ひと

2015.02.12

バベルの塔の伝説は、自分の能力が創造主を上回ると信じた人間の自信から出発する。人間の傲慢さに創造主は激怒し、数多くの言語を作って互いに意思疎通できなくした。そして、天に届くことを目指して建てられていたバベルの塔は崩れ落ちた。

この伝説は、逆説的にコミュニケーションの大切さを私たちに教えている。人口が増え文明が発達すればするほど、文化の多様性はより進展する。これにより言語の複雑も増す。人間と人間、文化と文化の間の円滑な対話とコミュニケーションのために必然的に登場したのが「翻訳」である。

「翻訳」は多様な文化を私たちに伝え、私たちの文化をより豊かにしてくれる。文明の進化、歴史の発展は、翻訳を抜きには説明することができない。別の世界に住んでいる人間と文化をつなげ、人生の領域を広げてくれるからだ。今日においても翻訳の役割は依然として大きく、その重要性と価値はさらに増している。毎日、数十冊の翻訳書が書店に登場する。これは異文化と情報、そして知識の需要がますます増えていることを示している。

翻訳の重要性は、文学ではなおさらだ。私たちが生活の中で接する詩や小説、エッセイなどの文学作品は、長い時間をかけてのコミュニケーションと翻訳というプロセスがその背景にある。文学を通じた交流とコミュニケーションは、利害関係を異にする政治や経済関係とは明らかに次元が違うものだ。利害関係を超えて、人間の感性を動かし、信頼と友情を深める格調高い文化交流の段階へと導く。

韓国翻訳文化院は、翻訳を通じた文化交流の拡大、世界文化への貢献を目指して2001年に設立された。院長を務めるのは英文学者で文学評論家の金聖坤(キム・ソンゴン)氏だ。彼に会って、すべてのものの境界が消滅し、世界が急速に一つに向かっていく今日において翻訳の持つ意味と役割について、率直な話を聞いた。

김성곤 한국문학번역원장은 우리 삶 자체를 번역으로 볼 수 있다며 번역의 의미를 설명했다.

韓国文学翻訳院の金聖坤院長は、翻訳の意味について、私たちの人生そのもが翻訳と言えると説明した



- 昨年、崔仁勲(チェ・インフン)作家の『広場』を英語に翻訳した。海外読者の反応は?
インターネットにレビューがたくさん載っているが、面白い、切実さを感じるという感想が多い。戦争が終わっていない休戦状態という韓国独特の状況のためではないかと思う。この作品が世の中に出たのが1960年だ。そのとき既に、作家は左でも右でもない第3の道を選んでいるということが感銘深かった。偉大な文学作家は決して片方に偏ることなく、第3の道を見出すのだということに気付かされた。作家は両方のイデオロギーを抱き込み、和解させ、さらには第3の道を見つける必要があるが、実際には多くの作家が安住している。これは多くの作家が克服すべき課題だと思う。自分と違っていても敵視することなく抱擁する。これが文学界、さらには芸術界における切実な課題だ。

- ある意味では、ルネッサンスや韓国が迎えた近代というものも、その歴史的背景は翻訳を抜きにしては説明できないと思う。ルネッサンスもアラビア語に翻訳されたギリシャとローマの古典を再翻訳する過程で発生したものであり、私たちの近代も西洋の文化の翻訳が根底にあったと思う。翻訳は、異なる文化を結びつけるメッセンジャーの役割をすると思う。今日の21世紀において翻訳が私たちに与える意味とは?
こういう考え方もできる。私たちの日常の生活そのものがある意味では翻訳だということだ。つまり、人と人の間のコミュニケーションも一種の翻訳を通じて行われる。相手の表情を見て、話を聞いて、それを解釈し、受け止める。翻訳は必然的なものだと思う。イタリアのボローニャ大学で翻訳学を教えているウンベルト・エーコは、文学だけでなく音楽や美術も翻訳の過程を経ると説く。それが最近の翻訳学にみられる特徴だ。絵を見るとき、私たちが見るのとフランスの絵をフランス人が見るのは違うということだ。自分でも気付かずに、文化的な翻訳を通じて異なる受け止め方をする。なので、すべてが翻訳だと考えることがまずは重要だ。2つ目は、翻訳は絶対に原作より劣るものではないということだ。エーコは、『薔薇の名前』の序文で、「これは原作ではなく、3重の翻訳だ」と書いている。14世紀の修道士がラテン語で書いたものを19世紀のフランスの神父たちがフランス語に訳し、それをさらに自分が20世紀末にイタリア語に翻訳したものだと言っている。エーコは翻訳は決して原作より劣っていないということを言いたかったのだと思う。結局は、私たちが書くすべてのものは、昔の人が書いたものの別の形の翻訳だということが言いたかったのだと思う。

