紀元前3世紀末、中国は秦から漢へと替わる激変の時期を迎えました。当 時、多くの流民や移民が古朝鮮に南下し、彼らの指導者である衛満(ウィマン) が紀元前194年に王位に就いたことから、古朝鮮が拡大しました。この時、鉄 器文化を受け入れたことにより農業と手工業が発達し、軍事力も強化しまし た。また、中国に近い地理的利点を活用して、韓半島勢力と中国の交易を仲 介しながら利益を独占しようとしました。
これは古朝鮮と漢との対立を激化させ、漢は大規模な水軍と陸軍を動員し て古朝鮮を侵略しました。戦争初期には古朝鮮は大勝を収め頑なに抵抗しま したが、1年間にわたる戦争の末、首都である王倹城が陥落し、紀元前108年 に滅亡しました。
ユネスコが2000年に江華、和順(ファスン)、高敞(コチャン)地域の支石墓 を世界文化遺産に登録したことは、人類文化史における韓国支石墓の重要性 に対し、世界の関心が高まっていることの表れだと言えます。