名誉記者団

2024.02.05

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【文=岡本美砂】  

韓流ブームはドラマや映画、K-POPに限らず、文学の分野にも及んでいます。

出版不況が続く日本でも、日本語に翻訳された韓国の書籍(K-BOOK)が続々と出版され、店頭に韓国書籍コーナーを設ける書店も増えてきました。K-文学のブームを支えたK-BOOK振興会の事務局長で「チェッコリ」の広報・宣伝に携わる佐々木静代さんにお話を伺いました。

【K-BOOK振興会】

K-BOOK振興会は、韓国の書籍の翻訳出版を手掛ける出版社クオンが、日本での韓国文学振興を目的として、2011年に設立。2020年からは、より充実した活動を進めるため、一般社団法人として新たなスタートをきりました。

活動の柱は主に3つ。1つ目は、出版関係者向けに翻訳出版をおすすめしたい本を毎週1冊紹介する「日本語で読みたい韓国の本」。2つ目は、読者向けに日本語訳された韓国の本を紹介する「日本語で読める韓国の本」。3つ目は「K-BOOKを作る人、届ける人、ファンがつながる」をテーマにした韓国本の祭典「K-BOOKフェスティバル」の開催です。関連して、優秀な新人翻訳家の発掘・育成を目指した「日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール」「K-BOOK読書ガイド『ちぇっくCHECK』の出版、「翻訳者育成プログラム」の開催、「韓国の出版・本屋事情」の情報発信、日韓の出版関連者の交流事業も行っています。

https://k-book.org/

K-Bookフェスティバル会場パネル(K-Book振興会提供)

K-Bookフェスティバル会場パネル(K-Book振興会提供)


【日本におけるK-文学の軌跡】


2011年から〈新しい韓国の文学〉シリーズを始めていた韓国書籍専門の出版社クオンや、2016年9月から〈韓国女性文学〉シリーズを出し始めた書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)など、いくつかの先駆的な例はありましたが、2016年当時、日本で出版された韓国文学は年間20点ほどでした。

2017年頃から始まった若い女性を中心とした第3次韓流ブームに加え、出版社合同の韓国文学フェア開催、韓国作品が世界的文学賞を受賞したことで、K-文学への注目が高まってきたところに『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著 斎藤真理子訳 筑摩書房)が出版されます。作品は、女性が生涯に受ける困難や差別を描いた小説で、「フェミニズム小説」ともいわれ、2018年12月に発売されると、わずか2日で2刷、4日に3刷と版を重ね、異例のヒットとなりました。韓国では136万部超、台湾や中国でもベストセラーになり、ベトナムやアメリカ等25カ国で翻訳され、チョン・ユミとコン・ユの共演で映画にもなりました。

佐々木さんは、『82年生まれ、キム・ジヨン』のヒットでK-文学の潮目が変わったといいます。「当初は若い女性が中心でしたが、現在では読者層は10代から60代女性にまで広がりました。韓国語を学び、自ら内容を判断できる編集者も増えています。2019年から2020年には、エッセーでヒット作が相次ぎました。これには、K-POPアイドルの愛読書として紹介された影響も大きいと思います」。

韓国エッセーブームの皮切りは2019年に発売された『私は私のままで生きることにした』(キム・スヒョン著 吉川南訳 ワニブックス)。2023年11月時点で発行部数は58万部を超え、日本における韓国翻訳本の売上最多記録を打ち立てました。日韓で170万部を突破したこの作品はBTSのジョンググの愛読書としてSNSで話題となりました。『死にたいけどトッポッキは食べたい』(ペク・セヒ著 山口ミル訳 光文社)はBTSのRM、『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン文・イラスト 岡崎暢子訳 ダイヤモンド社)は東方神起のユンホの愛読書として紹介され、若い世代を中心に、いずれも10万部を超えるヒットとなっています。

韓国では政府が出版・文学支援の施策を行っており、韓国書籍の翻訳事業に1作品当たり約500万ウォン(約50万円)の助成金を出す制度を設けるなど国外展開を後押ししています。そうした支援もあり、2020年には小説、エッセー、アーティスト本を含め、韓国関連本が100冊以上発行されるようになりました。

K-文学の歩みを年代別に記したパネル(筆者撮影)

K-文学の歩みを年代別に記したパネル(筆者撮影)


【K-BOOKフェスティバル】

今年で5回目を迎えた「K-BOOKフェスティバル」は11月25日・26日の2日間にわたり、神田神保町の出版クラブで開催されました。出展した出版社は韓国から来日した4社を含む40社。会場ではトークイベントをはじめ、出版社ブースでは書籍の販売や著者のサイン会などのミニイベントを開催。韓国のお菓子、雑貨の販売に加え、韓紙を使った栞づくりができる、韓国文化体験コーナーも設けられていました。