美術や音楽は、ある側面では、基本的には言語の翻訳がなくても受け入れることのできるユニバーサル・ランゲージだ。一方で、文学はそうではない。ほかの言語に訳すのには時間がかかり、また、訳す過程で変形が起こり得るので難しい。最近の理論では、翻訳が必ずしも原作と同じである必要はないというのが前提になっている。翻訳はもう一つの創作だ。創作と同じくらい大変で難しい。文学アカデミーには25人の教授がある。そのうち、スペイン人の教授が面白いことを言っていた。彼は、「翻訳とは、家を取り崩し、その材料を船に乗せて海を渡り、たどり着いた海岸に元の家に似た家を建てることだ。すでに取り崩したので、元の家とまったく同じにすることは不可能で、まったく同じである必要もない。新しい海岸の雰囲気に合った家を建てるのが翻訳」と話した。まったく同感だ。それが翻訳の本質だと思う。良い翻訳が生まれるためには、軍隊に入った兵士が恋人に手紙を書くように、愛情を持って丁寧に翻訳しなければならない。お金を稼ごうとすると、絶対に良い翻訳は生まれてこない。そこから聞こえる音楽的な旋律も感じることができる。良い翻訳をするためには、基本的には3つのことが必要だ。一つ目は、両方の言語を完全に駆使できなければならない。次に、両国の文化に精通しなければならない。文化を知らないと誤訳につながる。最後に、文学的センスと文章力が不可欠だ。

- 2001年に韓国文学翻訳院が設立された。これまでの成果とは。
以前はフランス語とドイツ語の翻訳が強く、英語は相対的に弱かった。就任後、英米文学界の学者や韓国文学の教授および関係者との人的交流を行い、ネイティブスピーカー並みの英語能力を備えた英語チームを作った。また、ダルキー・アーカイブ(Dalkey Archive Press)出版社と25巻全集出版契約を締結した。これまでに、「The Library of Korean Literature」シリーズとして15巻が出版された。

また、時代的な変化に合わせて電子書籍(e-book)チームを作り、昨年30冊を出版した。米アマゾン・ドットコムの電子書籍会社、アマゾン・クロッシング(Amazon Crossing)とも協力し、韓国の作家を紹介している。そのうち、裵琇亜(ペ・スア)作家の短編『青いリンゴがある国道』は、会員2万人を擁するインターネット雑誌「デイ・ワン(Day One)」に掲載された。ここで人気のある本はニューヨークで紙の本としても出版されているが、そのようにして出版された世界文学全集に裵琇亜さんの作品も含まれた。

また、スマートフォンで韓国文学を読むアプリを開発し、ウィキペディアにシン・ギョンスクなど韓国の主な作家350人に関する資料を英語とフランス語で提供している。これまでは、韓国の作家が外国で本を出版すると、たとえば李文烈(イ・ムニョル)氏の英文表記が12種類に上るなど、作家の名前すらスペルがまちまちだった。これを統一するためのデータベースを作り、作家から確認を取った上でインターネットに一括情報を掲載した。電子図書館も今月オープンし、Googleで作家の名前を検索するとその作家に関連した全世界のデータをすべて見られるようになっている。

- 世界文学作家大会、11件の海外図書展など、韓国文学の海外への発信に向けた一連の催しが行われている。期待している成果とは。長期的なものだと思われるが。
昨年、世界文学作家大会に参加した韓国作家14人、海外作家14人がペアを作って一週間にわたって一緒に過ごすレジデンスプログラムを実施した。彼らはすぐに親しくなり、また外国語能力も伸びる。また、帰国後、自国に韓国作品を紹介したり、韓国の作家を招待したりすることもある。交流はとても重要だと思う。大会に参加した人は、ペアになった相手の作家の翻訳作品を読み、東崇洞(トンスンドン)などソウルの街を探訪し、韓国文化に対する理解を高めることができる。このようなネットワークのグローバル化を図っている。この催しを通じて作家間の交流という重要な仕事をしていると考えている。外国の作家との交流は、海外に韓国の作家を知らせるうえでも非常に重要だ。

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김성곤 원장은 좋은 번역의 조건으로 두 나라 언어와 문화에 다 통달할 것과 문학적인 센스, 문장력을 꼽았다.

金聖坤院長は、良い翻訳の条件として、両国の言語と文化に精通することと文学的センス、そして文章力を挙げた



- キム院長の持論は、翻訳者は翻訳対象国と自国の文化の両方に精通している総合的な知識人でなければならないという結論に到達する。創作者以上の努力が求められることだが、そのような精鋭人材を育成する方法とは。
作家は、まず、同時代の他の国の作家が何を書いているのかを知る必要があり、たくさん読まなければならない。すると世界的な関心事が見えてくる。人気作家も執筆だけに専念していると、素材が枯渇することがある。だから、作家はできるだけ他の国の作家の作品をたくさん読み、海外にもたくさん行って、その国の関心事が何であるかを知る必要がある。これが自己啓発、さらには国際的な視点を持つことにつながる。

