景福宮の勤政殿
[ソウル=佐々木和義(日本)]
[写真=佐々木和義]
新型コロナウイルスの拡散で、外出する人が少なくなって、奇しくも伝統建築を撮る好機になりました。建築写真を撮るとき、人が写り込まないように長い時間待つことがよくありますが、その待ち時間が短くなりました。
景福宮の慶会楼
朝鮮時代の建築物や復元された 百済時代、新羅時代の建築物は、多くが柱は紅色で、窓の桟や庇など翠色が使われています。
駐日韓国文化院によると、韓国の伝統色は、青、赤、黄、白、黒が基本で「五方色」といい、それぞれ木・火・土・金・水の五行を表します。
昌徳宮の仁政殿
黄色は土で最も高貴な色。王の服に使われました。青は木で鬼を避けて福を祈る色。白は金で潔白と真実、純潔などを意味する色。赤は火で生成と創造などを意味し、悪霊を避ける色。黒は水で人間の知恵を司る色とされています。
悪霊を避ける「赤(紅)」と鬼を避けて福を祈る「青(翠)」のコントラストは、韓国の百済時代や新羅時代、朝鮮時代の建築、そして日本の奈良時代の建築に見られる組み合わせです。
宗廟
古宮は「赤(紅)」と「青(翠)」が基調ですが、王の位牌が祀られている宗廟は「赤(紅)」1色。悪霊を避ける意味合いでしょうか。紅の柱と壁、黒い瓦屋根、青空のコントラストが美しい建物です。
奈良の枕詞である「青丹よし」の「青」は翠色、「丹」は紅色を指し、紅と翠に彩られた美しい都市を意味します。
「千早ぶる神世もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」
日本で平安時代の美男の代名詞とされている在原業平の歌ですが、「からくれない」は漢字で書くと「唐紅」または「韓紅」です。
「唐」は舶来を意味する字で、韓国から渡来した「紅」を意味する「韓紅」といわれています。
西暦663年、百済と倭の連合軍が、白村江の戦いで新羅と唐の連合軍に敗れて、多くの百済の人々が倭軍とともに九州に逃れました。当時、倭国と呼ばれた日本に移住した百済人、数百人が当時、首都があった近江に移住したという記録が日本書紀にあります(天智四年二月)
707年に平城京(奈良)遷都を発議した文武天皇の祖母で天武天皇の皇后だった持統天皇が百済人を重用した記録が日本書紀にあり、百済から日本に移住した職人たちが、紅と翠を伝えたと考えられます。
韓紅は、日韓交流を物語る色彩といっても過言ではないでしょう。
*この記事は、日本のコリアネット名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。
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