カトリックをアジアに伝えたのは西欧の宣教師たちだ。それに対して韓国は、有識者らの学問的探求から始まったというのが他のアジア諸国とは異なる特徴だ。カトリックの存在を初めて知らせたのは、朝鮮時代の大学者、イ・スグァン(李睟光、1563~1628)の百科事典『芝峰類說(Jibong yuseol、Topical Discourses of Jibong)』(1614)だ。イ・スグァンが著書の中で大西国(イタリア)を紹介し、イタリア人でイエズス会宣教師のマテオ・リッチ(Matteo Ricci, S.J.、1552~1610、中国名「利瑪宝」)が中国に渡り、「天主実義(The True Meaning of the Lord of Heaven)」を紹介したという。これがカトリックに関する最初の記録だ。
京幾道広州市退村面の天真庵聖地
カトリックは、宗教として受け入れられたというよりも、西洋の学問を意味する「西学」と呼ばれ、学問の一つと認識されていた。韓国のカトリックは、京幾道広州市退村面のとある渓谷から始まった。1779年、有識者だったクォン・チョルシン(權哲身、洗礼名「アンブロシオ」)とイル・シン(日身、洗礼名「Francis Xavier」)の兄弟と、チョン・ヤクチョン(丁若銓)、ヤク・チョン(若鍾、洗礼名「Augustinus」)、ヤク・ヨン(若鏞)の3兄弟、イ・ビョク(李檗、Yi Byeok)、イ・スンフン(李承薰、Yi Seung-hun)らは、仏教の庵だった「天真庵(Chon Jin Am)」で「西学」を学んだ。当初は儒教の経典を中心に学んでいたが、イ・スンフンが北京から持ってきた科学書籍や『天主実義』などを紹介することでカトリックに目覚め、学問的知識が宗教的信仰に変わっていった。
講学会でイ・ビョクは「天主恭敬歌」を、チョン・ヤクチョンは「十誡命歌(Song of Ten Commandments)」をつくったとされる。彼らは教えに従って朝夕に祈りを捧げ、毎月7日、14日21日、28日には仕事を休み、黙想にふけた。こうして「天真庵」は、自主的に真理を探究する場となった。その中の一人、イ・スンフンが1784年に北京でグラモン(Louis de Grammont)神父に出会って教理を学び、「ペテロ」という洗礼名を授かって帰国する。韓国人として最初に洗礼を授かったのだ。彼はイ・ビョクとともに教理を研究し、イ・ビョク、クォン・イルシン、キム・ボム(金範禹、洗礼名「Thomas」)ら知人に洗礼を与える。1785年の春にミョンレ(明禮)洞(現在のソウル明洞)のキム・ボムの自宅に初めて朝鮮カトリック教会を建てる。現在の明洞聖堂のある場所だ。