良い翻訳のためには、両国の言語と文化に精通している必要があり、文学的なセンスと文章力が必要だ。そのためには、作家と同じくらい、あるいはそれ以上に努力する必要がある。翻訳院のアカデミーコースを大学院レベルに再編したのも、このような理由からだ。今年の秋の学期から2年制で運営される正規の大学院課程を通じて良い人材を発掘することができると期待している。プログラムも面白い。言語と言語の違いではなく、両国の文化の違いを翻訳する「文化翻訳」の練習をしたり、作家たちを招待し、学生がその作家の作品を翻訳し、一緒に討論したりする。修学旅行のように作家の文学館を見学し、作家の足跡を辿るプログラムもある。非常に評判がよく、優秀な学生が多数志願している。the best of the bestが来る。授業料全額に加えて生活費まで支援している。イギリス出身のソフィー・バウマンさんやアメリカ出身のビクトリア・コードゥルさんも良い翻訳家だ。優秀で翻訳も上手だ。コードゥルさんの場合は、偶然韓国に来た。ミネソタのサマーキャンプで韓国人の学生に出会い韓国に興味を持つようになったという。そして教授に勧められ、イギリスのロンドン大学アジアアフリカ学科(Studies of Oriental&African Studies、University of London)で勉強した後、韓国に来た。偶然、韓国人と知り合って韓国を知り、韓国に来た人や、韓国学科を卒業して韓国に来る人もいる。これは韓流のおかげで、韓流に感謝している。韓流が道を作った。その道に沿って、純文学が前に進める。これからが始まりだ。

- 申京淑(シン・ギョンスク)の『ママをお願い』の海外での出版以降、目立つ作品がないように思える。最近、海外で注目を集めている韓国文学作品とは。
裵琇亜(ペ・スア)のほか金英夏(キム・ヨンハ-Kim Young-ha)がいる。アメリカの大手出版社ホートン・ミフリン・ハーコート(Houghton Mifflin Harcourt)で金英夏の作品3編を出版した。大学生に成りすまして韓国に潜り込んだ北朝鮮工作員の韓国生活適応期を素材にした『光の帝国(Your Republic is Calling You)』、メキシコにおける韓国人の移民の歴史を綴った『黒い花(Black Flower)』、自殺サイトを素材にした『私は私を破壊する権利がある(I Have the Right to Destroy Myself)』の3編だ。彼の作品は、英米圏の読者にも人気がある。フランスでは、黄晳暎(ファン・ソギョン)と李文烈(イ・ムニョル)が人気がある。特に、黄晳暎の『客人』はうまく書かれた作品だ。韓国では、昔から天然痘を「お客」と呼んでいた。天然痘が顔に深い傷を残すように、作家は西洋のキリスト教と共産主義が韓国に流入し、消すことのできない深い傷を残したと批判する。そのような象徴的な要素に共感した。黄さんはこの作品で、朝鮮戦争当時、北朝鮮で行われた信川(シンチョン)大虐殺について、米軍によるものではなく、キリスト教と共産主義の対立の過程で発生したものだとしている。黄善美(ファン・ソンミ)作家の『庭を出ためんどり』も大きく注目されている。昨年、ロンドン国際図書展に行った時、黄作家のサインをもらおうと数十人の人が列を作っていた。

- 韓国文学翻訳統合情報サービスを提供することになった背景とは。
以前は、各部分が分かれており、全体的に見ることができるサービス(情報サービス)がなくて不便だった。そのため、翻訳院では、電子図書館を作る過程で情報サービスを開始することになった。すべての情報を統合し、補完すべきだと思った。たとえば、ある作家について検索すると、その作家に関するすべての情報を提供するのである。最近、翻訳院の図書館はかなり発展し、蔵書も1万5000冊に上っている。主に地下書庫にあり、1階にあるのは翻訳本だ。他の国の図書館とも活発に交流しており、本の寄贈も積極的に行っている。図書館の役割はとても重要だと思う。

- 韓国文学のグローバル化、交流のために必要なものとは。
韓国文学が成功し、世界に広がって行くためには3つが必要だ。良い原作、その翻訳、そして良い出版社だ。良い原作は、韓国独特の香りがあり、同時に世界的、普遍的でなければならない。2つが調和をなす必要がある。世界的な関心事を知り、それについて書く人が必要だ。

例えば、世界的に人気のあるウンベルト・エーコ(Umberto Eco)の『薔薇の名前』やオルハン・パムク(Orhan Pamuk)の『私の名は赤』、ダン・ブラウン(Dan Brown)の『ダ・ヴィンチ・コード』の共通点は、歴史推理小説の技法を用いていること、テーマが似ているという点だ。これらの作品は、いずれも現代人が共通して関心を持っていることに注目し、世の中の絶対的な真理に対する懐疑を抱き、隠されたもう一つの真理を悟り、他社を認めている。こうしたテーマを取り上げながらも韓国的な素材を採用すれば、海外でも良い反応を得ることができるはずだ。実際に、海外の出版社も、こうしたことを踏まえ、知的な刺激と楽しさ両方を求めており、推理小説技法を取り入れた作品を望んでいる。

