文化

2014.01.22

韓国に初めて映画が伝わったのは1901年とされている。米国人カメラマンで旅行家のバートン・ホームズ(Burton Holmes、1870~1958)が、高宗皇帝の前で映画を上映したのが最初だという説だ。韓国人が自ら映画を制作したのは、それから約20年後のことだが、韓国に映画という新しい文化が流入してから今日まで、約100年の歳月が流れた。その間に韓国の映画産業は大きく成長した。映画の観客動員数は、2012年に1億人を超え、1年後の2013年には2億人を突破した。これは、国民1人当たり年に4回映画を鑑賞したことを意味する。

この100年の間に韓国社会は多くのことを経験した。独立と戦争、経済発展と経済危機…。そして、その喜びと悲しみの痕跡が、そのまま映画の中に残っている。

韓国映像資料院は、韓国映画100周年を迎え、韓国の映画史を振り返ろうと、この100年を代表する「韓国映画100選」を先日発表した。映画学者や映画評論家、映画産業従事者などの専門家62人が選定委員として参加し、韓国映画の草創期から2012年12月31日までに劇場で公開されたすべての韓国の長編映画(劇映画、ドキュメンタリー、アニメ)を対象に審査を行った。

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選定された映画は、当代の大衆の意識を反映して多くの注目を集め、作品のテーマと素材が韓国社会に影響を及ぼしたものばかりだ。特に、1960年代に制作された映画が多数を占めている。韓国映像資料院の関係者によると、当時は映画館の規制が大幅に緩和され、個性と創造力が爆発した「韓国映画の全盛期」だったという。

今回の審査で専門家らが韓国映画史100年の最高傑作に選んだのは、1960年に制作されたキム・ギヨン監督の「下女」、1961年に制作されたユ・ヒョンモク監督の「誤発弾」、1975年に公開されたハ・ギルジョン監督の「馬鹿たちの行進」だ。3本の映画にはどんなメッセージが込められており、映画専門家らはどのように分析したのか紹介しよう。

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「下女」

紡織工場の音楽部で指導するドンシクは 衿川で起こった殺人事件の記事を興味深く読んでいる。ある日、女性従業員のチョ・ギョンヒがピアノのレッスンを受けたいと言って彼の家にやって来て、それ以来そこを出入りするようになる。一方、家の新築資金を稼ごうと無理して裁縫の仕事をしていたドンシクの妻は、だんだん衰弱していく。ドンシクは、ギョンヒに頼んで下女を紹介してもらう。妊娠した妻が実家に帰っている間、ギョンヒはドンシクに愛を告白するが、侮辱されて追い出されてしまう。その様子を窓の外から覗いていた下女は、ドンシクを誘惑する。下女は妊娠し、それを知った妻は下女を階段から突き落とし、中絶に追い込む。子どもを失った下女は乱暴になり、ドンシク夫婦の息子のチャンスンを階段から突き落として殺してしまう。下女がすべての事実を工場の従業員にバラすと脅迫すると、妻は自分の家族を守るためにドンシクを2階の彼女の寝室に行かせる。結局、ドンシクは下女と心中しようとネズミ駆除剤を飲み、妻のそばで息を引き取る。最後は、新聞記事を読むドンシクと妻が一緒にいる最初のシーンに戻る。

「下女」で描かれた「額縁」という二重構造は、映画と現実の垣根をなくし、1960年代の独自のスタイルと技法を生かしたという評価を受けている。同時に、家父長制と近代化に抑圧される男性、階級と権力、支配と暴力、欲望と抑圧などに対するメッセージが込められている。評論家のチョン・ジヨン氏は、「キム・ギヨン監督にとって女性は原始的欲望の現身であり、男性を支配する危険な快楽であると同時に、近代的男性の欲望と抑圧を映す重要な鏡のイメージだ」と解釈した。

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「誤発弾」

「リアリズムとは、真実を語ろうとする作家にとって逃れることのできないくびきであり、羅針盤である」。

計理士事務所の書記チョルホは、戦争でノイローゼになって「逃げよう」と叫ぶ母親、栄養失調にかかった臨月の妻、幼い娘をはじめ、3人の弟妹を持つ一家の主だ。歯が痛くても歯科に行けない状況だが、現実を前向きに受け入れていた。これに対して親友のヨンホは、悲観的な現実を打開しようと銀行強盗をしでかすが、失敗に終わる。チョルホはヨンホが拘束されている警察署に行って彼に面会する。錯雑とした気持ちで家に向かう途中、妻が出産するという知らせを聞き、すぐに病院へ駆けつけるが、妻はすでに息を引き取っていた。相次ぐ不幸に挫折したチョルホは、妻の遺体を見もせずに病院の外に飛び出し、町の中をさまよい、歯科で歯を抜く。

「誤発弾」は、朝鮮戦争で故郷を失ったある家族の絶望に満ちた姿を通して、国家分断の悲哀や貧困など時代的苦痛がリアルに描かれた作品だ。映画評論家のキム・ジョンウォン氏は、この映画を「リアリズムの代名詞」と評価し、「国家分断の現実を描くことで乗り越えようとしたユ・ヒョンモク監督の時代的精神と強烈なテーマを高く評価したい」と語った。「誤発弾」は、この数十年間の様々な審査でいつも1位に選ばれてきた作品だ。

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「馬鹿たちの行進」

哲学を志すビョンテとヨンチョルは、フランス文学科の女子大生で同い年のヨンジャとスンジャに合コンで出会う。4人は、それぞれの悩みを相談したり、酒を酌み交わしながら話をするだけの関係だった。ビョンテはヨンジャに冗談のように「結婚しよう」と言うが、ヨンジャは哲学専攻では先が思いやられると彼の現実を悲観する。ビョンテとヨンジャはその後もデートをするが、ある日、ヨンジャはお見合いした男と結婚すると言ってビョンテの前から姿を消す。一方のヨンチョルは、スンジャに恋をする。しかし、どもりがひどくて取り柄がなく、軍入隊の身体検査にも不合格のヨンチョルをスンジャは拒否する。先の見えない状態でビョンテとヨンチョルは海へ向かう。クジラを獲りに行くと言ったヨンチョルは、自転車に乗って海岸の絶壁に上り、広大な海に飛び込む。しばらく落ち込んでいたビョンテは軍に入隊することが決まる。入隊の日、ヨンジャがビョンテを見送りに駅に来ていた。部隊へ向かう列車の窓を開け、ビョンテとヨンジャはキスをする。

「馬鹿たちの行進」は、当時花を咲かせた「青春文化」に焦点が当てられている。1970年代の若者文化のシンボルだったジーパンとフォークソング「クジラ獲り」をはじめ、合コンやマッコリ飲み競争などが所々に登場する。若さとロマンにあふれる大学生たちが感じていた理想と現実の間のギャップ、抑圧された現実に身悶えする青春の姿がこの映画の重要なメッセージだ。映画評論家のイ・サンヨン氏は、「馬鹿たちの行進」は新たに開発されたカメラズームを積極的に活用した独特な撮影技法を見せ、内容と同時に形式的な新鮮さも追求していると評価した。

韓国映像資料院が選定した101本の映画は、ソウル上岩洞の「シネマテック・コファ」で上映されていて、鑑賞は無料。詳細は同院のホームページを参照のこと。http://www.koreafilm.or.kr

(写真出所:韓国映像資料院)

コリアネット イ・スンア記者
slee27@korea.kr