「日中両国は一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する」、1972年9月29日、日中国交正常化を果たした、田中角栄首相と周恩来総理との間でなされた日中共同声明の前文の一節です。
「一衣帯水」、つまり、日中両国は、一本の帯のような幅の狭い海によって隔てられた近く、また「長い伝統的な友好の歴史」を有する親しい国と云う意味です。古代における遣唐使の派遣など日本は中国文明から多くのものを受け取ってきました。
これに倣って、中国よりもっと近い日韓関係を「一葦水」(いちいのみず)の間にある隣国、すなわち一本の葦のように細い水(海)によって隔てられた近い、親しい国という云い方がなされます。韓国は、渡来人、薩摩における薩摩白焼きの陶工の村、朝鮮通信使、など「長い伝統的友好の歴史」を有する親しい隣国です。対馬藩の儒学者雨森芳洲の唱えた「善隣友好」という言葉もよく知られています。
昨2018年、来日した韓国人旅行者は約750万人(韓国の人口からすると7人に1人の割合)、全来日外国人旅行者3000万人の4分の1を占めます。日本からの韓国への旅行者は約300万人、実に1000万人の人々が日本と韓国の間を行き来しているのです。 韓国駐在の長かった元商社マンの友人は、現在も韓国から年金を受領しています。
このように親密な日韓関係が、昨2018年10月30日の韓国大法院(最高裁判所)の元徴用工判決を契機として悪化し、2019年7月、日本政府が韓国への半導体素材輸出の規制を強化しました。その後、優遇国としてのホワイト国リストからも外しました。これは、これまで日本政府が植民地支配等の歴史問題について、見解の相違としていわば消極的に対処してきた政策を一変し、積極的に攻撃に出たことを意味します。韓国社会が、歴史問題に対する新たな兆発と受け止め、日韓関係はさらに悪化一途を辿りました。そして、韓国政府によるGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)の終了通告等、日韓関係の悪化は留まることを知らないようです。
メディアに於ける韓国叩き、とりわけテレビのワイドショーは酷いものです。雑誌も嫌韓を煽っています。そして来日する、韓国からの旅行者が激減しました。
1992年、ユーゴスラビアの内戦が深刻の度合いを深めた時、英国の歴史家E・ホブズボームは、「歴史学は、核物理学と同じ程度に危険な存在となり得る」と警告しました。
2001年に発表されたドイツ連邦軍改革委員会報告書はその冒頭において、「ドイツは歴史上はじめて隣国すべてが友人となった」と述べているとのことです。「隣国すべてが友人」、これこそ究極の安全保障ではないでしょうか。「隣国すべてが友人」となるために、戦後、ドイツは、どのように歴史に向き合って来たか、歴史問題の解決は、経済問題であり、安全保障問題でもあることを改めて痛感します。
2.大法院元徴用工判決
2018年10月30日、韓国大法院(最高裁判所)判決は日韓の国家間合意に反すると、批判の声がしきりです。
しかし、個々の新聞記者、学者たちと個人的に話すと、元政府高官も含めて、この問題をめぐる日本社会の反応には疑問を呈する人も大勢います。
その後、メディア等でも、少しずつではありますが、個々の記者の評論、コラム等で、同趣旨の論が展開されたりしていますが、論説等の社論としては明確に表れるには至っていないのはなぜでしょうか。
日本社会には、韓国に対する植民地支配は韓国人のためにもよかったのだ、というような見解もあります。しかし、朝鮮の文化を否定し、言語の使用を禁じ、名前も日本式に変え (創氏改名) させました。日本による韓国併合(以下、韓国併合)の後の1912年に発令された「土地調査令」は朝鮮人の土地をうわばみのように呑み込んでいった狡猾な法令でした。このやり方は、既にアイヌモシリ(北海道)で実施済みです。土地調査令によって「無主地」とされた土地は総督府が取得し、移入して来た日本人に与えられました。土地を奪われた大量の朝鮮人が流民となり、やがて日本本土に流れ込んで行きました。
朝鮮人の土地を奪うに際して「活躍」したのが、韓国併合の直前の1908年、時の首相桂太郎によって設立された国策会社、東洋拓殖会社でした。こうして、後にカイロ宣言が言う「朝鮮人民の奴隷状態」が形成されていったのです。
朝鮮でのこの手法はやがて中国の満州(東北部)に拡大されて行きました。
このような植民地支配の実態から目をそむけてはいけません。韓国併合に際し、石川啄木は、「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」と詠み、日本国家を鋭く批判しました。
3.日韓基本条約・日韓請求権協定の見直しは不可避
日韓請求権協定が植民地支配の清算を欠いた不十分なものであったことは、65年の日韓基本条約・請求権協定と、小泉内閣の時代に北朝鮮との間でなされた2002年の「日朝平壌宣言」とを比較してみるとよくわかります。
前者では
「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」(日韓基本条約第2条)
