ひと

2015.02.23

11日午後、米国ワシントンD.C.バージニア州フェアファックスのリーガル劇場は、すすり泣きの声で溢れていた。

朝鮮戦争に参戦した50人余りの韓米の老兵たちが一緒に泣き出したのである。映画「国際市場(Ode to My Father)」に描かれた65年前の鮮やかな戦争の記憶が、彼らの涙腺を刺激した。

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朝鮮戦争に参戦した韓米の老兵たちが11日、米国ワシントンDCバージニア州フェアファックスのリーガル劇場で映画「国際市場」を観覧している



映画の最初のほうに登場する1950年12月の「興南(フンナム)撤退」のシーン。主人公トクスが避難民を乗せた「メロディス・ビクトリー号」に乗る直前に末の妹マクスンの手が離れた場面では、客席のあちこちでため息が漏れた。

「興南撤退」は、朝鮮戦争当時、中共軍の攻勢で戦況が不利になると、咸鏡道(ハムギョンド)北東部戦線で作戦中だった米軍が、興南港で「メロディス・ビクトリー号」に約1万4千人の避難民を乗せて撤退した作戦だ。「メロディス・ビクトリー号」は1950年12月23日に興南を経ち、24日に釜山(プサン)を経て25日に巨済島(コジェド)に着いて避難民を降りた。これは「クリスマスの奇跡」とも呼ばれている。

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映画「国際市場」から。咸鏡南道興南港で「メロディスビクトリー号」に積んでいた武器を捨て、代わりに約1万4千人の避難民を乗せて撤退した「興南撤退」のシーン



当時、興南から撤退したスティーブン・アムステッド予備役海兵隊将軍は、「よく朝鮮戦争を‘忘れられた戦争(forgotten war)’というが、そうではなく‘忘れられた勝利(forgotten victory)’だ。興南撤退のシーンで子どもと父親が離れ離れになるが、これは映画の中の主人公家族だけの話ではない。私も泣いた」と語った。

そのうえで、「埠頭で騒いでいた人たちの姿と軍艦、兵力と装備の動きを非常に正確に描いている。すべてのものが凍りついたあの厳しい冬を今でも忘れることができない」と振り返った。

トーマス・ファーガソン予備役大佐も感慨深げだった。彼は、興南撤退で武器を捨てて避難民を乗せる決心をした、当時10軍団長だったエドワード・アーモンド氏の孫。「メロディス・ビクトリー号」は7600トンで、定員は60名に過ぎない貨物船だった。この船のレナードP・ラルー船長は、船に積まれていた武器を全部捨て、避難民をできるだけ多く乗せるよう命令した。避難民も持っていた荷物を捨てて乗船し、約1万4千人が乗ることができた。避難民が船に上る間、米陸軍3師団は後方を防衛し、その過程で3人が戦死した。「メロディス・ビクトリー号」は28時間の航海を経て釜山港に移動した。食料と水、毛布、医薬品のどれもが不足し、敵に攻撃される渦中だったが、犠牲者は一人もいなかった。乗組員たちは服を脱いで女性と子どもに与えたが、状況は深刻だった。12月24日に釜山港に着いたが、すでに避難民でいっぱいになったという理由で入港を拒否された。ラルー船長は仕方なく50マイルをさらに航海し、クリスマスの25日に巨済島の長承浦(チャンスンポ)港に避難民を下ろした。航海中に赤ちゃんが5人生まれた。

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朝鮮戦争に参戦したスティーブン・アムステッド予備役海兵隊将軍が映画「国際市場」を観覧後に感想を語っている。写真の左は、興南撤退の過程で避難民を劇的に脱出させた当時の10軍団長だったエドワード・アーモンド氏の孫であるトーマス・ファーガソン予備役大佐 (写真提供:聯合ニュース)



ファーガソン予備役大佐は映画を観覧した後、「祖父は生前、参戦した第1・2次世界大戦と朝鮮戦争全体において最も意味のあった作戦は興南撤退だと言っていた。米軍だけが撤退したのではなく避難民まで撤退させたのは、奇跡のような作戦だった」と話した。

参戦勇士たちは戦後の1960年代、70年代を経て韓国が奇跡的な発展を遂げていく場面を見て一緒に笑い、1980年代の離散家族探しを描いた場面では、トクスが死んだと思っていたマクスンと再会するのを見て一緒に涙を流した。

ある参戦勇士は、「韓国が如何にしてここまで発展できたかがわかる感動的な映画だ。朝鮮戦争に参戦したすべてのアメリカ人にこの映画を観るよう勧めたい。とても誇りに思うだろう」と述べて涙を流した。

コリアネット ソン・ジエ記者
写真提供:CJエンターテイメント
jiae5853@korea.kr