慶尚南道統営市は、主要な港である江口岸を中心に文化と芸術、そして歴史が息づく街だ。
江口岸の入り江には映画「鳴梁‐渦巻く海」で敵艦を沈没させた忠武公・李舜臣将軍が率いていた亀甲船が浮かんでいる。
韓国だけでなく北米でも大ヒットした「鳴梁‐渦巻く海」で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時、倭寇の侵入を防いだ李舜臣将軍の鳴梁海戦に匹敵するほど、日本水軍を大きく打ち負かした1592年7月8日の閑山海戦の現場が統営の閑山島の沖合いだ。
1604年に統営に設置された慶尚道、全羅道、忠清道の三道水軍を指揮していた本営である三道水軍統制営の初代統制使も忠武公・李舜臣将軍だった。
忠武公・李舜臣将軍の業績を称え、1606年に王命によって建立された統営忠烈祠。李将軍の位牌が祀られている
そうした李将軍の業績を称え、彼の位牌が祀られた統営忠烈祠がある。壬辰倭乱が終了した1606年に王命によって建立されたこの祠堂には、統制使忠武李公忠烈廟碑が保存されているほか、忠武公関連の記録や遺物などが展示されている。
朝鮮時代の19世紀に建立された忠烈祠内の2階建て楼閣「江漢楼」
統営は数多くの文学者や芸術家らを輩出した文化・芸術の郷としても知られている。詩人のユ・チファンやキム・チュンス、キム・サンオク、小説家のパク・キョンリとキム・ヨンイク、画家のイ・ジュンソプとキム・ヨンジュ、チョン・ヒョンリムら、韓国を代表する芸術家らが幼年時代に創作と芸術の精神を養った地だ。
作曲家のユン・イサン(1917~1995)は、「私の音楽の全ては統営で始まった。故郷である統営の青い海の色や波の音など、そこで聞いた自然の音が全て音楽のモチーフになった」と語った。
作曲家ユン・イサンの故郷である慶尚南道統営市に2010年に建設された「ユン・イサン記念公園」内の展示室には、彼の音楽人生が垣間見られる記録と遺品が展示されている
2010年、ユン・イサンの生家の近隣に「ユン・イサン記念公園」が建設された。そこには、彼が残した音楽と彼の人生が一目でわかる様々な遺物が保管された展示室と、ベルリンで暮らしていた当時の家がそのまま復元された建物が屋外に展示されている。
「ユン・イサン記念公園」の屋外には、ユン・イサンがドイツ・ベルリンで暮らしていた家がそのまま復元されている
ユン・イサンは、1917年9月17日に慶尚南道統営市で生まれ、書堂と普通学校で学んだ後、大阪音楽学校で2年間にわたりチェロや作曲などを学んだ。その後、統営女子高校、釜山師範学校、釜山高校で音楽教師として務める傍ら、数多くの校歌や童謡などを作曲した。
彼の音楽的才能は、ドイツ・ベルリンに渡ってからさらに花開いた。1956年にパリを経てドイツ・ベルリンに留学し、1959年にダルムシュタット現代音楽祭「7つの楽器のための音楽」を発表し、大成功を収めた。1972年にはミュンヘン五輪開会記念オペラ「沈情」をはじめ数多くの作品を発表し、世界の音楽市場に名声を轟かせた。1977年~1987年にはベルリン芸術大学作曲科の教授として後進の指導に当たった。
ユン・イサン記念公園のイ・ジュンドさんは、「演奏が良くなければ、ベートーヴェンの曲であってもヤジを飛ばすほど、音楽に対しては非常に厳格なドイツの観客が、ユン・イサンがドイツで作曲した計154曲の中で1曲を除いて全ての曲にスタンデングオベーションを送った。ユン・イサンのことをよく知っていて、わざわざここを訪れてくるドイツ人も多い」と話す。
ユン・イサンがドイツ・ベルリンで作曲した154曲について説明するユン・イサン記念公園のイ・ジュンドさん
統営には「芸術にあふれる村」がある。「東陂浪(トンピラン)壁画村」だ。「東の崖の村」という意味の「東陂浪村」は、行き来するのが大変な高地にあるが、壁画が描かれることで一躍統営の名所に様変わりした。坂道の塀の壁に描かれた色とりどりの壁画が訪問客を迎える。
東陂浪壁画村を訪れた訪問客が、思い出に残そうと壁画の前で写真を撮っている
坂道に沿ってぎっしり家屋が並んでいるなか、ある家屋の屋上の部屋にコーヒーショップがある。そこでは江口岸の鮮やかな入り江を見下ろしながらゆったりとコーヒーを楽しむことができ、他では味わえないユニークな雰囲気を満喫できる。
東陂浪の向かい側には西に「西陂浪(ソピラン)村」がある。現在、ここを「第2の東陂浪」にしようという取り組みが行われている。
明井洞住民センターのキム・ヨンウ洞長は、「ここにある99段の階段を活用してテーマのある階段、物語のある階段とし、その横にきれいな花を植えて花園をつくった」と説明する。
慶尚南道統営市の「西の崖の村」という意味の西陂浪村にある99段の階段
99段の階段の中間地点は、レッドカーペットのように赤く塗られているほか、馬乗り型の椅子や‘お尻椅子’など、訪問客が写真を撮って思い出を残せるオブジェが設置されている。
また、くすんだ路地裏や古びた家、塀などに明るくて鮮やかな色のペイントが施され、町のイメージを爽やかにしている。また、木材やスプーン、箸などいろいろな材料をリサイクルして制作されたオブジェが村の入口に設置されており、訪問客を温かく迎える。
統営の「西陂浪村」には、誰でも気軽に笑顔で挨拶する通りに指定された区間がある
くすんだ路地裏と古びた家、塀などに施された明るく鮮やかな色のペイントが西陂浪村のイメージを爽やかにしている
キム洞長は、「誰一人として関心を持たず、立ち遅れて孤立していたが、住民と協力して“人が訪ねてくる町”として、東陂浪村とともに統営の風情を味わえる名所に変えていきたい」と話す。
記事:コリアネット ソン・ジエ記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
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