「二児の母として、二人の子どもに人のためになることがいかに大切で幸せなことか、ロボットを通して伝えたかった」
母親の心で作品をつくったというアニメ監督のオム・ジュニョンさん(38)。彼女は、子どもたちの目と心を魅了するアニメ「ロボカー・ポリー」を生んだ作者だ。オムさんは、「ロボカー・ポリー」の企画から制作まで総監督を務めた。
アニメ「ロボカー・ポリー」のキャラクターを前にポーズをとるオムさん(写真:チョン・ハン記者)
「ロボカー・ポリー」には、パトカー「ポリー」、消防車「ロイ」、救急車「アンバー」、ヘリコプター「ヘリ」の4つの自動車キャラクターで構成された救助隊が登場する。子どもたちが日常生活で様々な緊急事態に直面したときに救助隊が出動し、問題を解決する4~7歳向けの教育アニメだ。
この作品は、2011年に教育放送EBSで初オンエアされて以来これまでシーズン1・2が制作され、韓国で大きな人気を集めている。その人気は国境を越え、フランスやベルギー、スイス、日本、中国、ロシア、欧州など54カ国で放映されている。
アニメ「ロボカー・ポリー」の人気は、キャラクター玩具をはじめミュージカルやテーマパークなど様々な分野に広がっている(写真:チョン・ハン記者)
キャラクター玩具をはじめミュージカルやテーマパークまで、「ロボカー・ポリー」の人気はとどまるところを知らない。
オムさんは大学生のときに出会った漫画同好会のメンバーたちと共同でアニメ制作会社「ロイビジュアル」を立ち上げ、約5年間の企画・制作過程を経て「ロボカー・ポリー」を誕生させた。
彼女は、「当初はホンデ(弘益大学)前にある5坪の屋上の仮設の部屋で始めた。5人とコンピュータ3台がやっと入るぐらいだった。今の会社に成長するまで数多くの試行錯誤を繰り返したし、投げ出したくなることも数え切れないほどあったが、物語を通して希望を与えることにいつも幸せを感じていた」と語った。
アニメ「ロボカー・ポリー」のシーン(写真提供:ロイビジュアル)
最近、彼女は「ロボカー・ポリー」に対する質問をリストに整理した1通のファンレターをもらったという。「多くの悩みと葛藤の中から生まれた自分たちの作品を見てくれる人がいるということを知ったとき、自分たちのしていることは間違いではなかったと思った」と目頭を熱くした。
「ロボカー・ポリー3」は2月26日からEBSで放映される。その準備で目まぐるしい日々を送っているオムさんに彼女の漫画人生について聞いた。
*アニメ監督オム・ジュニョンさんとのインタビュー
子どもたちが自分の作品を見て希望を感じる姿を目にするたびに幸せを感じると話すオムさん(写真:チョン・ハン記者)
‐アニメの世界に入ったきっかけは。また、生涯の職業に選んだアニメの魅力とは。
幼い頃から絵を描くのが好きで、漫画家になるのが夢だった。「絶対漫画家になる!」とは思わなかったが、絵を描く仕事に携わりたかった。大学で漫画を専攻したわけでもない。だけど、絵を描きたいという欲求と夢をあきらめることはできなかった。
大学1年生の頃、「自分が本当にしたいことは何か」について真剣に悩んだ。私の絵を見た友人や家族、先輩たちが、私の持っている想像力を漫画に生かすことができるのではないかと言ってくれた。その言葉にとても勇気づけられた。
周りの人の勧めで小規模のアニメワークショップに参加したことがあった。そのとき初めて、自分が描いた絵を映像化するコンピュータ技術に接した。漫画で物語を伝え、それを絵で表現できるということ。特にいろいろな人と一緒に作業できるということにとてもやりがいを感じた。それまでは絵を描くことは一人でする格闘だと思っていたが、いろいろな人と共同作業するということに魅力を感じた。その後、いろいろな作品に接しながら漫画の魅力にのめりこんでいった。
そのときから学業をほったらかしにしてアニメに没頭した。手当たり次第に本を読みあさり、漫画に関する同好会にはすべて足を運び、独学で学んだ。そのときに出会った同好会のメンバーたちとアニメ制作会社「ロイビジュアル」を立ち上げ、今も一緒に活動している。
ロイビジュアルの社員たちとポーズをとるオムさん(中央)(写真:チョン・ハン記者)
‐2011年に初オンエアされた「ロボカー・ポリー」は、「第2のポロロ」といわれるほど大人気だ。「ロボカー・ポリー」を通して子どもたちに伝えようとしたメッセージとは。
最近は親のいない一人ぼっちの子どもや、あれこれ習い事でゆとりのない子どもが多くなった。子どものときに知っておくべき価値を教えられないまま育っているようだ。また、今の親たちは、そうしたことを教えるのが多少未熟なように感じることがある。
二児の母として、自分の子どもが友だちと問題を起したり、コミュニケーションがうまくいかない姿を見たりしながら、ほんの些細なことでも子どもたちにとって大きな問題であることを知った。それを理解してあげ、気遣ってあげることがとても大事だ。
