大韓民国歴史博物館にて開かれている「同胞に告げる:アン・ジュングン(安重根)獄中遺墨」展示では、独立運動家である安重根義士が、中国の旅順監獄で書いた遺墨の中、2016年に日本から故国へ戻ってきた「黃金百萬兩不如一敎子」がある。
[キム・ウニョン]
[写真=大韓民国歴史博物館]
独立運動家の安重根(1879~1910)義士が獄中で書いた「遺墨」が公開された。
安義士が1909年、満洲ハルビン駅で朝鮮統監府の初代統監である伊藤博文を射殺した後、翌年2月14日、中国の旅順監獄で死刑執行を待ちながら書いた遺墨が、大韓民国歴史博物館特別展「同胞に告げる:安重根獄中遺墨(Last Words to My Fellow Koreans:Ahn Junggeun's Calligraphies from Prison)」で展示されている。
この展示会では、安重根義士の殉国日(1910年3月26日)に合わせ、彼が獄中で残した遺墨7点が展示されている。5月28日まで展示される遺墨の中、「黃金百萬兩不如一敎子」と「志士仁人殺身成仁」の2点は百年以上の時間を日本で過ごした。とうとう、2016年に故国へ戻ってきて、(韓国)国内で初めて公開された。
アン・ジュングン(安重根)義士が中国の旅順監獄で書いた「極楽」(写真)を含めた遺墨には、彼の左手拇印が押されている。
「黃金百萬兩不如一敎子」は、安義士が中国の旅順監獄に収監された時、監獄の警守係長だった中村家が所蔵していた。「黃金百萬兩も子どもの教育には及ばない」という意味のこの遺墨は、教育救国運動を先導した安義士の教育哲学が現れている。
「志士仁人殺身成仁」は、安義士の公判を取材した高知県にある土陽新聞社の通信員である小松元吾が安義士から直接譲り受けたもので、彼の子孫である小松亮が家宝として保管してきた。「高い志を持つ士と善良な人は、正しいことのために命を捨てる」という意で、(朝鮮)独立に対する安義士の決然とした意志が現れている。
この他にも「國家安危勞心焦思、国家の安危を案じ心を痛めている」、「爲國獻身軍人本分、国のために身を捧げるのは軍人の本分である)」なども展示されている。
キム・ヨンジク(金容稙)大韓民国歴史博物館の館長は「今回の展示を通じて、教育家でありながら士(ソンビ)であったし、義兵長でありながら宗教人であった安義士の多様な姿を覗き見る契機になればと思う」と述べた。
韓国で初公開された安義士の遺墨「志士仁人殺身成仁」は、大韓民国歴史博物館の「同胞に告げる:安重根獄中遺墨」展示で確認できる。
eykim86@korea.kr