名誉記者団

2023.12.28

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【文=岡本美砂】

KOREA.net名誉記者として活動し、何より得難い経験となっているのは、仕事ではお目にかかる機会のない方に取材できることです。 今回、テコンドーの第一人者、朴禎賢(パク・チョンヒョン)氏にインタビューし、テコンドー初体験をさせていただきました。

朴禎賢氏=朴禎賢氏提供

朴禎賢氏=朴禎賢氏提供


【輝かしい経歴】

朴禎賢氏は、テコンドー国際師範で国際審判員A級。国際テコンドー連盟(ITF)テコンドー7段師賢。全日本テコンドー選手権大会では、1990年の第1回大会から1997年の第8回大会まで、全四階級に出場、通算3度の優勝と4回の準優勝、1回3位という好成績を残しました。さらに、1990年から1999年まで10年連続で世界選手権大会に出場、2000年から2009年まで国際審判員として世界大会を支え、2009年「最優秀審判員」に。2010年からベテラン世界大会に出場、10年連続での決勝に上がり、3連覇という偉業を成し遂げました。

1999年にテコンドー・ファラン朴武館を設立。これまで5000名を超える入門者、800名の有段者、100名を超える師範、副師範、指導員を育成され、歌手のGACKTさんも13年間指導されたそうです。

現在の役職は、ITF競技委員、アジアテコンドー連盟EBメンバー、日本国際テコンドー協会理事、ファラン朴武館名誉会長・最高技術顧問です。

今年8月に行われた第22回ITF世界選手権大会にて、大会運営にあたったITF競技委員会・審判委員会の役員と記念撮影を行う朴禎賢氏(右から2番目)=朴禎賢氏提供

今年8月に行われた第22回ITF世界選手権大会にて、大会運営にあたったITF競技委員会・審判委員会の役員と記念撮影を行う朴禎賢氏(右から2番目)=朴禎賢氏提供


【テコンドーとの出会い】

朴禎賢氏にテコンドーとの出会いについて尋ねたところ、祖父の代に来日したことに話が及びました。1918年に慶尚南道密陽郡で生まれた祖父が1938年玄界灘を渡って日本へ。父は1944年大分で生まれ、母との結婚を機に大阪に移り住み、1969年、朴禎賢氏は大阪で在日三世として生を受け、滋賀県で育ちます。

「生きてゆくためには強くなければいけない」という父の信念の下、朴禎賢氏は弟の朴禎祐氏と共に「剛柔流空手道 正剛館 甲賀石部道場」に通うことになります。朴禎賢氏7歳。ここから彼の武道人生がスタートしたのです。中学・高校時代も武道を継続し、1988年朝鮮大学校でテコンドーと出会い、その後の運命が大きく転換するきっかけとなりました。1989年第1回関東学生選手権大会(現在の全日本学生選手権大会)二部無差別級で優勝、1990年3月1段昇段、以後は、先に記した通り、常にトップランナーとして活躍してきました。大学卒業後、韓国・朝鮮の味を提供する食品メーカー「モランボン株式会社」に就職、モランボン・テコンドー荒川道場指導員として働きながらテコンドーを学び、テコンドー指導者として活動できる環境にあったことも、大きな支えになったといいます。

初めて世界選手権の代表選手に選ばれた時、祖父は「朴家の歴史の中で世界大会の檜舞台に出るのは初めてだ。ご先祖が喜んでいる。朝鮮を離れ日本で苦労を重ねて生きてきたが、孫が朝鮮人として堂々と胸を張って立派に世界に出るとは……」と感無量で「勝負では無心の心が肝心だよ」とアドバイスしてくれたそうです。朝鮮民族のアイデンティティを忘れまいという思いが、国技であるテコンドーに打ち込む原動力になっているように思えました。

テコンドー・ファラン朴武館の戸田道場にて稽古風景=岡本美砂撮影

テコンドー・ファラン朴武館の戸田道場にて稽古風景=岡本美砂撮影テコンドー・ファラン朴武館の戸田道場にて稽古風景=岡本美砂撮影


【道場に通う稽古生】

現在30の道場でテコンドーに励む稽古生はどのような人々なのでしょうか。埼玉県・戸田市にあるファラン朴武館本部道場で話を聞きました。

3歳の息子を昨年から通わせているという母親は、「武道を習わせたいと思っていくつかの教室を回ったところ、息子がテコンドーをやりたいといった」と言います。「国際交流もでき、日本語のいち、に、にあたる練習時の掛け声がハングルなので、いつの間にかハングルの数字も覚えた。何より楽しそうに通っているのが嬉しい」。

父が日本人、母が韓国人だという社会人1年生の男性は、「母の希望で5歳からテコンドーを始めました。学校になじめず、辛い時期がありましたが、国籍は関係なく、ひたすら無心に打ち込める道場の環境に救われました」。

実際、私が見学した日も、日本人と共に韓国、中国、ベトナムの稽古生が練習に励んでいました。中には、親子、兄弟で稽古に取り組む姿も。最近は、複雑な家庭環境で子どもの精神面が不安定なのを心配したシングルマザーや、来日して日が浅く、日本語でコミュニケーションがうまくとれない在日外国人が門をたたく例が少なくないそうです

最初の師匠である崔泓熙氏と

最初の師匠である崔泓熙氏(左から2番目)と=朴禎賢氏提供


【師の教え】

朴禎賢氏には3人のテコンドーの師がいます。創始者の崔泓熙総裁に「テコンドーの神髄と人の道」を学び、日本テコンドー生みの親である全鎮植(ジョン・ヂンチク)先生に「人の生き方」を学び、黄進(ファン・ジン)師聖に「テコンドーの技と心」を学んだといいます。今、弟子を育てる立場になり、師の「若い時はやってみせ、年をとったら理論で教え、死んだ後は生き様で教えなさい」という言葉の意味をかみしめているそうです。

朴禎賢氏は2008年に発足した「日韓伝統武芸人交流会(日本代表団団長 岩本明義)」で現在事務総長を務め、「高麗神社1300年記念祭」にてテコンドーの奉納演武を行い、2012年には「高麗若光の会(名誉会長 高麗神社第60代高麗文康宮司)の事務局次長に就任するなど、日韓の友好親善にも努めています。

【テコンドーで友好親善を】

初めて20歳で世界大会に出場した時、世界中の国からテコンドーの師範や一流選手が集まり、民族や国籍、思想や宗教を超えてテコンドーに親しむ姿に感動した朴禎賢氏は、テコンドーの力で世界の人々と友好親善を深めたいと考えるようになりました。

「1998年に国際師範、国際審判員になってから、これまで50カ国以上の国々を回り、今では五大陸全てに友人ができました。これも全てテコンドーのおかげです。テコンドーの精神は、自分を磨き、高めること。武道の修練に終わりはありません。テコンドーの修練鍛錬を、100歳を目標に積み重ねてゆきたいと思っています。そして、苦楽を共に歩んできた同僚の師範や道場の仲間たち、弟子たちと共に武道の奥深さを探求し人格の形成を追い求めていきたいです」。

「テコンドーで友好親善を」。この言葉に、曽祖父や祖父が巻き込まれた不幸な時代を二度と繰り返してはいけないという教訓と、平和で豊かな明るい未来を築きたいという願いが込められていると感じました。

筆者も稽古に参加し、テコンドー初体験=朴禎賢氏提供

筆者も稽古に参加し、テコンドー初体験=朴禎賢氏提供



*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が制作しました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。

km137426@korea.kr