そんなときに思い浮かんだのが「ロボカー・ポリー」の救助隊だ。子どもたちの問題を解決する「ロボカー・ポリー」の救助隊の物語を通して、子どもたちに勇気を与えられるのではないかと思った。とても普遍的な内容が多く、「あまりにも教育的すぎではないか」という意見もあったが、そうした些細な日常の物語が子どもの人生を変えたり、悩みを解決してくれたり、大きな慰めになったりできるのではと思った。
この作品を制作している当時、私も子を持つ親なので、自信を持ってうまく表現できる物語が子ども向けの物語だった。漠然と教育的な内容を一方的に教えるような物語では楽しさが感じられないので、楽しい要素は何かと考えているうちにロボットに変身する自動車「ロボカー・ポリー」が思い浮かんだ。
当時、海外から入ってくる人気漫画はあまりにも暴力的だったり、刺激的だったりするシーンが多かった。幼い子どもたちがそれを見て成長するのは親として心配だった。私がそう思うのなら、他の親たちも私と同じ気持ちだろうと思った。
‐「ロボカー・ポリー」を公開する前に、まず子どもたちに見せたと聞いた。そのときの子どもたちの反応は。
とてもおもしろがっていた。制作期間がとても長く、企画から制作まで5年以上かかった。下の子が2・3歳のときに「ロボカー・ポリー」のアイデアを思いついたが、制作が終わったときにはすでに子ども向けの漫画を見る年齢を過ぎていた。息子に見せるためにつくったのに、放映されるときにはもう小学生になっていてつまらなさそうだった(笑)。
‐「ロボカー・ポリー」のキャラクターはどこから思いついたか。
変身ロボットはありふれた素材だ。有名なロボットアニメ「機動戦士ガンダム」(1979)や映画「トランスフォーマー」など、ロボットをテーマにした作品は多い。それらの作品から影響を受けていないといえば嘘になる。
私は女性なのに、「ガンダム」のようなロボットアニメが好きだった。ロボットを組み立てて解体することに喜びを感じていた。また、映画「トランスフォーマー」の中でロボットに変身する自動車を見て、とてもおもしろいコンセプトだと思った。
一般的に変身ロボットのおもちゃは、子どもたちが組み立てて解体するのが難しいため、持って遊ぶだけでは満足できない。だから、ごくシンプルな形態で、幼い子どもたちが簡単に組み立てることのできるロボットを作りたいと思った。
ロボットキャラクターはどうしても暴力的になりがちだが、善悪対決といったイメージよりも、大切な価値を伝え、誰かを助ける「優しいロボット」をつくることを心がけた。ロボットキャラクターは、ファンタジー性の強いシンボルなので、人を助けることの大切さとやりがいをロボットを通して伝えることができれば、子どもたちに受け入れてもらえると思った。
「2013年大韓民国コンテンツ大賞」の授賞式で、オムさんはアニメ「ロボカー・ポリー」で大統領賞を受賞した(写真:チョン・ハン記者)
‐特に、教育アニメに重点を置いているが、領域を広げようという考えは。
そうした考えは強く持っている。ロイビジュアルが1998年の創設から現在の制作システムを構築するまでには多大な労力を要した。何もない白紙の状態で制作技術、企画、マーケティングのすべてを自分たちでしてきた。これからは現在の制作レベルに合わせて事業を進めていこうと思う。領域の幅を広げたい思いもある。機会があれば、他のユニークなキャラクターの、そして老若男女を問わず幅広い年代の人が楽しめるアニメを制作したい。
‐「ロボカー・ポリー」が言葉や文化の違う世界の子どもたちを魅了した秘訣は。
子どもを思う親心と子どもが成長する過程で様々な壁にぶつかるのは世界共通だと思う。文化が多少違うだけで、子どもが成長期に抱く感情やそのときに感じる変化に大きな違いはないと思う。外国映画でも家族の物語を見れば、文化は違っても子どもに対する親の期待と子どもたちが成長する過程はみな同じだ。私の二人の子どもを見ながら感じたことをアニメにすれば、他の子どもたちも共感すると確信した。
‐キャラクター誕生にまつわる話は尽きないと思うが、主にどこからアイデアを得るのか。
周りの子どもたちの成長する様子を観察しながらアイデアを得ることが多い。また、新聞記事を読みながら、漫画にすればおもしろそうな実際の事件からアイテムを得ることもある。
‐オムさんにとってアニメとは。
私の人生の半分とでもいうべきだろうか。言葉では説明できない。幼いときからこれまでずっと漫画を描いてきた。時には重荷のように感じることもある。抜けたくても抜けられない、終わりのないトンネルに入っているように感じることもある。
社会人はある時期が来れば引退するのが一般的だが、私はいつまでこの仕事を続けるのかわからない。あまりにも辛いときは、早く優秀な監督を見つけてその人に後を託したくなることもあるが、それがいつになるかはわからない(笑)。困難で辛いこともあるが、物語をつくることはいつも楽しい。
コリアネット ソン・ジエ記者
jiae5853@korea.kr