[釜山=キム・へリン、イ・ギョンミ]
[写真=ゾン・ハン]
[映像=イ・ハナ、チェ・テシュン]
釜山(プサン)は一時、大韓民国の首都であった。韓国戦争(1950~1953)中の1023日間、釜山は大韓民国の臨時首都であり、全国から集まってきた避難民にとっての生活の拠り所でもあった。
釜山の街では、「臨時首都」との言葉が入ってる道路名や案内板を今でもよく見かける。当時の歴史や避難民の苦しみが感じられる文化遺産も所々に残っている。1月には「避難首都としての釜山」のおもかげをとどめている8カ所の文化遺産が、韓国の20世紀近代遺産としては初めて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産登録に推薦するための暫定リストに入った。
韓国戦争が起きた当時、青瓦台の役割を担当した臨時首都大統領官邸=19日、釜山
臨時首都大統領官邸と政府庁舎 北朝鮮の侵略で戦争が発生し、北朝鮮にソウルを占領された政府は、釜山を首都にした。臨時首都大統領官邸(現 臨時首都記念館)は、停戦協定が行われるまで約3年間、今の青瓦台(大統領府)の役割を担当した。当時の緊迫した国防・外交・政治など、韓国の近・現代史における大事な事件が起きた象徴的な空間だ。
臨時首都記念館内に復元された当時大統領官邸の応接室=19日、釜山
1926年、日本による植民地時代に慶尚南道(キョンサンナムド)道知事の官舎として造られた建物で、和風と洋風が混ざり合った建築物。釜山市は1984年、ここを臨時首都記念館として開館した。1階には、大統領官邸に使われた応接室や執務室が再現され、2階には李承晩(イ・スンマン)元大統領の遺品や戦争の遺物が展示されている。
避難政府の日常的な国家業務が行われた臨時首都政府庁舎=19日、釜山
臨時首都記念館から見下ろすと、臨時首都政府庁舎(現 東亜大学石堂博物館)が目に入る。国務会議所や国務総理室をはじめ、政府の主要機関が集まっていた場所で、避難政府の日常業務が行われた。今は、東亜(ドンア)大学が博物館として活用している。国宝2点、宝物12点など重要文化財が保管されており、3階では当時の建物図面や屋根の構造を見ることができる。臨時首都大統領官邸と共に韓国近代史における政治・社会の変化が確認できる代表的な近代建築物だ。
当時の様子が残っている牛岩洞ソマク村=20日、釜山
避難民の生活の基盤、牛岩洞ソマク村わずか一人がやっと通れるくらいの狭い路地に古家が軒を並べている牛岩洞(ウアムドン)ソマク村。ここは日本による植民地時代に、韓国から日本へと搬出される牛の検疫が行われる仮小屋があったところだ。「興南撤収作戦」(国連軍と韓国軍、一般市民がともに興南(フンナム)の港からアメリカ海軍の艦船により脱出した大規模な海上撤収作戦)以来、急に増えた避難民を受け入れる施設が不足し、避難民がここに仕切りを立てて暮らし始めた。ソマク村は5月、近代文化遺産価値が認められ、登録文化財に指定された。登録文化財とは、近代文化遺産のうち保存・活用の価値が高い文化財を管理するもので、文化財委員会の審議を経て定められる。
「避難首都としての釜山」を案内するキム・スンフェ解説士は、「今になって見ると心痛む場所だが、避難民が諦めずに生きてきたことを見せてくれる場所」とし、「それが今の大韓民国を発展させた原動力となったということを覚えなければならない」と強調した。キム解説士は「牛岩洞ソマク村は、当時避難民の生活像が分かる文化遺産」とし、「年内にユネスコの世界文化遺産暫定リストに追加される予定」と付け加えた。
11カ国2300柱の遺骸が葬られている国連記念公園=19日、釜山
平和のため戦った参戦勇士が眠っている国連記念公園国連記念公園の追慕館に保存されている映像記録物に登場するある参戦勇士はこう話した。
「あなたの明日のため、僕の今日を捧げた」
韓半島の自由と平和のため、戦争で命を捧げて戦い、死を迎えた国連参戦勇士らが葬られている記念公園には、記録的な猛暑にもかかわらず献花する人々が後を絶たない。
ここは国連が公式に認めた世界唯一の国連軍墓地だ。1951年に国連軍司令部が造成し、韓国国会が1955年国連に土地を永久的に寄贈した。現在、英国・トルコ・フランスなど11カ国2300柱の遺骸が葬られており、11カ国からなる国連記念墓地の国際管理委員会が管理する。
釜山市都市再生課の避難遺産登録チームのハ・ビョンオム主務官は「(国連記念公園は)平和を守るため、青春を捧げ犠牲になった人々が眠っているところ」とし、「国際社会が一つになって、平和に向け取り組んでいる今、戦争が再び起きてはならないというメッセージを発信する」と説明した。
世界唯一の国連墓地である国連記念公園に掲げられている韓国戦争参戦国の国旗=19日、釜山
今まで、ユネスコの世界文化遺産暫定リストに登録された遺産は、臨時首都大統領官邸や政府庁舎、国連記念公園以外にも、戦争当時の軍需物資・援助物品が入ってきた釜山港の第1埠頭、毎日定刻の気象観測で軍事作戦と避難民の生活の助けとなった国立中央観象台(現 釜山地方気象庁)、連合軍の洛東江(ナクトンガン)防御線総指揮本部だった国連地上軍司令部(現 釜慶大学ウォーカー・ハウス)、各国外交の窓口で文化交流の窓口でもあった米国大使館兼米国広報院(現 釜山近代歴史館)、在韓米軍釜山基地司令部として使われたキャンプ・ハイアリア基地(現 釜山市民公園)の現在計8カ所ある。
釜山市は釜山観光公社と共に、2025年までユネスコ世界文化遺産への最終登録を目指して、避難首都文化遺産の解説士養成、避難首都釜山世界遺産を勉強する市民アカデミーなど、様々な事業を展開している。
kimhyelin211@korea.kr