とされ、植民地支配が合法・有効であったか、それとも違法・無効であったかは曖昧にされ、「もはや無効である」という無効になった時期を明示しない玉虫色の解決がなされて、植民地支配に対する謝罪も反省もありませんでした。
後者では、1995年8月15日、戦後50年の節目に際し発された「村山首相談話」を踏襲し、
「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の苦痛と損害を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」
と、植民地支配に対する反省と謝罪がしっかりと述べられています。この宣言の際、安倍首相は官房副長官として立ち会っていました。 このように、韓国との間ではこの問題は「解決済み」であるとする日本政府も、北朝鮮との間では、まだこの問題が未解決で残されていることを認識しています。その解決に際しては、当然、植民地支配について反省と謝罪を述べた「日朝平壌宣言」が出発点となることになり、植民地支配の清算が不可欠となるでしょう。
となれば、植民地支配の清算に言及しなかった1965年の日韓請求権協定の見直しが不可欠となり、日本政府がいま述べている「解決済み論」は通用しなくなるのではないでしょうか。
なお、植民地支配について謝罪した点では1998年の金大中大統領と小渕首相との間でなされた「日韓共同宣言」、2010年、韓国併合100年に際して、植民地支配について明確にその誤りを認めた菅首相談話も同様です。
更に遡って、1990年9月28日、平壌に於いて、自由民主党代表金丸信、社会党代表田辺誠副委員長の両氏を団長とする日本の与野党と、朝鮮労働党の間で、発せられた三党共同宣言第1項で
「三党は、過去に日本が36年間に朝鮮人民に大きな不幸と災難を及ぼした事実と戦後45年間に朝鮮人民にこうむらせた損失について朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪し、十分補償すべきであると認める。」と述べていたことも忘れてはならないでしょう。
実は、北朝鮮との間でだけでなく、韓国との間でもすでに請求権協定の実質的な見直しがなされ始めているのです。それは≪慰安婦問題≫です。
1965年の請求権協定当時は、慰安婦問題はまったく論じられていませんでした。慰安婦問題についての日韓合意は、日本政府自身が65年の日韓請求権協定では議論していなかった問題として協議に応じたものであり、その意味で請求権協定の見直しに応じたものと言えるものではないでしょうか。
慰安婦問題の外にも、原爆被害を受けた韓国人の治療問題、サハリン残留(放置)韓国人帰還問題等でも65年請求権協定の見直し、補完がなされています。韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」とした日韓基本条約第3条も北朝鮮との関係で「失効」しています。
4.中国人強制連行・強制労働
筆者は、多くの人々から、同じく強制連行・強制労働問題なのに、中国人の場合には、花岡和解(鹿島建設)、西松建設和解、三菱マテリアル和解、などがあり、韓国人と中国人の場合とで違いがあるのはなぜかという質問を受けました。
違法な奴隷労働という点では、両者間に本質的な違いはありません。ただ、期間とその数において大きな違いがあります。
中国人強制連行・強制労働は、1944年9月~翌45年8月までの約1年間、被害者数約4万人ですが、朝鮮人の場合は、期間も長く、被害者の数も20数万人~数十万人とはるかに多いのです。この違いを見据えたうえで、なお、韓国徴用工問題の解決を模索するに際し、中国人強制連行・強制労働の問題と和解によるその「部分的な解決」の成果を考えてみるのは、有益ではないかと思います。2000年11月に成立した花岡事件(鹿島建設)和解、2009年10月成立の西松建設和解、そして2016年6月成立の三菱マテリアル和解です。
2016年6月1日に締結された三菱マテリアル和解については、同日夕刻のテレビニュース、新聞夕刊、翌日の朝刊等で各紙が大々的に報じました。
新聞は、後述するように読売新聞、産経新聞を除いて朝日、毎日、日経等の全国紙はもちろんのこと、各ブロック紙、地方紙もみな、和解を歓迎しました。ちなみに各紙の社説の見出しを見ると、以下のとおりです。
「歴史の責任を果たす和解」(6月3日 毎日新聞)
「過去を直視した三菱マテ和解」(6月3日 日経新聞)
「中国強制連行 意義ある和解の決断」(6月6日 朝日新聞)
「中国人強制連行和解 風化にあらがう努力も必要」(6月3日 河北新報)
「強制連行和解 評価できる歴史的な合意」(6月6日 西日本新聞)
「強制連行和解 加害に向き合う姿勢こそ」(6月3日 信濃毎日新聞)
「戦後処理加速の契機に 強制連行和解」(6月7日 長崎新聞)
このうち「歴史の責任を果たす和解」と題した毎日新聞の社説が、この問題をめぐる和解の経過も押さえた上で述べており、もっとも明快です。
……戦争末期、過酷な労働状況に耐えかねた中国人労働者が蜂起し、弾圧された秋田の花岡事件では2000年に東京高裁で被害者と鹿島(旧鹿島組)との和解が成立した。