また、李仁和(イ・インファ)の『永遠なる帝国』、イ・ジョンミョンの『根の深い木』や『風の絵師』などは、素材がすばらしい。このように、世界共通の素材と品格を備えれば、海外でも反響を得るはずだ。

- 実用性や利益を重視する時代の風潮のなかで、翻訳の行き場は狭くなっているように見える。どのように克服しているのか。
経営の専門家からすると、文化ビジネスは非効率的だ。時間もかかり、目に見える成果も少ない。これは実は、人文学全体が直面している課題だ。また、文学の課題でもあり、翻訳の課題でもある。経営マインドという一つの物差しで判断するのは難しい。芸術、文化、文学、翻訳などは時間がかかり、成果がなかなか目に見えないかもしれないが、実際には世界的に非常に大きなインパクトを与えている。スポーツは目に見え、1回で勝負が付くが、これらは時間がかかる。しかし、韓国の文化を世界に発信することが如何に重要であるかを政策立案者は知るべきだと思う。

日本もかつて、ソニーやパナソニックが一旦有名になり、そのあとに日本文化も海外に知られるようになった。それが正解だと思う。韓国もサムスン、LG、現代に続いて韓流が海外に進出し、そのあと純文学が海外に進出している。問題は、日本が海外に進出したときは単純な時代だった。当時は、文学が知識であり、情報、エンターテイメントの主流だった。今は時代が変わり、多様な種類のエンターテインメントがあり、知識情報のエコノミーにおいて色々なメディアが活躍している。日本が海外に進出したときより、韓国はもう少し複雑で厳しい状況にあると思う。それだけ、純文学の読者は減り、少数のエリートだけが純文学を読む時代になっている。最近の若い人は、紙の本は読まない。そのため、以前に比べるともっと大変だが、一方で、KポップはYouTubeなどを通じて一瞬のうちに世界中に広がる。しかし、文学は時間をかけてゆっくり広めていくしかない。それでも多方面で努力しなければならない。電子書籍の形でも進出を活発化する必要がある。

果たして今の時代に純粋なものがあるのか、という疑問すら覚える。純粋と非純粋を区分せずに、大きい意味での文学、文化テキストとしての文学、こういうふうに捉え、地平をより広げ、以前から「純文学」と呼んでいたものはそのままにし、それに加えて、非常にレベルの高い推理小説やSF、ファンタジー、あるいは以前は「漫画」と呼ばれていたグラフィックノベル、最近では特に説明をたくさん付けたレベルの高い作品も多いが、こうしたものも支援する必要があるのではないかと考えている。なぜなら、最近の子どもたちは、漫画を通じて韓国史や世界史など歴史を学ぶからだ。だから、韓国の歴史を発信できる良い漫画があれば、世界に輸出するのもいいだろう。三国史記、三国遺事なども漫画にして紹介すると、外国の子どもたちも韓国の歴史に触れることができる。今の時代は、偏見を持ってはいけない時代だと考え、支援の対象を広げようと思っている。でも、純文学をする人が心配する必要はない。純文学についてもこれまで通りに支援し、ただ、地平をより広げるために、韓国をもっと知ってもらうために、他のジャンルも一緒に支援できればと思っているのであり、今、そうした取り組みを始めている。

- そのためにしている努力とは。
すべてに対してオープンな状態だ。志願すれば、私たちが審査して支援するという趣旨で。グラフィックノベル、ジャンル文学などを対象にしている。また、人文学の図書と児童図書も含めて、全体的にK-bookと位置づけている。以前はK-literatureだったが、今は全体を網羅してK-bookに拡大した。

今の子どもたちにとってのゲームは、私たちの世代にとっての小説と似ている。子どもたちはゲームを通して世界を学び、面白さ、どんでん返し、冒険を感じる。以前、私たちが「ターザン」を見てアフリカを探検する想像をしたように、今の子どもたちはゲームをしてそのようなことを経験する。だから私は、ゲームであっても、レベルの高いもの、例えばギリシャ神話、ローマ神話、北欧神話、韓国神話を素材にした良いゲームがあれば、それも翻訳して海外に紹介する価値があると思う。韓国の文化と歴史を多くの人に知ってもらうことができるものであれば、文学も基本的にゲームだと思う。ユン・テホの『未生』を見ると、囲碁というゲームがすばらしい文学になっている。だから、「これは文学ではない」という偏見を持つよりは、「これも文学になり得る」と、心を開いておく必要がある。すると、文学の力はもっと大きくなる。

多くの作家が「映画のせいで文学が衰退する」と考えるようだが、実際には反対だ。文学と映画はシナジー効果を生み出すことができる。ドイツの学者、ヨアヒム・ペヒ(Joachim Paech)は「映画というのは、眠れる森の美女を目覚めさせる王子と同じで、誰も読まない文学作品を起こし、多くの人に読まれるようにする」と話している。私も映画『薔薇の名前』を見て感動し、原作小説を全部読み漁った。

