1960年代初頭。韓国と香港を往来しながら貿易業を営んでいたナムヨン(南営)ビビアンのナム・サンス会長の目に、外国の女性の装いが飛び込んできた。韓服を着ることが多い韓国の女性に比べて、ボディーラインが目立つ西洋の服装をした女性の姿は新鮮だった。
1958年に韓国で最初のバンドストッキングである「ムグンファ(ムクゲ)ストッキング」を市場に出し、女性消費者の間で認知度を高めたナムヨンナイロンは、女性の下着へと領域を広げていった。ナム会長は、これからはより多くの韓国女性が洋服を着るようになり、それに伴って西洋風の下着のニーズも高まっていくと見込んだ。洋装の着こなしをよくし、女性のボディーを引き立たせるのが下着の役割だと考えた。
ナム会長は、女性の下着の開発に専念した。しかし、当時、韓国ではブラジャーなど女性の下着に対する認識や情報がなく、海外から女性の下着を大量に買って来て、それをサンプルにして製品を作るしかなかった。彼は、大量の製品を韓国に持ち込もうとして税関の職員から誤解されたり、海外の店の中を撮影しようとして従業員に止められたりして、自分でスケッチをしてデザイナーに渡すなど、製品開発のために努力した。こうした努力の末、ナムヨンビビアンは1963年に初めてブラジャーの生産に成功した。最初に作られたブラジャーは、当時人気の素材だったナイロンと綿に刺繍とレースで装飾を施し、胸の下にパッドを取り付けた形のものだった。
1970年代に日刊紙に掲載されたビビアンの女性の下着の広告
ナムヨンビビアンは1958年に韓国で最初にバンドストッキング、1963年に女性のブラジャーを生産した。写真は1960年代、ナムヨンビビアン明洞1号店の前に立っているナム会長(右から2番目)と役員たち。
それ以降、ナムヨンビビアンは技術開発にまい進し、独自の技術で女性の身体的な美しさを引き立たせる機能性下着を披露した。特に、夏と冬の季節的特徴に応じて通気性と保温の機能を持つ素材を採用し、人によって違う身体的特徴を考慮してサイズや体型を細く分類するなど、下着の製作にデザインと科学を取り入れた。体にぴったりした服を着ても下着のラインが目立たないよう表面をなめらかにした「ノーブラ(1998年)」、肩ひもをアクセサリー化し、ファッションアイテムにした「トゥーシーブラ(2000年代初頭)」などは、どれも消費者に愛されたナムヨンビビアンの人気商品だ。また、妊婦・授乳婦向けの「マタニティ(Maternity)」、男性下着「ゲントフ(Gentoff)」ラインなどを披露し、より多くの消費者層を取り込んだ。
ソウル・ヨンサン(龍山)区のナムヨンビビアン本社直営店舗。色とりどりの様々な男女の下着製品が陳列されている 진열되어 있다.
ナムヨンビビアンの下着製品は、身体の美しさを引き立たせるデザインと体型補正機能を備えている
ナムヨンビビアンのデザイナーが製品を作っている
ナムヨンビビアンは韓国の代表的な下着ブランドとして定着した。昨年第3四半期の売上高は約1680億ウォンに上る。1970年代から女性の下着という単一品目で米国などに活発に輸出し、1992年には金塔産業勲章を受章した。現在、中国とインドネシアに現地法人を置いている。
実際に、ナムヨンビビアンの下着は外国人からも良い反応を得ている。ソウル駅をはじめとする中心街にあるビビアンの店舗には日本人、中国人など外国人の顧客が多数来店し、補正下着や派手な色の下着を主に購入する。チャムシル(蚕室)ロッテワールド店は、特に中国人のお客さんに人気のある店で、中国人の好みに合わせて製作した製品を販売している。
記事:コリアネット ユン・ソジョン記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者、ナムヨンビビアン
arete@korea.kr
人気俳優キム・ナムジュをモデルにしたビビアンの1990年代の広告画像
俳優チョ・インソンをモデルにしたビビアンの2014年の広告画像。女性を思いやり守るイメージを表現している