地方の豪族勢力を統制して王権を強化する過程で民心を失った弓裔は、 918年に松岳の豪族、王建(ワンゴン)に討たれました。王建は高句麗を継承す るという意味で国名を高麗とし、首都を松岳に移しました。高麗は後百済を 攻撃する一方、新羅には積極的な包容政策を展開しました。
高麗時代はきらびやかな文化が特徴です。翡翠色の磁器の表面を掘って模 様を入れた「象嵌」技法の象嵌青磁は、世界で唯一の独創的な芸術品です。8万1258枚の木板に仏教の経典を彫刻し、紙に印刷した八万大蔵経は、この 時代の仏教文化の精髄であり、世界の木版印刷の最高峰です。また、世界初 の金属活字も高麗人が発明しました。韓国の歴史記録によると、高麗が金属 印刷技術を発明した時期は、西洋のそれよりも200年以上前のことです。現 存する印刷物には、1377年に出版された「直指」という本があります。1455 年に印刷された西洋初の金属活字印刷本よりも78年も前に出版されたこの本 は、フランス国立図書館に所蔵されており、2001年に世界記録遺産に登録さ れました。
講和は成立しましたが、モンゴルに抗争していた軍隊である三別抄(サム ビョルチョ)は皇帝を擁立し、珍島(チンド)を拠点に韓半島南部を支配して戦 争を続けました。珍島が陥落すると済州島(チェジュド)に移って1273年まで 抵抗を続けました。
当時世界最強の帝国だったモンゴルの軍隊と、実に42年間にもわたり戦っ た高麗の抵抗は、強靭な闘争精神の表れでした。しかし、この過程で国土は 荒廃し、民は疲弊して皇龍寺(ファンリョンサ)9層塔をはじめとする数多くの 文化遺産がモンゴル軍によって破壊されました。