もう一つ、純粋と大衆を区別する人が多いが、私は賛同できない。これはあくまでも私の考えだが、『美女と野獣』の物語を考えてみてほしい。美女が野獣の魔法の城に閉じ込められ、逃げられなくなると、美女は野獣と結婚して城主になることによって問題を解決した。この物語は私たちに良い教訓を教えていると思う。野獣は巨大で恐ろしい映画、テレビ、コンピュータ、ゲーム産業で、美女は純文学(belle lettres)だ。野獣はまるで魔法のような巨大な産業で、美女は何の力もなくお金もない。このような状況を解決する方法は、互いに手を取り合って連携し、友達になり、愛し合うことだ。そうすると、美女が主になれる。

つまり、文学、人文学が「今は危機だ」と泣き言を言うのではなく、むしろもっと積極的に他のメディアと手を組み、境界を越えることが隆盛につながると思う。そうなれば文化も、文学も隆盛することができる。敵視する必要などない。今はマルチメディアの時代だ。文学も一つのメディアに過ぎない時代になってしまっている。文学が他のメディアと手を組めば、それが自分のものになる。文化に携わる人は積極的な考え方を持たなければならない。狭い壁の中で、「純粋」というものに閉じ込められていてはならない。エドワード・サイド(Edward Wadi Said、1935〜2003)が「この世に純粋な文化などない。すべての文化は、互いに境界を越え、混ざり合うものだ」と述べたように。私はこれに同意する。文学も同じだ。韓国人が世界の文学を読んでその影響を受けて作品を書くことも可能だ。その作品は韓国のものだ。でも、2つの作品は互いに通じ合っている。

- 文化隆盛に関する実質的な議論はないままスローガンだけがあり、具体的な実体がないという批判がある。文化隆盛に至る道とは。
掛け声倒れに終わるのではなく、本当に目に見えることを達成するには、人文学が自らの境界を越えて、科学技術、経営学、環境生態学など、すべてのものとつながる必要がある。そのように自らの領域を広げ融合すると、それが知の統合となり、文化は隆盛する。人文学や文学も同じだ。20世紀初頭には境界があった。貴族文化と大衆文化が分かれていた。今では、私たちはみんな大衆だ。テレビを見たり、雑誌を読んだり、ゲームをしたりと、以前のような区別は意味がなくなった時代に生きている。著者と読者の関係も以前とは違う。以前は著者が優位にあり、読者は教えを受ける立場だったが、今は対等な地位にあり、さらには読者が著者に教えを与えることもできる時代になっている。そうやって他のメディアと手を組むことが文化隆盛の基本だと思う。他のメディアと手をつなぎ、連携し、一緒に何かを作り出すのだ。文学だけの力ではできないことも、例えばゲームと手を組むと、とても文学的なゲームを生み出すことができる。

見ているともどかしい。いくらでも方法はある。最も基本的なことは、境界を越えて他のメディアとコラボレーションすることだ。私は、ひょんなことがきっかけとなって1990年から映画に関する文章を書き始めた。ある会合に行ったとき、「レインマン(Rain Man)」という映画について、記者が書いた文章に共感できず、「私はこの映画についてこう考える」と言ったところ、それを面白いと思ったある出版社の社長に『文学精神』という文学雑誌への掲載を頼まれた。そこで、掲載したところ、反響があり、それから2年にわたって掲載し、後には本として出版され人気となった。私が書いた文章は重要な役割を果たしたと思う。文学が映画と手を組んだのだ。私は映画を通じてその国の文化を読み取ることができると考え、主にアメリカの映画を分析した。映画と文学が手を組むことになったので、中央大学の演劇映画科の教授たちがすごく喜んだ。「文学が専門のソウル大学の教授が映画を認めた」ということで、映画をビジネスではなく作品として評価したことになり、映画の品格が格段に上がったからだ。映画からミジャンセンや撮影テクニック、カメラといったものではなく、文化を読み取ったことは、映画に大きな力を与え、映画に対して一般の人が持つイメージが高級化した。本は当時ベストセラーとなった。今では誰も知らないが。題名は『金聖坤教授の映画エッセイ』だ。手を組むと文学も隆盛し、両方にとってメリットがある。

科学者たちは新技術の開発に奔走し、技術以外の倫理的な側面や非人間的な側面については考える余裕がない。それを、科学者に代わって人文学者や文学者が考えることができる。たとえば、アイザック・アシモフ(Issac Asimov、1920~1992)の『バイセンテニアル・マン(The Bicentennial Man)』が良い例だ。この作品は文学と技術の両方が入っている。未来の世界で、ある家族がサイボーグを購入し、家事を任せたところ、そのサイボーグが段々と人間のような感情と知能を持つようになる。主人公のサイボーグは独立して家を出て行き、銀行口座を作り、主人の孫娘を好きになり結婚したいと思うようになる。サイボーグだから永遠に生きることができるのに、主人公は人間になるために住民登録を申請するが断られる。人間として認めてもらうため、臓器を人間の臓器と入れ替え、最後は人間の血を輸血するが、そのせいで臓器が腐敗し、死を迎える。主人公は慕っていた女性と結婚することになる。この映画は、「果たして人間と機械のうち、どっちが人間的か」という問いを投げかける。機械がより人間的であることもできれば、獣にも劣る人間もいる。この映画は、アメリカの200周年(Bi-centennial)を記念して書かれた作品で、アメリカに関する物語だ。私は、独立して家を出たサイボーグはアメリカを象徴していると思った。主人公は人間らしく生きたくて、人間の女性と結婚したくて、永遠に生きることができるのにそれをあきらめ、200年だけ生き、死を選択する。また、「ターミネーター2」では、機械が人間のために自殺する。このような機械ならば、人間よりもっと人間らしいという省察を与える。

