[仙台=木村吉貴(日本)]
2020年に突如世界的大流行したコロナ渦の影響により、韓国へ行きたいけど行けなくなった方が沢山いたのではないかと思います。今回はそんなコロナ渦にも負けず、日本で韓流ファンの為に活動を続けている株式会社クリエイティブパルの編集長である野田智代さんにお話をお伺いしました。
1.野田さんの韓国に関する経歴と日本で韓流ブームが起きたときの背景
野田智代さん=野田智代提供
・野田さんと韓国
幼少時から元々韓国に興味があった野田さん、本格的に韓国に関わるきっかけとなったのは大学進学時の時まで遡る。90年代後半、当時はまだ「第二外国語」として韓国語を学べる機会や環境が整っておらず、一般的に外国語大学に進学しなければ韓国語を学べなかったのだが、野田さんが進学した大学では偶然にも第二外国語として韓国語の授業が存在したため、迷うことなく韓国語の履修をした。
これが契機となり、大学3年生の時に日本の大学を休学してソウルへ留学。留学後は「韓国」に関わる仕事を希望し、持ち前の語学力を生かし、日本にて韓国の新聞社、雑誌社、映画配給会社への就職を果たす。
・韓流ブームの波
野田さんが社会人になった2000年代前半は日本と韓国の間で少しずつ変化が訪れていた。日韓ワールドカップが開催され、日本でも少しずつ韓国に対して関心を持ち始める人たちが増え続け、「冬のソナタ」をきっかけに爆発的に「韓流ファンが」が増え続ける。この波は現在でも止むことなく年々増加している。
当時は日本人の韓国語話者が圧倒的に少なかった時代。編集業務に携わっていた野田さんは、韓国へ取材に行けば現地の方々に重宝され、眠らずに仕事をしていたという。時にはある日突然連絡が来たかと思うと、次の日には取材のため、カバン一つで東京から韓国へ行ったというエピソードもあったようだ。
その後退職し、フリーランスの編集者になった野田さん。KNTVガイドの編集に10年程携わったが、「今度はじっくりとお客さんと向き合う自分史分野で活動がしたい」と思うようになり、2019年に株式会社クリエイティブパルを設立。現在は韓国ファン向けのメモリアルブックの編集や自分史の制作サービス、駐横浜大韓民国総領事館のコンテスト企画などを行っている。
2.日本の韓流ファンの為に開催した駐横浜韓国総領事館で行ったオンラインコンテストの経緯とこれまでを振り返って
駐横浜韓国総領事館が行った韓国に関するオンラインコンテスト。このコンテストが始まったきっかけは、若き外交官のハン・サンヒョク領事が大変なアイディアマンであったこと。コロナ禍で韓国に行きたくても行けない人たちのため、ハンさんはコロナ禍でも日韓交流ができる手段としてオンラインを活用したいと考えていた。知人であった韓国地方旅プランナーの方が領事館に縁があり、そのつながりでオンラインサポーターズに任命され、野田さんもオンライン上で日韓交流を盛り上げるミッションを与えられた。
領事館から「やりたい企画があれば提案してほしい」と言われていた中、野田さんは自らが立ち上げた「韓流自分史」を知ってもらうために、「第1回 私の韓流メモリアルコンテスト」を考案した。想い出エピソードを募集し、優秀者への賞品としてメモリアルブックを作るという企画だった。ほぼ1か月で準備をして、不安で胃を痛めながら手探りで始めたコンテストだったが、予想以上に好評だった。その結果が領事館にも認められ、それ以後も、民間交流を目指したイベント企画をサポーターズそれぞれが考えていくことになった。
3.記念すべき第1回目のオンラインコンテスト「私の韓流メモリアルコンテスト~とっておきの想い出エピソード」
駐横浜韓国総領事館の総領事とコンテスト受賞者 副賞の韓流メモリアルブック=野田智代提供
2020年に開催された「私の韓流メモリアルコンテスト~とっておきの想い出エピソード」は「想い出」をテーマにしたコンテストだったため、旅での出来事や韓流生活に関するエピソードが中心だった。そのなかの多くの応募者が「韓国と出会って人生が豊かになった」「救われた」などと表現していた。応募者の作文を読んで、韓国がただの「趣味」や「好き」という感情ではなく、もっと深く、「人生を変えるほど」の影響力をもっていることがよくわかった。また、BTSや東方神起といったK-POPアーティスト、そして韓国ドラマから生きる希望をもらったという人も多くいた。
