文化

2015.01.16

이인수 유고 '몽상의 세계 속으로(Inside Cloud Cuckoo Land - The Voice of Korea'

イ・インスの遺稿『夢想の世界の中へ』

ある家族が長い間大切に保管していた父親の遺品。そのうち彼の思考と魂がこもった英文の原稿を編集した本が出版された。

本のタイトルは『Inside Cloud Cuckoo Land‐The Voice of Korea』で、大きく2つに分けられる。著者が韓国最初の英字日刊紙「The Seoul Times」で編集長をしているときに書いた原稿と読者との対話、そして英語に翻訳した詩と短編小説が収録されている。

前述した25編の原稿で筆者は最初の「韓国の美学的成就:伝統美術の歴史的考証(Aesthetic Achievements of Korea:A Historical Survey of Classic Art)」で、韓国美術は中国や日本とは違う独自のものだと説明している。

中国の美術はしっかりして優れた形態、日本の美術は色相の饗宴が特徴だとするなら、韓国の美術は刹那の瞬間の逢着が特徴であるとし、これは韓国が大陸や島ではなく半島国家であることに原因があるとしている。

他の原稿「倫理教育のための請願(Plea for a Moral Education)」では、韓国が今必要としているのは、力の政治を好む単純で純粋な政治的指導者ではなく、国が信頼できる預言者のような天才だとしている。特に、このところ成人たちの教育で見過ごされていると思われる2つのことに関心を持ってほしいと呼びかけている。

一つは、人間性を最優先の価値とすることだ。健全な精神と前の世代よりも協業できる、偏狭せずより開放的で、より粘り強く、あまり感性的ではなく、多数の決定を受け入れる気質が必要だとしている。

もう一つは、真の自由の精神を定着させることだ。 「自由を守るために私たちに必要なことは無限の戒めで、それに加えて無限の知識と共感と理解心を身につけるべきであることを知る必要がある」というボールドウィンの言葉を引用し、この言葉を実践すること以上に難しいことはないという自身の考えを伝えている。

また、「東洋の民主主義:非政治的観点から(Democracy in the Orient:From a Non-Political Point of View)」や「支援協定における倫理的負担(Moral Burden of the Aid Agreement)」「学校の軍事教育(Military Training at Schools)」などでも、当時社会が直面していた様々な歴史的・観念的・理念的立場をリアルに表わしている。

また、原稿とともに掲載された多様な読者との対話から、中道を守ろうという著者の強い面貌を垣間見ることができる。

例えば、「朝鮮民族青年団:目的と機能(The Students' National Guard:Its Purpose and Function)」について、ある読者はこの文の目的が称賛なのか批判なのかわからないとし、すでに周知の文教相の立場を改めて説明することなど不要だと綴っている。

また、判断基準も提示されていないのに、どうしてプログラムを評価することができようかと疑問を提起し、学生と教師を対象としたギャロップ・アンケートを実施するなどして該当プログラムに対する統計世論資料を確保することを要求している。 これに対して筆者は、第一に、意図したそのままの文を書いており、全ての文には根拠がある。第二に、あなたの主張は「共産主義批判」としてつけこむよう懇願しているようだ。第三に、良いものも悪いものもどこにもないのに、「考え」自体がそうさせる。それは劇的演出で拍手を強制する状況にも、政府が生み出した政策の産物にも当てはまる。第四に、私の仕事は大臣が決定した政策を判断することではなく、単にそれを報道することだ。第五に、ギャロップ・アンケートは信用できない。前回の米国大統領選挙もそうだったのに、韓国にいる私たちがそんなでたらめなことで時間を無駄にする必要はないと答えている。

彼が翻訳した文学作品のうち詩を見ると、ハン・ヨンウンの「山居」、キム・ソウォルの「山有花」と「朔州亀城」、イ・サンファの「奪われた野にも春は来るのか」、チョン・ジヨンの「九城洞」と「星」、イ・ユクサの「絶頂」、キム・ギリムの「噴水」などに彼の叙情的な趣向が表われている。


「九城洞」
 - ‐チョン・ジヨン(1902~1950)

谷間にはよく
流星が埋められる。

黄昏に
雹が音を立てて積もり、

花も
謫居する場所。

谷間には
風も吹かず、

山の陰が薄くなると
鹿が起き上がって峠を越える。


1916年に全羅南道クレ(求礼)で生まれたイ・インスは、商業・経済系列の高等教育を受けていたが、文学への情熱を捨てきれずに英国に留学する。ロンドン大学で英語、ラテン語、フランス語、ドイツ語の試験を通過し、英文学を専攻する。1945年にポソン(宝城)専門学校で教師を務め、1946年の朝鮮戦争勃発によって中断するまで高麗大学で助教授として英語と英文学を教える傍ら、「The Seoul Times」で編集長として活動する。

朝鮮戦争が勃発した1950年6月に北朝鮮軍にとらわれ、強制的に米軍捕虜の通訳を務め、共産主義は素晴らしいと電波で宣伝することをさせられる。同年9月にソウルが奪還されると国連軍に降伏したが、韓国軍に引き渡され、同年11月に軍事裁判で死刑を宣告される。

本を出版した著者の子どもたちは、この本を出版することで、短い生涯の中でいろいろなことを考えながら生きていた父親の遺稿を整理するとともに、積年の悔恨を晴らすことができたと明かした。

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コリアネット ペク・ヒョン記者
資料提供:韓国文学翻訳院
cathy@korea.kr