文化

2019.12.30

2019年には、3・1運動および大韓民国臨時政府樹立100周年を迎え、展示や公演などの記念イベントが開かれた。

フォトグラファーの李霽炯(イ・ジェヒョン)さんは、レゴを用いて、独立運動が起きた当時の風景を表現した。18枚の写真は、自身のSNS(@lee_je_hyung)で公開している。その中のいくつかを紹介。

李さんは、「(日本からの解放を求める)独立運動の方法は変わっていくけれど、我々が21世紀の独立運動家だ。その精神はいまだに続いている」と述べた。また、「100年前の独立運動は、祖国のためにすべてのことを犠牲した」とし、「21世紀の独立運動は、過去の歴史と向き合うことから始まる」と付け加えた。



[ソン・バルグン、キム・ウニョン]
[写真=李霽炯]


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3・1運動と独立運動家の柳寛順



1919年3月1日、韓半島では日本の不法統治に抵抗する「非暴力平和運動」が起きた。多くの人々が広場に集まり、太極旗(韓国の国旗)を掲げながら、日本からの解放を求める意味の「大韓(民国)独立万歳」と叫んだ。当時、人口の1割(約200万人)が3・1運動に参加し、柳寛順(ユ・グァンスン)をはじめ、老若男女問わず、7千5百人が日本軍によって殺された。米国のニューヨーク・タイムズや中国の民国日報などが、この現況を報道することで、世界に広く知られた。3・1運動は、中国の5・4運動(中国の北京から全国に広がった抗日・反帝国主義を掲げる学生運動)にも影響を与えた。

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日本軍1千人を相手に戦った独立運動家のキム・サンオク



彼は、独立運動家によって組職された抗日武装団体である義烈団で活躍した。1923年1月12日、日本による韓国への弾圧を象徴する鍾路警察署に爆弾を投げ入れた。数日後、日本軍1千人との銃撃戦で、16人を射殺した後、最後の弾丸で自殺し、独立への断固たる意志を見せた。今後の抗日武装運動の土台を作った出来事だと評価されている。

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独立運動家の尹奉吉



1932年4月29日に中国の上海虹口公園で行われた日本の戦勝記念祝賀式で、独立運動家の尹奉吉(ユン・ボンギル)が日本軍の首脳らが立っていた檀上に向かって爆弾を投げつけた。この事件がきっかけで、中国人からの支持を受け、当時の蒋介石政権が大韓民国臨時政府を支援するようになった。

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1945年と2017年の大韓民国臨時政府(重慶)



大韓民国臨時政府の要人らが、1945年に中国の重慶にある大韓民国臨時政府で撮った写真は、今でも話題になっている。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が2017年に同場所を訪問し、独立運動家の子孫らと記念撮影を行った。文大統領は、大韓民国臨時政府について「韓国の基盤であり、現在の韓国の憲法の根でもある」と強調した。

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平和の少女像(旧日本軍の慰安婦像)



裸足でかかとを地面につけず座っている、チマチョゴリを着た少女。その隣の空席は、この世を去った旧日本軍の慰安婦(性奴隷)被害者を意味している。韓国の日本大使館前に設置された「平和の少女像」。日本政府の謝罪と賠償を求める集会が「平和の少女像」の前で30年の間、毎週水曜日に行われている。

brightsong@korea.kr