私は初日の25日に会場を訪れ、『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の著者ファン・ボルムが伝える「よく読み、よく休むこと」と、「詩の言葉は踊る、弾む、こえる。キム・ソヨン×オ・ユンの二人の詩人と楽しむ韓国の詩」の2つのトークショーに参加しました。

『ようこそ、ヒュナム洞書店』の著者であるファン・ボルムさんが「よく読み、よく休むこと」について担当編集者の質問に答える形でトークショーは進められました。好きなジャンルは小説で、月に5~10冊は読むこと。リビングやカバンの中に常に本を入れておき、複数の本を並行して読み進めていること等、読書スタイルについて述べた他、かつて会社員だった時「燃え尽き症候群」になったことがあり、以来休むことを大切にしており、朝夕1時間の散歩を日課としているとプライベートなエピソードを披露、著者の素顔に触れたことで、親近感が一層増したように感じました。

作家のファン・ボルムさん(筆者撮影)

作家のファン・ボルムさん(筆者撮影)


キム・ソヨンとオ・ウン、二人の詩人と楽しむ韓国の詩では、キム・ソヨン『数学者の朝』から「数学者の朝」と「オキナワ、チュニジア、フランシス・ジャム」、オ・ウン『僕には名前があった』から「三十歳」と「待つ人」それぞれ2編の詩が紹介されました。二人が詩人になったエピソードが印象的で、キム・ソヨンさんは1987年の民主化運動の際、バスで1時間の道のりを7時間歩いて帰宅した際、権力と無関係の生き方をしたいと思って詩人を志したといいます。一方のオ・ウンさんは、浪人時代に書いたメモを兄が文芸誌に投稿したところ、見事当選、文壇デビューとなったそうです。

東京に来る前、二人は熊本県水俣市を訪れ、水俣病と向き合ったといいます。「日本窒素肥料株式会社」(後のチッソ株式会社)は1932年から、有機水銀を含んだ排水を水俣湾へ流し続けていました。そのため汚染された海産物を食べた人たちが、深刻な有機水銀中毒を起こしました。これが「水俣病」です。戦前、朝鮮に進出したチッソが、朝鮮や中国東 北部に大規模な水力発電所を造り、朝鮮窒素肥料株式会社として、従業員 45000人を抱 える巨大な興南工場を中心とする東洋一の電気化学コンビナートを造り上げ、肥料、油 脂、火薬など、軍需産業としても重要な位置を占めていたことは、あまり知られていません。「今まで何度も日本各地を訪れていたのに、表面的にしか見ておらず、初めて日本の傷に触れた気がした」とキム・ソヨンさんは述べ、これは旅だけでなく、詩の世界にも言えることだと言いました。

言葉遊びに長けたオ・ウンさんは、良い詩人になるにはという問いに、無用のことをやり遂げる「無目的の目的」を持ち続けることと答え、あたりまえと一般の人が捉えることを問いかけられる人が詩人なのでないか、と語りました。

https://k-bookfes.com/

詩人のキム・ソヨンさん(左)とオ・ユンさん(右)(筆者撮影)

詩人のキム・ソヨンさん(左)とオ・ユンさん(右)(筆者撮影)


日本で多く読まれている70年代や80年代に生まれた若手作家が繰り出す作品には、読む人の心に寄り添い、モヤモヤした思いを代弁し「自分の話だ」と思わせるところが支持を集めているのではないかと感じます。私自身、今年13冊のK-文学を読みましたが、社会性のあるところに強く惹かれます。個人的には、ハン・ガンの作品が好きで、どれか1冊を挙げるとするならば『少年が来る』を選ぶでしょう。初めてK-文学を読む人には、2020年本屋大賞 翻訳小説部門で1位となった『アーモンド』(ソン・ウォンピョン著 矢島暁子訳 祥伝社)を薦めます。

K-BOOK振興会が中心となって、出版社が連携し、書店とタッグを組んで盛り上がりを見せているK-文学。K-BOOKフェスティバルでも、これは一過性のブームにとどまらず、日本市場に定着しているのを実感しました。今は大半が女性読者ですが、男性にも広がれば、第5次韓流ブームの一翼を担うのは、K-文学になるかもしれません。

*この記事は、日本のKOREA.net名誉記者団が書きました。彼らは、韓国に対して愛情を持って世界の人々に韓国の情報を発信しています。

hjkoh@korea.kr