09年には広島県に強制連行された労働者と西松建設との和解も実現した。西松建設の和解は07年の最高裁判決がきっかけだ。中国国民の賠償請求権は72年の日中共同声明で「裁判上訴求する権能を失った」と初の判断を示し、請求を退ける一方、強制連行の事実や劣悪な労働環境を認め、同社に「被害の救済に向けた努力」を求めたからだ。
三菱マテリアルは昨年、旧三菱鉱業の鉱山で米国人捕虜を働かせたことを認め、元捕虜に謝罪するなど歴史の清算に動いてきた。日本政府は賠償問題は決着済みとの立場だが、企業の自主判断による和解は最高裁が求める「被害救済」の精神に沿ったものだ。
今回の和解では同社が歴史的責任を認めて謝罪し、基金や記念碑の建立のほか、判明していない被害者や遺族の所在調査にも協力する。全員との和解には時間がかかるだろうが、和解を受け入れた被害者は同社の姿勢を評価している。誠意は他の中国の人たちにも伝わるはずだ。……
花岡和解があったから、西松建設があり、西松建設和解があったからこそ三菱マテリアル和解があったのです。
このような和解を歓迎する論調に対して、2016年6月6日付けの読売新聞社説は、「三菱マテ和解 形を変えた中国の揺さぶりか」というタイトルで、「日本企業を相手取った新たな訴訟や賠償請求の動きが中国で広がらないか、懸念される」と述べました。16年前に花岡和解に際して、「被害者全員を一括救済した今回の和解は、戦後補償訴訟の中でも事件を全面解決した点で、前例のない画期的なものだ」と好意的に報じたのとはずいぶん違います。
同じく6月5日付けの産経新聞「主張」も、「三菱マテ『和解』 政府は容認しているのか」というタイトルで、「理解できないのは『民間の問題』として、これを容認するかのような日本政府の対応である。戦後補償問題は、個人補償を含め法的に解決済みだ。この原則を崩してはならない」と述べています。
これらの論調には、被害者に対する視点がまったく欠落しています。この問題を「歴史戦」などと言っている産経新聞はともかくとして、発行部数日本一を誇る読売新聞のこのような姿勢は、日本人として恥ずかしいです。
被害者の目線に立って、植民地支配の実態に向き合うならば、韓国大法院判決を国家間の合意に反すると批判するだけでは、何ら解決にならないことが理解できるはずです。
5.花岡和解、西松建設和解 三菱マテリアル和解を平和資源として活かそう
今、日本では、集団的自衛権行使容認の閣議決定・安保法制の強行採決によって、これまでの専守防衛という安全保障政策の根幹が変更されました。
日中関係など安全保障をめぐる環境の変化ということが声高に語られます。しかし、安全保障を考える際に重要な要素は、抑止力ではありません。それ以上に大切なことは、隣国に対する「安心供与」、即ち、隣国が信頼するような国柄であるかどうかということです。
韓国についても同様です。冒頭で述べたように、日本と韓国との間に横たわる植民地支配の未清算の問題を解決しない限り、日本と韓国の間で真の友好を成立させることはできません。
隣国から信頼されるためには何が必要か。さまざまな要素がありますが、その重要な要素の一つをドイツとフランスとの関係に見ることができます。それは、その国に歴史に真摯に向き合う姿勢があるかどうかということです。
三菱マテリアル和解は、日本にもこのような歴史に向き合う企業がある、このような和解を担う市民たちがいるという安心感、信頼感を中国側に与え、日中の安全保障をめぐる環境整備に大きな役割を果たすものとなるでしょう。
「日中共同声明」の前文には、「両国間の国交を正常化し、相互に善隣友好関係を発展させることは、両国国民の利益に合致するところであり、またアジアにおける緊張緩和と世界の平和に貢献するものである」とあります。
須之部量三元外務省事務次官は、日韓請求権協定について「(これらの賠償は)日本経済が本当に復興する以前のことで、どうしても日本の負担を『値切る』ことに重点がかかっていた」のであって、「条約的、法的には確かに済んだけれども何か釈然としない不満が残ってしまう」と率直に語っています(『外交フォーラム』1992年2月号)。
栗山尚一・元駐米大使も、「和解――日本外交の課題」で、「近隣諸国(具体的には中国、韓国、そして将来は北朝鮮)との和解は、日本外交にとって未解決の重要課題である。何故ならば、日本の安全保障上、地政学的に死活的重要性を有する東アジアの平和と安定に欠かせない要素であるばかりでなく、より具体的には21世紀の国際社会における日本という国の姿を規定する問題だからである」と述べています。そして「加害者と被害者との間の和解には、世代を超えた双方の勇気と努力を必要とする。それは加害者にとっては、過去と正面から向き合う勇気と反省を忘れない努力を意味し、被害者にとっては、過去の歴史と現在を区別する勇気であり、そのうえで、相手を許して、受け入れる努力である」と述べています。
韓国徴用工問題も、西松建設、三菱マテリアルが和解に踏み切るに際し、手掛かりとした最高裁判決の「付言」の精神――すなわち、被害の重大性を考えると当事者間の自発的な解決が望まれる――に則って、和解によって解決されるべきです。歴史問題の解決は、勝ち負けという判決では恨みが残ります。和解によってこそ解決されるべきです。
内田雅敏弁護士は、中国人強制連行・強制労働問題(花岡、西松、三菱マテリアル)などの戦後補償問題に取り組んできた。