また、映画「マルチプリシティ」は、人間のクローンなど発生可能ないくつかの問題をテーマにしているが、これはすなわち人文学的な省察であり、文学がこれを面白い作品にしてテクノロジーの問題点を指摘していると言える。これによっても文化の隆盛が実現する。文学、人文学が工学技術に貢献するのである。技術の進歩だけが重要なのではなく、私たちにとって価値のあるものは何か、どうすれば価値のある技術の使い方ができるのか、機械のように生きている人間が果たして機械より優れた存在なのかといった疑問を投げかけ、考えさせてくれる。だから作家たちがこういったものをテーマに小説を書くと、海外で反響を呼びやすく、また面白くて、なおかつ多くの示唆を与えることもできる。すると、純文学という範疇の中で書くより、より良いルネッサンスをもたらすことができる。

- 想像力がどんどん広がり、互いにつながり合い、融合し、新しいものを創り出す偉大な作業において、文学が貢献できる余地は無限だと思う。
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んで、「もう、これよりすばらしい小説は出てこないだろうな」と思った。これより良い素材、良いテーマの小説はないだろうと。ところが、しばらく経ってからダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』と『ダ・ヴィンチ・コード』が出版されたが、実によく書けていた。これらの作品は、ただの大衆的な作品ではない。これらの本は多くのことを教えてくれている。中世の歴史、美術史、宗教史、別の真理もあり得るという悟りを文学作品が提供するならば、それはただの大衆小説ではない。面白く書いていても、いろいろなことを教えてくれれば、それは良い文学だと思う。大衆文学の作家が書いた作品で、「この人はなぜこれを書いたのだろう」、あるいは、「何が言いたくてこれを書いたのだろう」と思わせるようなものは、読む気にならない。そういうものよりは、楽しく読めて、悟りを与えてくれる作品が良い文学だと思う。

- 話が逸れるが、そのような意味では、亡くなった李炳注(イ・ビョンジュ)作家(1921~1992)の作品は面白さと歴史的知識、哲学などが揃っているのでは。
彼の死亡後、あれほどのスケールの大きい作家は未だに登場していない。彼の『関釜連絡船』や『智異山(チリサン)』は、韓国の近現代史を眺望しており、私たちに悟りを与えている。『小説アレキサンドリア』は、素材はエジプトのアレキサンドリアだが、韓国の物語を書いたものだ。彼のようなスケールの大きい作家がいたらいいなと、時々思う。残念だ。歴史を素材にしていくらでも世界的な普遍性を持つ作品を書くことができると思う。韓国ほど数奇な歴史を持つ国はあまりない。それでも、それを十分活用できていないようだ。

- 読者として感銘を受けた作品とは。
幼い頃から本という本はすべて読みあさり、漫画や名作全集も全部読んだ。ただ、偉人伝はあまり好きになれなかった。誰でも偉人になれるし、ただ運が良くて偉人になった人もいるからだ。それよりは想像力が入った漫画や小説が好きだった。感銘を受けた作品は本当に多くて、いくつかをあげるのは困難だが、高校の時に読んだハーパー・リー(Nelle Harper Lee)の『アラバマ物語(To kill a Mocking Bird)』をあげたい。グレゴリー・ペック(Gregory Peck)主演の映画を見てとても気に入って原作の小説も読んだが、やはり感動的だった。これまで5回くらい読んでいるが、読むたびに感動し、涙が出る。これは良い文学だと思う。琴線に触れ、悟りを与え、認識の地平を広げてくれるからだ。

この作品が良い作品である理由は、文学の象徴とされる子どもの目を通じて大人の世界の偏見を告発する小説だからだ。強く共感した。イギリスやアメリカの文学解説書では、この作品をアメリカの人種問題を取り上げた小説として紹介しているが、それよりもずっと複雑で素晴らしい作品だと思う。基本となるのは人種問題だが、それ以外にも人間が持っている色々な偏見をすべて告発しているからだ。富める者が貧しい者に対して持っている偏見、「ディル」という幼い少年を通じて見せた一人親家庭の子どもに対する偏見、離婚した女性と独身の女性に対する偏見。背景となる1930年代のアメリカ社会にもそのような偏見があった。そのほか、大人が子どもに対して持っている偏見も描かれている。この本の最初の韓国語版は日本語版を訳したものだったが、その日本語版の翻訳が本当に良かった。当時の本のタイトルは「子どもたちは知っている」だった。原題とは違うが、それには理由がある。大人は子どもは何も知らないと考えるが、子どもは大人の恥部や偏見をすべて知っているという意味だ。口には出さなくても。

