韓国社会は日々変化し、その構成員も多様化している。法務部によると、2024年12月末を基準に、韓国に滞在する外国人は、265万783人。全体人口の5%超である。結婚移民者、外国人労働者、留学生、専門職の従事者など。彼らはもはや「客」ではなく、韓国社会に必要な構成員として位置づけられている。彼らとのインタビューを通じて、多文化社会へと進む韓国について考えてみよう。
[龍仁=カン・ガヒ]
龍仁大学のテコンドー道場には、 プムセ(型)の練習を行う生徒たちの力強い足音が響いている。道場内は気合に満ち、道着や防具から汗の匂いが漂う。
先月25日、KOREA.netはテコンドー界で注目を集めている16歳の少年にインタビューを行った。世界テコンドープムセ選手権大会で、自由プムセの新記録を立てたビョン・ジェヨン選手だ。
お手本を見せるビョン・ジェヨン選手=2月25日、京畿道・龍仁市、イ・ジュニョン
フリースタイルのプムセでは、音楽に合わせて走り、横蹴り、マルチプルキック、回転蹴り、連続蹴り、アクロバットキックの5つの技術を披露する。
2012年に世界テコンドープムセ選手権大会で正式種目として採択されて以来、技術レベルが着実に上がってきた。
ビョン・ジェヨンは、昨年末に香港で開催された世界テコンドープムセ選手権大会、17歳以下のフリースタイルプムセ部門に出場した。9.54点という新記録を立てて、金メダルを獲得した。
「こんなに高得点をとれるなんて、思っていませんでした」と恥ずかしそうに微笑むピョン·ジェヨン選手。「香港大会はお祭りムードなので、普段より緊張しませんでした。初めて国家代表のユニホームを着て優勝したので、言葉にできないくらいうれしかったです」と付け加えた。
香港世界テコンドープムセ選手権大会に出場し、17歳以下フリースタイルプムセ部門の決勝戦で、アクロバットキックを披露するビョン・ジェヨン=2025年12月1日、香港、世界テコンドー連盟
ビョン・ジェヨンの「フリースタイルプムセ」は、クリエイティブな構成とレベルの高い技術で注目を集めた。空中3メートルの高さまで跳ね上がり、連続8回のキックを披露したアクロバットキックは、見ものだった。
金メダルを決めた試合で見せた連係技術は、とても優れていた。韓国のフリープムセの選手の中で、連係技術を完璧にこなせるのは、ビョン・ジェヨンしかいない。
ビョン・ジェヨンは小学1年生の時、母親に進められてテコンドーを始めた。小学3年生の時、テコンドー示範団であるKタイガースの動画を見てから、国家代表になりたいと思ったそうだ。選手として本格的に進路を決めたのは、中学2年生の時だったという。
選手生活を始めてから約1年で国家代表に選ばれた。しかし、チャンピオンになるまで全てが順調だったわけではない。着地のミスで肩が脱臼したこともあれば、レベルの高い技術を習得するまでに数多くの失敗を繰り返した。
辛いときはどう乗り越えたかと聞くと、ビョン・ジェヨンは「耐えるしかないですね。いろいろ試しながら、最後まであきらめないことです。挑戦し続けているうちに、できるようになっているはずです」と答えた。
インタビューに応じるビョン・ジェヨン選手=2月25日、京畿道・龍仁市、イ・ジュニョン
一番の力になったのは、やはり家族だったという。両親は毎日のように「ケガには気をつけるように」と声をかけてくれ、それが何よりも力になると答えた。
フィリピン人の母を持つビョン・ジェヨンは、幼い頃、冬休みをフィリピンで過ごしていたが、選手生活を本格的に始めてからは、あまり行けなくなったという。「母の家族たちも、僕が国家代表になったことを誇りに思ってくれています。ビデオ通話をしている時に、テコンドーのお手本を見せてほしいと言われることもあります」と話してくれた。
韓国とフィリピンの文化について聞くと、「韓国料理とフィリピン料理を一緒に食べられるのが、とてもいいです」と16歳らしい答えが返ってきた。
また、多文化家庭として暮らす中で、大変だったことはなかったのかという質問には、「見た目から、ハーフではないのかと聞かれることもありますが、あまり気にしていません」 と話していた。
「多文化家族に対するネガティブな視線も一部ありますが、気にせずに、自分が選んだ道に進めばいいと思います。韓国は環境や制度的に、夢を十分に叶えることができる国なので」
ビョン・ジェヨンの次の目標は、今年のアジア青少年テコンドープムセ選手権大会でメダルを獲得することだ。しかし、何よりも望んでいるのは、「ケガをすることなく、選手生活を長く続けること」だそうだ。
ビョン・ジェヨンの挑戦は始まったばかりだ。目標に向かって、新しい歴史を築いていってほしい。
kgh89@korea.kr