こういうことから、韓国エンタメはただ人を楽しませるだけではなく、人を生かす力があるということも感じ取ることができた、と振り返る。そして日本で初めて行われた記念すべき第一回目のオンラインコンテストということもあり、領事館側の強い要望もあって、受賞者を領事館に招待し、授賞式も行われた。受賞者は普段韓国領事館に行ったり、領事館の方々と交流する機会は殆どないので、忘れられない貴重な体験だったという声が上がった。
4.「私の韓流生活あるある大募集」
「私の韓流生活あるある大募集」「韓流チョアチョアなんでも1分間」Instagram動画コンテストの広告= 野田智代提供
2021年6月に行われた第二回目のオンラインコンテストは、韓国が好きな人なら誰もが共感できる「私の韓流生活あるある大募集」を実施した。「私の韓流生活あるある大募集」とは、日常生活の中で「ついやってしまう」「よくある」「分かる」などといった共感を言葉にして応募するものだ。
本コンテストでは「韓国語と日本語が混ざる」「韓国料理が日常化する」といった投稿が多く、応募書全員が毎日同じことを感じながら生活している様子が伺え、不思議な連帯感が生まれた。コロナ禍でも、このように笑って共感し合えるイベントを実施できたことは、野田さんが長年、目標にしてきた「韓流業界への恩返し」に一歩近づけたようで嬉しかったそうだ。
編集者の経験を活かし、特に面白かった「あるある」フレーズ50作を「豆事典」という名の小冊子にして、賞品にもした。フレーズに添えたお姫様のイラストや、モダンコリアンを意識したデザインは、大変好評であり、野田さん自身も気に入りだ。共に制作にあたってくれたイラストレーターやデザイナーに感謝しているという。
因みに本コンテストで筆者が共感できた「あるある」は「天気予報を見ているときに無意識に韓国の方を見てしまう」というものだった。
「私の韓流生活あるある豆事典」電子ブック
https://www.hanmemo-info.com/digitalbook/?pNo=1
5.「韓流チョアチョアなんでも1分間」Instagram動画コンテスト
2021年11月に行われた「韓流チョアチョアなんでも1分間」Instagram動画コンテストは、1分の動画で韓国愛を表現するコンテストだ。これは、領事館側からリクエストされた企画で、野田さんがその想いを忠実に汲み取り、実施に至った思い出深いイベントである。
印象的だったのは、10代、20代の若い応募者の多くが、日本で学んだ流暢な韓国語でナレーションを入れてきたことだ。とてもキレイな発音で韓国語を話す子が多く、今の若者たちはYouTubeやアプリを通じて、耳から覚えるのがうまいと感じた。留学で韓国語を学んだ野田さんにとっては、ある意味で衝撃的だったそうだ。
そして、若い世代の子たちが、韓国という国と真剣に向き合っている姿に、ただ感動させられた。20年以上、韓国と関わってきた野田さんだが、初心に戻る機会となり、すぐにできることは何かと考え、まずは、すっかり衰えてしまった韓国語を再び学びなおすことにしたそうだ。日本の韓流ファンがその韓国愛を表現できるコンテストとして大変好評だった。
6.韓国のプロフェッショナルである野田さんが次に韓国でやりたい事とは?
インタビューの様子=木村吉貴撮影
4回目のオンラインコンテスト「私の韓国地方旅 ときめきエピソード」の準備に追われ、今も尚、韓国とつながりを持ち、これまで仕事では何度も何度も渡韓歴がある野田さん。だが、実は「旅行」が目的で韓国を訪れたことは、ほとんどない。多忙な編集業務や子育て期間もあり、なんと10年間、韓国に行けない時期があったそうだ。これには記者も驚いた。
いよいよ、観光渡航が再開された今、韓国でやってみたいことがあるのだという。それは、「フィールドワーク」だ。あまり聞きなれない言葉だが、「フィールドワーク」とは、現地を実際に訪れて調査や研究を行うこと。元々「歴史」に興味があり、一時期は考古学者に憧れていた野田さんは、次回、韓国に行った際には、土壁や石塀が美しい集落、歴史的建築物や「韓屋」を専門家と一緒に見て回ることを夢見ている。
*この記事は、日本のコリアネット名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。
km137426@korea.kr