欧州最強といわれるトルコ女子バレーボールリーグで活躍する韓国人選手がいる。トルコの最強チーム「フェネルバチェ(Fenerbahçe)」で、コートを縦横無尽に走り回って攻守に活躍するキム・ヨンギョン選手(25)だ。
トルコの女子バレーボールリーグで活躍中のキム選手(写真提供:インスポ・コリア)
キム選手には「ワールドスター」という称号がピッタリだ。2011年に入団して以来、彼女がこれまでアタッカーとして活躍してきた「フェネルバチェ」は、トルコのプロ女子バレーリーグで2008~2009、2009~2010、2010~2011シーズンと3年連続で優勝したトルコの最強チームだ。
キム選手が入団した当初、フェネルバチェのある関係者は、「いろいろな世界大会で活躍するキム選手が目に留まり、スカウトすることを決めた。攻撃だけでなくレシーブとブロックにも優れており、“マルチプレーヤー”としての活躍に期待している」と話していた。
キム選手がバレーボールに情熱を持ち始めたのは小学生のときだ。彼女は生まれながらの「天才バレー少女」ではなかった。他の選手よりも身長が低く、主にセッターとして出場する“控え選手”だった。彼女が頭角を現したのは、韓一電算女子高校に進学してからだ。高校3年生のときには身長が186センチまで伸び、強力なアタッカーとしてチームのエースに成長していた。
2005年にプロの世界に入り、本格的にバレーボール選手としての人生を歩み始める。デビューした年に韓国プロ女子バレーボール2005-2006シーズンの新人王とリーグMVP、チャンピオン決定戦MVPと賞を総なめにした。2006-2007シーズンでもリーグ戦とチャンピオン決定戦のMVPを獲得し、2007-2008シーズンでは3年連続のリーグMVP、2008~2009シーズンでは3年連続のチャンピオン決定戦MVPに輝いた。
トルコの女子バレーボールチーム「フェネルバチェ」でアタッカーとして活躍するキム選手が、得点を決めて喜びを表している(写真提供:インスポ・コリア)
2009年に日本女子バレーボールリーグのJTマーヴェラスに移籍し、韓国の女子バレーボール選手として初めて海外に進出した。彼女は、日本の女子バレーボールの10チーム中9位に低迷していたJTマーヴェラスをリーグ優勝に導くという奇跡を起こした。
また、2012年のロンドン五輪に韓国代表として出場し、メダルこそ逃したものの韓国を世界ベスト4に導くとともに、韓国人選手として初めて五輪女子バレーボールMVPを獲得した。
キム選手の存在感は、トルコでも高まっている。フェネルバチェは、3月2日に行われた欧州バレーボール連盟(CEV)主催の2013-14シーズンの欧州チャンピオンズリーグ準決勝でセットスコア3-0でアゼルバイジャンのアゼラル・バクーに完勝した。キム選手は、この日の試合でサーブエース2つを含む11得点を上げてチームを決勝に導き、3月末に行われる決勝でロシアのウラロチカと対戦する。
コリアネットはキム選手と電子メールでインタビューし、トルコでの生活と彼女のバレーボールへの愛情について聞いた。
<キム・ヨンギョン選手とのインタビュー>
‐トルコで大活躍しているが、トルコでの生活は。
当初はかなり苦労したが、だいぶ慣れて今は楽しく過ごしている。海外で長く一人暮らしをしているので、料理も上手になったし、一人でいるほうがむしろ気楽に感じるようになった。
キム選手が自身を応援するトルコのファンたちと一緒にポーズをとっている(写真提供:インスポ・コリア)
‐2011年からトルコリーグでプレーしている。フェネルバチェに移籍することになった経緯は。
JTマーヴェラスで2年間プレーして多くのことを学んだ。そのときから欧州でプレーしてみたいと思っていた。幸いフェネルバチェからオファーが届き、レベルの高いトルコのバレーボールリーグでプレーすることを決めた。実は、欧州の別のチームとの契約が決まりかけていたが、ぎりぎりのところでフェネルバチェから連絡が来て、正式に移籍が決まった。
‐韓国代表、2009年にプレーした日本のJTマーヴェラス、そしてトルコのフェネルバチェと、これまで韓国、日本、トルコの3カ国でプレーしてきたが、それぞれの違いは。
