[カン・バンファ]
韓国文学翻訳院教授
8月の一週目に大阪出張があった。駐大阪韓国文化院で昨年から催されている「韓国文学翻訳コンテスト」の授賞式に審査員の一人として参席するためだ。韓国文学は近年、日本でも大きな注目を浴びている。K-POPに続いてK-文学という言葉もさまざまな媒体で見られるようになった。韓国の歌謡曲やアーテイスト、映画やドラマから韓国語を学びはじめる人もずいぶん増えている。言語に関心を持つようになると、その国の文化も知りたくなるのが人の常。そしてその情熱は、翻訳にまで及ぶらしい。昨年に続き多くの応募があり、汗と涙の結晶が受賞という栄誉に繋がったものと考えている。
審査委員として、私は大きく次のようなコメントをした。「異なる国、異なる世界に暮らしていても、私たちは文学のなかに共通点を見出すことで癒されます。ところで翻訳は、もしかすると共通点ではなく、異なる点を見つけて相手の理解を助ける作業なのかもしれません」
韓国語と日本語はともに、漢字語があり、語順が似ていて、敬語を使うなど共通点の多い言語と受け止められてきた。しかし、言語的に似ているからといってすべての面が似ていると言えるだろうか。もちろん答えはノーだ。よくよく見ると、関係性やシチュエーションによって話し方やジェスチャーの違い、感情の表し方や程度など多くの面で異なっている。韓国に夢中になっている日本の人々はどんな点を不思議に思っているのか、いくつか例を挙げてみよう。韓国ではなぜ熱いお湯に入って「シウォナダ(涼しい)」と言うのか、相手のフルネームを叫ぶのはどんな心情からか、なぜ妻を「ワイフ」と呼ぶのか……。ちなみに、個人的に最も差が出るのは口げんかをするときの口調だと思っている(韓国では、普段敬語を使っていても突然激高してタメ口になる傾向があり、日本では普段タメ口を使っていても突然冷え冷えとした敬語になったりする)。
一方で、日韓国交正常化60周年を迎えた今年、両国の至るところで多様な行事が開かれている。それなら、この間私たちにはどんな変化があったのか。折しも外交部(日本の外務省にあたる)主催の専門家講演会を依頼され、しごく個人的な視点ではあるが改めて振り返ってみた。
私は子どものころから、どちらかというと本に囲まれた環境で育った。父が本好きということもあり、子ども部屋の本棚にも児童書だけでなく、日本文学や世界文学の翻訳書が交ざっていた。そのため自然と翻訳書も読むようになり、そのなかに、身の回りでは耳にしない名前や知らない文化、目新しい場面や展開を見つけたものだった。『ユンボギの日記』という本もそんなある日に本棚から取り出して手に取った。おそらく児童版だったはずだ。なにげなく開いたその本を読みながら、私はそれまでの翻訳書に感じたことのない、奇妙な感覚に包まれた。それは言うなれば、「これが『私たち』? まさか、そんなはずない」と何かを全面否定したいという気持ちだった。
そこには戦争の傷跡や極限のひもじさ、家族との離別のなかでたくましく生きる主人公の姿があった。当時、小学校低学年だった私は、自分が韓国人だという事実はすでに知っていたものの、韓国語は一つも話せなかった。韓国という国は私にとって、年に一度、家族に連れられて親戚宅を訪問するくらいの距離感にあった。あのとき私の胸に浮かんだ「私たち」とは、人間としてのそれだったのか、韓国人としてのそれだったのか、はたまた日本で生きる在日韓国人3世としての「私たち」だったのか。
ともするとあの瞬間から、私は韓国という国を遠ざけはじめたのかもしれない。その本は幼い私にとってひどくむごたらしい内容で、私はその本から、すなわち韓国から目を背けることで、安穏とした世界に留まりたかったのかもしれない。だが誰しもそうであるように、大人になるにつれて、人に生まれた以上永遠に安穏とした世界に留まることはできないことを知った。その後、大学を卒業した私は語学留学をきっかけに渡韓した。初めは言葉を学ぶだけで満足だと考えていた。ところが言葉を学ぶうちに韓国の小説が読みたくなり、小説を読むうちに生きた韓国の人々を知りたいと思うようになった。同じ単語を使って会話していても、そもそも生まれ育った国と文化が異なるため、自分が本当に相手と同じ心情でその単語を使っているのか探究したかった。
今の私のアイデンティティは日本人でも韓国人でもない、在日韓国人3世としての私だ。この3つは似ている面もあれば、そっくりの面もあり、まったく異なる面もある。つまり私の人生は、似ていると思ったのにあまりに違っていることに驚き、その差異のために生まれた好奇心にみちびかれてここまで来たのかもしれない。文学翻訳とは私にとって、読者の理解を助ける仕事でありながら、自分自身のなかに生まれた問いを少しずつ解決していく過程だったようだ。
必死で生きているうちに、世界は移り変わっていた。仕事机からふと顔を上げると、窓越しにいつの間にか夕陽がのぞいているように。韓国のテレビでは日本の歌が次々に流れ、日本では韓国風メイクを学ぶ教室が開かれている。私のように、差異に驚いて壁をつくったり距離を置くのではなく、気になればすぐに尋ねて理解しようとする勇敢な人類を毎日のように目にしながら、ひとり感慨にふけっている。
私が思うに、翻訳家とは現実と作品の世界を行き来しながら、作家とともに夢を見る人だ。見知らぬこと、新しいことに関心を寄せ、学んで受け入れ、それが自然なことに感じられるようになったとき、私たちは本当に互いを理解し、同じ未来を夢見ることができるようになるだろう。
カン・バンファは2016年から韓国文学翻訳院翻訳アカデミー日本語科で教鞭をとっている。