平凡ではない人に対する偏見、文明が野蛮に対して感じる偏見、西洋が東洋に対して持つ偏見、ミシェル・フーコーの理論とも通じる狂人に対する普通の人の偏見など、あらゆる偏見がこの小説の中には描かれている。この本を読んで、偏見を持ってはいけないと思った。この本をソウル大学英文科の学生たちに読ませたところ、学生たちは泣き、このような偏見を持ってはいけないと痛感したという。映画も学生たちに観させた。こうすることで、文学は素晴らしい役割を果たしたと思う。それが良い文学だ。この小説は、見方によっては児童小説でもあり、大衆小説でもあるが、私はこれほどの優れた小説は、純文学の一番上のランクに位置づけてもいいと思う。実際にピューリッツァー賞も授賞している。そのような役割を文学が果たすことができれば、文化が隆盛するのではないだろうか。なぜなら、社会問題を取り上げているからだ。左派とか右派といったイデオロギーではなく、文学が社会問題を適切かつ感動的に取り上げることができれば、極めて大きな役割を果たすことができる。社会と文化がともに隆盛することができる。

- 文学が人間の問題について悩み、交流すること自体が、世界平和に貢献することだと考える。
その通りだ。すべての基本となる。アメリカで、時々教授の講義室に行くと、「What is literature?」と質問されることがある。そんなときは、文学というのは、特に小説は、「色々な人を登場させ、どのような生き方が最も価値のある生き方かに気付かせてくれるものだ」と答える。私たちは登場人物を見て、「この人のように生きてはいけない」、あるいは「この人のように生きていこう」と思う。人と人の間の葛藤はなぜ起こるのか、どのように解決するのかなど、人間らしく生きていくことを教えてくれるのが小説だと思う。文学は、歴史を通じて、私たちが将来どのように生きるべきかを教えてくれる。SF小説は、私たちが科学を通じてどのように生きるべきかを教え、ファンタジーは幻想を通じて私たちの現実を鏡に映し、現実の世界でどのように生きるべきかに気付かせてくれる。これが文学の基本的な機能だと思う。

- 世界の読者に紹介したい韓国の文学作品を3つあげるとしたら?その理由は?
個人的には『翼』をはじめとする李箱(イ・サン)の作品が好きだ。私はポストモダニズムを専攻したが、彼の作品はポストモダニズムが韓国に入って来る前に、すでに時代の先を行ってポストモダニズムと通じており、多様な解釈が可能だ。文学作品は一通りの解釈ではなく、色々な解釈が可能でなければならないが、『翼』はまさにそのような作品だ。例えば、植民地時代の知識人の無力な姿を描いたと理解することもでき、売春婦の妻を祖国、彼女を犯す者たちを日本と捉えることもできる。

外国の読者には、韓国文学を古典、植民地時代、軍事独裁時代と産業社会の時代、IT電子の時代に分けて紹介したい。IT電子の時代は若者の新しい感性を取り上げた金英夏、イ・ギホ、チョン・ミョングァン、パク・ミンギュなどで代表される。

産業社会は、金承鈺(キム・スンオク)の『ソウル1964年の冬』『霧津紀行』、趙世熙(チョ・セヒ)の『小人が打ち上げた小さなボール』、尹興吉(ユ・フンギル)の『九足の靴で居残った男』など、時代の問題をうまく取り上げた作品をあげることができる。植民地時代については、李箱、金東仁(キム・ドンイン)、李孝石(イ・ヒョソク)、廉想渉(ヨム・サンソプ)などをあげることができる。このうちの李孝石もそれなりに現実に抵抗した作家だと思う。単に自然主義で気楽に生きていこうという考え方では決してなかった。作家たちはさまざまな方法で現実に抵抗する姿勢を示したが、李孝石はちょっと変った方法を選んだと思う。廉想渉は、より直接的に抵抗した作家だと解釈することもできる。

また、多くの外国人が韓国の古典翻訳作品に良い反応を示している。文学翻訳院でコリアヘラルドと提携し、古典文学の翻訳版5冊を出版したところ、大反響だった。こうすると、古典がすごく簡単で面白くなる。燕岩(ヨナム)朴趾源(パク・チウォン)の風刺小説『両班伝(ヤンバンジョン)』などは、その時代になぜそのような風刺作品が生まれたのか、何を風刺したのかなど、当時の世相や社会像について解説をつけるともっと喜ばれる。そうやって全集が出ると、外国人は時代別に韓国文学を眺望することができる。文学は世相をよく描いているため、韓国人がどんな時代をどのように生きてきたのか、どんな荒波の中で苦悩したかが分かり、それによって今日の韓国人の座標を推測することができる。そのいった意味で、時代別に鳥瞰できる全集を出すのも良いと思う。
映画も同じだ。2000年初めに「猟奇的な彼女」が公開された時、たくましい女性像をうまく表現した作品なため、より訴えるものがあると評価された。だから、当時の社会像を知りたければ「猟奇的な彼女」のような映画を見るようにアドバイスする人も多い。