韓国代表として出場するのはとても光栄なことだと思う。試合に臨む心構えが他のチームで試合するときとは全く違う。また、韓国代表チームとして試合をするときのほうが、クラブチームで試合するときよりもレベルが高く、自分に対する周囲の期待も大きいと思う。
日本のバレーボールは、とてもスピーディで基本がしっかりしているので、一度の攻撃ではなかなか決まらない。当時外国人選手は私一人だったので、大きなプレッシャーを感じながらプレーしていたが、とても良い経験になった。
トルコの上位チームと試合するときは、とにかく考えるバレーをしなければならない。ブロックが高いだけでなく、守備が堅いので、攻略がなかなか難しい。当初は慣れていなかったので大変だったが、今はトルコでプレーすることがとても楽しい。
‐他国のチームからのオファーを断ってトルコのチームを選んだわけは。
世界の女子バレーボールリーグの中で最もレベルが高く、多くの素晴らしい選手がプレーしているからだ。
‐バレーボールを始めようと思ったきっかけは。また、バレーボールのどこに魅力を感じたのか。
上の姉がバレーボールを始めたとき、毎日姉の練習を手伝った。もともと運動することが好きで、スポーツ選手になりたかったので、自分もバレーボールを始めた。
‐他のスポーツをしようと思ったことは。
中学生のときは背が小さいほうだったので、サッカーをしようかと思ったこともある。でも、知り合いの先輩がバレーボールからサッカーに転向したとき、その穴を埋めてほしいと.チームに誘われた。
‐今シーズンはサーブ得点1位、1セット当たりの得点2位、ベストプレーヤーに選ばれるなど、すべての試合で存在感を発揮している。192センチの長身でも俊敏な動きと巧みなテクニックを生み出しているが、体のケアの秘訣とは。
持って生まれた身体能力に加え、努力と研究を重ねてきたのでここまで来れたと思う。また、学生時代は背が低かったので、攻撃よりも守備の練習を重点的にしたことが今大きく役立っているようだ。体をケアするためにいろいろな栄養補助剤を毎日服用し、ぐっすり寝るよう心がけている。
‐「他の選手にこれだけは負けない」というキム選手の武器は。
長身でも守備がうまいこと。
‐25歳とまだ若い。いつまでプレーしたいか。また、引退後は何をしたいか。
できるだけ長く現役でプレーしたい。まだはっきりと「いつまで」とは決めていないが、負傷することなく今の力を維持できるなら、できる限り続けたい。引退後は指導者かバレーボールの発展に貢献できる仕事をしたい。
‐もしバレーボールをしていなければ、今何をしていたと思うか。
バレーボール以外のスポーツをしていたと思う。
‐バレーボル一筋に打ち込んできて、こんなこともしたかったという後悔はないか。また、今の年齢でしてみたいことは。
ない。自分が好きなことをしているので、今はともて幸せだ。
‐言葉の通じない国で暮らしていると苦労も多いと思う。一番大変だったことは。また、どうやって乗り越えたか。 言葉が通じないのが一番大変だった。一人でいると寂しさが押し寄せてきて辛くなるときもあった。言葉が通じなくても自分から先にチームの選手たち声をかけ、親しくなろうと心がけた。今は英語やトルコ語がだいぶ上達したので、全くコミュニケーションに問題はない。
‐これまであきらめることなくバレーボールを続けることのできた原動力とは。
休むことなくここまで来た。常に夢を抱き、その夢に一歩でも近づこうと努力してきた。いつも支えてくれる家族がいたので、頑張ってこれたと思う。
‐キム選手にとってバレーボールとは。
私の人生のすべてだ。人生もバレーボールも、幸せなときもあれば辛いときもある。私は人生の中で、バレーボールを通して多くのことを感じ、多くのことを学んできた。私はこれからもバレーボールと一緒に人生を歩んでいく。
キム選手がコリアネットの読者のために書いてくれたメッセージと直筆のサイン(写真提供:インスポ・コリア)
コリアネット ソン・ジエ記者
jiae5853@korea.kr