら、船から荷物を降ろす人、商売をする人、家へ帰る人を想像してみました。歴史というと、私はつい王や戦争、大きな事件を追ってしまいます。

しかし、その時代を本当に生きていたのは、名前の残っていない普通の人々です。瓠蘆古塁で出会ったのが「国を守った歴史」なら、高浪浦口で出会ったのは「人が暮らした歴史」でした。

1930年代の高浪浦口

1930年代の高浪浦口


【第3ページ|敬順王陵――なぜ新羅最後の王は、慶州ではなくここに眠るのか】

3つ目の場所は、敬順王陵です。森の中を進むと、それまでの観光地とは空気が少し変わりました。静かな場所に、一つの王陵があります。

ここで私が最も気になったのは、その場所でした。「新羅の王なのに、なぜ慶州ではないのだろう?」敬順王は新羅第56代、最後の王です。新羅の王陵の多くが古都・慶州に残る中、敬順王陵はそこから遠く離れた漣川にあります。

新羅・敬順王陵にむかう

新羅・敬順王陵にむかう


敬順王の時代、新羅は高麗へ国を譲り、長く続いた王朝は幕を閉じました。王陵の前に立ってみると、不思議な感覚がありました。約1000年続いた国の「最後」が、これほど静かな場所に残されている。

歴史の転換点というと、私は大きな戦いや劇的な出来事を想像します。しかし、一つの時代が終わった記憶は、こうして静かな墓として残ることもあります。華やかな新羅の歴史ではなく、「国が終わる」という側から新羅を見る。それは、これまでとは違う歴史の見方でした。

京畿道・漣川にある新羅最後の王様が眠る敬順王陵

京畿道・漣川にある新羅最後の王様が眠る敬順王陵


【第4ページ|崇義殿――新しい王朝は、なぜ古い王朝を祀ったのか】

最後に訪れたのは崇義殿です。ここでは高麗太祖・王建をはじめとする4人の王と、高麗の功臣たちが祀られています。私がここで疑問に思ったのは、「高麗が終わったのに、なぜ後の時代の人々は高麗の王を祀り続けたのだろう?」ということでした。

李氏朝鮮が高麗王朝を祀った崇義殿

李氏朝鮮が高麗王朝を祀った崇義殿


王朝が変われば、それまでの権力や価値観も大きく変化します。それでも朝鮮時代、高麗王朝の記憶を祀る場所が整えられ、その伝統が受け継がれました。境内を歩きながら、私は「歴史を残す」という言葉について考えました。歴史を残すとは、古い建物を保存することだけではありません。

過去の人々を忘れないこと。そして、時代が変わっても前の時代の存在を記憶し続けることも、一つの歴史継承なのではないでしょうか。崇義殿で見つけたのは、「高麗」という王朝そのものよりも、「記憶を受け継ぐ」という文化でした。

高麗建国の4人の王が祀られている

高麗建国の4人の王が祀られている


【4つのページをめくって――最初と同じ風景が、違って見えた】

一日の旅を振り返ると、不思議なことに気づきました。私はそれほど遠くへ移動したわけではありません。しかし、時代の中では大きく移動していました。瓠蘆古塁では、高句麗の城から臨津江を見下ろしました。

高浪浦口では、今は失われた人々の暮らしを想像しました。敬順王陵では、新羅という一つの王朝の終わりに立ち会いました。

そして崇義殿では、高麗が滅びた後も残された「記憶」に出会いました。最初に私が見ていたのは、ひまわりでした。でも4つの場所を巡った後、もう一度この土地を眺めると、同じ風景が少し違って見えます。

川には人々が行き交った時間があり、丘には国境を守った人々がいて、森の中には王朝の終わりが眠っている。風景そのものは何も変わっていません。変わったのは、それを見る私の目です。

【韓国の国土そのものが、一冊の物語の本だった】

「瓠蘆古塁(ホロゴル)」の「天国の階段」を登る

「瓠蘆古塁(ホロゴル)」の「天国の階段」を登る


海外から韓国を訪れると、歴史を知る場所として宮殿や博物館、世界遺産などを思い浮かべることが多いでしょう。しかし漣川を歩いて私が感じたのは、韓国の歴史は有名な文化財の中だけに残されているのではないということです。何気なく通り過ぎてしまう川や丘、森、そして季節の花が咲く場所にも、異なる時代の物語が重なっています。

今回、私は満開のひまわりを撮影するために漣川へ来ました。ところが、ひまわりの向こうにある城壁が気になって一歩踏み込んだことで、高句麗、新羅、高麗、そして近現代へと続く歴史に出会いました。

今回の旅で持ち帰った一番大きなものは、ベストショットではありません。「韓国の国土そのものが、一冊の大きな物語の本なのかもしれない。」漣川で私は、その4ページを自分の足でめくることができました。

そして次に韓国の何気ない風景に出会ったとき、私はきっとこう考えるでしょう。「この風景の向こうには、どんな物語が隠れているのだろう。」



*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。

hjkoh@korea.kr