- 逆に、韓国の読者に紹介したい外国の文学作品を3つあげるとしたら?その理由は?
本当は多すぎるが、一つだけあげるとしたらトーマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)の『競売ナンバー49の叫び(The Crying of Lot49)』という短編小説だ。この小説は、1950-1960年代のアメリカを背景にした作品だが、現在、韓国が直面している問題にも当てはまるもので、胸を打つものがあった。当時、アメリカは保守主義(1950年代)から進歩の時代(1960年代)に移行していて、作家はこの2つの時代における進歩と保守の葛藤と解決策を切々と書いている。今それを読むと、「こういう生き方はいけない」とか、「こう生きていかなければならない」と気付かされ、歴史から学ぶことができる。オープンマインドにもしてくれる。その国が経験したことを同じように繰り返すことは、それこそ馬鹿なことだ。教訓を学び、反面教師にすべきだという示唆を与えてくれる。最ももどかしさを感じるのは、理念の対立をやめ、まずは作家が先に世界的なもの、韓国文学のグローバル化のために頑張って欲しいということだ。それが世界に韓国文学を発信する道であり、その道を進むべきだと思う。争い、対立し、排斥する(antagonize)のはやめて、和解(reconciliate)してほしいと思う。作家にとっては、書くこと自体が政治的な行為だからだ。

- 文学翻訳院の今後の計画とは。
韓国、日本、中国の3か国が中心となって、できれば東南アジア諸国も一緒になって運営する翻訳機構を今年中に立ち上げたいと思っている。英米市場に向けて、3か国が一緒に作品を出版したいと考えている。3か国が共同で進めていけば、もっと意味のあるものになると思う。

- あなたにとって翻訳とは。
英文学者としてスタートしたが、国文学が大好きで、英文学者になった最も大きな目的は、英米文学と英米文化に精通した専門家になるためだった。しかし、そこで終わるのではなく、境界を越え、英米文学を鏡にして「韓国文学を映し、韓国文学のグローバル化に貢献することが、外国文学者としての最終的な目標ではないか」と思った。そのために翻訳は必要不可欠なプロセスだ。文学評論家、英文学者、雑誌編集者、出版文化院長など、色々な仕事に従事しているが、一番好きなのは「文学翻訳家」だ。基本的にすべてのプロセスが翻訳だと考えているからだ。人と人の間の関係も、家族と会話をする時も、一種の翻訳のプロセスを経て意思疎通が行われると考えている。男性の言葉と女性の言葉が異なり、大人の言語と子どもの言語が異なることを考えると、すべてのプロセスは翻訳に当たるからだ。翻訳というものが別途存在するのではなく、私たちの人生に必然的に伴うものであり、文学作品に伴う極めて重要なものと認識している。いくつかの賞をいただいているが、最も感謝しているのは、以前、大韓出版文化協会が出している出版ジャーナルで韓国を代表する翻訳家に選ばれたときだ。その時が一番嬉しかった。それが私が一番望んでいることだからだ。韓国文学を翻訳して海外に知らせること、それはとてもやりがいのあることであり、そのためには翻訳は不可欠だ。

記事:コリアネット ウィ・テックァン、ユン・ソジョン記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
whan23@korea.kr

より詳しい情報については、韓国文学翻訳院のホームページをご覧ください。
http://www.klti.or.kr/main.do

한국문학번역원은 한국문학과 문화를 세계에 알리는 역할을 하기 위해 2001년 설립됐다. 사진은 한국문학번역원 전경.

韓国文学翻訳院は、韓国の文学と文化を世界に発信する役割を担うために2001年に設立された。写真は韓国文学翻訳院の全景


한국문학번역원은 한국문학에 대한 관심을 높이고 한국문학 작가를 해외에 소개하는 외국어 정기간행물 '리스트(list)'를 비롯, 다양한 간행물을 출간하고 있다. 사진은 계간 '리스트'.

韓国文学翻訳院は、韓国文学への関心を高め、韓国文学の作家を海外に紹介する外国語定期刊行物「リスト(list)」をはじめ、様々な刊行物を出版している。写真は季刊「リスト」


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한국문학번역원은 매체가 다변화되는 추세에 맞춰 스마트폰으로 한국문학을 읽을 수 있도록 하는 앱을 개발하고 전자책 30권을 출간했다. 사진은 한국문학번역원 내 도서관.

韓国文学翻訳院は、メディアの多様化に合わせて、スマートフォンで韓国文学を読むことができるアプリを開発し、電子書籍30冊を出版した。写真は韓国文学翻訳院内の図書館