中央アジア・ウズベキスタンのサマルカンド。アジアとヨーロッパを結ぶシルクロードの拠点として長い間栄えたオアシスの町である。この地域は、古代ソグディア王国の首都で、東西の商人が活発な貿易を行い、東洋と西洋の文化が出会い、きらびやかな文明の花を咲かせたところである。
1965年、サマルカンドのアフラシャブの丘にある宮殿跡から壁画が発見された。西暦655年頃にソグディア王国のバルフマン王の治世時に制作されたものと推定されるこの壁画は、王国を訪問した多くの国からの外交使節が登場し目を引いた。このうち、西の壁面に高句麗人と推定される2人の使者が描かれており、古代韓国の対外関係史に大きな衝撃を与えた。
それまでは、かつて朝鮮半島に存在していた国の対外関係は、中国や日本など東アジアに限られていたとの見方が有力だった。朝鮮半島から5000キロも離れた中央アジアと関係を結んでいたとは想像もできなかった。この壁画の発見は、古代朝鮮半島の対外関係史を再構成するきっかけとなった。
新しい羽が付いた鳥羽冠と丸い柄が特徴の環頭大刀も、典型的な古代韓国人の服飾。東北亜歴史財団のキム・ハクチュン理事長は、「歴史学界では、高句麗の実力者ヨンゲソムン(淵蓋蘇文)が敵対関係にあった唐を牽制するためにソグディア王国に使者を送ったものとみている」と説明した。
最近、この壁画が東北亜歴史財団とウズベキスタン国立サマルカンド博物館の協力により復元され、23日からヨンサン(龍山)区イチョンドン(二村洞)の国立中央博物館3階中央アジア室に展示されている。
アフラシャブの西の壁の右側に描かれた、鳥羽冠を被り環頭大刀を腰に携えた2人の使者が高句麗人であるという推測が歴史学者の間で提起された。復元された壁画は、現在、国立中央博物館に展示されている
アフラシャブの壁画は、1965年に発見されて以来、長い歳月にわたって進んだ風化により毀損されてきた。それを知った東北亜歴史財団は、2013年にサマルカンド博物館と協定を結び、壁画の復元と保護に向けた事業を共同で推進してきた。
国立サマルカンド博物館の館長は、「アフラシャブの壁画は、韓国とウズベキスタンの関係がいつ始まったかを示す史料」と話す
国立サマルカンド博物館のムスタポクロフ・サマリディーン館長は、「アフラシャブ宮殿の壁画は、当時、唐や日本などの商人がシルクロードを経てローマまで商品を運搬していた政治、経済、文化的状況を記録した資料。韓国の積極的な支援により壁画の模写図を制作し、デジタル復元まですることができた」と、感謝の意を表した。
今回の壁画復元事業では、デジタル実体顕微鏡、赤外線分析器、紫外線分析器など最先端機器が用いられた。オリジナルの壁画を実物と同じ大きさで高解像度で撮影し、毀損がひどくてよく見えない部分は顕微鏡とレーザーで確認した。肉眼で見えない部分はデジタル顕微鏡で分析し、オリジナルに近い模写図を制作することができた。模写図は2つで、それぞれ東北亜歴史財団とアフラシャブ博物館で所蔵する。
東北亜歴史財団のキム・ハクチュン理事長(左)が22日、アフラシャブ宮殿壁画の展示に関するメディア懇談会に出席し、復元プロセスについて説明している
キム・ハクチュン理事長は、「今回の展示は古代民族史の一部を垣間見ているような感激を感じることができるものとなっている。民族の起源、ルーツ、移動経路を総合的に捉えられる基礎的な根拠を設けるきっかけになるだろう」と話す。
アフラシャブ遺跡と宮殿壁画のデジタル復元映像は、近く5カ国語(韓国語、ウズベキスタン語、ロシア語、英語、フランス語)で制作され、来年2月にアフラシャブ博物館で設置・上映される予定だ。
コリアネット ウィ・テクァン、イ・スンア記者
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