ロックミュージックとクラシックのクロスオーバーを試み、音楽の新たな世界を開拓するキム・セファン(写真提供:キム・セファン)
3月からハリウッドの「ロック・ウォーク」に展示されているキム・セファンのヤマハギター(右から2本目)(写真提供:キム・セファン)
キム・セファンにとってギターと音楽は人生の一部だ(写真提供:キム・セファン)
2012年にイタリアの有名室内楽団「イ・ムジチ」と協演したときの様子(写真提供:キム・セファン)
- ギターを始めたきっかけは。
母がクラシックギター奏者だったので、自然にギターに出会った。母は外交官である父に出会い、1974年~1986年に米ワシントンD.C.で暮らした。当時は、女性のほとんどが結婚すると同時にキャリアを諦める時代だった。米国で暮らしている間、母はよく家で一人ギターの練習をし、スミソニアン博物館で開かれた外交官の年末パーティで演奏を披露した。母はサンタナやジェフ・マックといった70年代の有名ギタリストの演奏に魅了され、家でギターの練習をしていた。ギターは私の幼年期の一部だったといえる。
もちろん、幼少の頃はクラシックギターの他にピアノやバイオリンなども習っていたが、小学校3年生のときにテレビでジミ・ヘンドリックスの演奏を見て多くの友だちがすっかり魅了された。私もあんなふうに演奏できればもっと多くの友だちができると思った。そのとき、「これが生涯、自分の歩むべき道」と思った。韓国に渡ってバンド活動で成功できたのは、運が良かったからだと思う。良きメンバーたちに出会うことができた。そのとき一緒に活動していた仲間たちは、今みんなKポップ業界の有名人になった。
- クラシック作品のエレキギター演奏や声楽家とのコラボレーションといったクラシックとの「クロスオーバー」が目につく。イ・ムジチとヴィヴァルディの「四季」を協演するなど、クラシックを限りなく再解釈しようとするのはなぜ。
幼少の頃から家でヴィヴァルディの「四季」を聞いていた。ヴィヴァルディは、韓国人が最も好む音楽家だと思う。私の母もそうだ。私は10歳になる前にヴィヴァルディの「四季」を全て覚え、いつも心の中で大切にしながら育った。プロのギタリストになり、いつの間にか心の片隅にヴィヴァルディの「四季」をオーケストラと一緒に演奏したいという思いが芽生えていた。その願いはソウル芸術総合学校のチャン・ヘウォン学長との出会いによって実現した。チャン学長は当時、梨花女子大学の音楽学部長だった。チャン学長は私の願いを聞き入れ、積極的に支援してくださった。韓国の名の知れた音楽家やオーケストラを紹介してくださり、そうした方々と協演することができた。そうして、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団と一緒にヴィヴァルディ曲を演奏したアルバムを出した。それからしばらくして、ヴィヴァルディの「四季」の演奏で世界的に知られるイタリアの室内楽団「イ・ムジチ」が韓国のエレキギタリストとコラボレーションする意向があるという話を聞いた。それは、まさにロックミュージックとクラシック音楽の結婚ともいうべきものだ。彼らとの公演はとても光栄なことであり、夢が叶った瞬間だった。
- 一番記憶に残っている舞台は。
一番記憶に残っているのは、まずイ・ムジチやスティーブ・ヴァイ、スチュアート・ハム(Stuart Hamm)、スコット・ヘンダーソン(Scott Henderson)、ガスリー・ゴーヴァン(Guthrie Govan)、マーチン・テイラー(Martin Taylor)、神保彰ら世界的なミュージシャンらと協演した舞台だ。それから、ネクストのメンバーとして英国のロイヤル・アルバート・ホールで開いた公演だ。韓国でロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と演奏したこと、ロンドンでロンドン交響楽団とアルバム「ラゼンカ」をレコーディングしたことも記憶に残っている。
世界的な音楽博覧会で演奏することが夢だったが、今年1月に世界最大の国際楽器見本市「ナム(NAMM)ショー」で演奏したことも記憶に残っている。
- これまでの音楽人生で一番幸せを感じた瞬間は。
嬉しかったことはたくさんあるが、一番幸せを感じたのは、ネクストに1回目に加わった1994年に山の前で初の野外コンサートを開いたときだ。約1万人の観客を動員したと聞いた。
また、イ・ムジチとヴィヴァルディの曲を演奏した公演でも幸せを感じた。スティーブ・ヴァイと協演した公演もそうだ。高校時代、私の部屋に貼られたポスターのメインはスティーブ・ヴァイだった。私にとって彼は、尊敬するギタリストというよりも信仰の対象ともいえる存在だった。
他にも、世界的なオーディオ・エンジニアのミック・グロソップ(Mick Glossop)と一緒に制作に取り組んだことも記憶に残っている。また、ジューダス・プリースト(Judas Priest)やオジー・オズボーン(Ozzy Osborne)のプロデユーサーだったクリス・タンガリーディス(Chris Tsangarides)に出会えたのも幸運だと思う。
一番大きな達成感を感じたのは、今年初めに米ハリウッドの「ロック・ウォーク」のギターセンター前の「名誉の通り(Walk of Fame)」に自分のギターが展示されたことだ。そこには、ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベック、スティーブ・ヴァイ、エディ・ヴァン・ヘイレン、メタリカのカーク・ハメット、ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュらのギターも展示されている。
また、今年5月に米ハリウッドの音楽学校「MI」でアジア人としては初めて「音楽学公演芸術名誉博士号」を取得したことも光栄に思っている。ハービー・ハンコック、スティーブ・ヴァイ、シーラE(Sheila E)、アリス・クーパー(Alice Cooper)に続いて5人目だ。そのとき感じた栄光と幸福感は言葉で表現することができない。
米国の大手エレキギターメーカー「ワッシュバーン(Washburn)」から韓国のギタリストとして初めて1997年にギターの協賛を受けたことも記憶に残っている。このギターは、ネクストのアルバム「ラゼンカ」のレコーディングのときに使った。また、2010年に世界的なギターメーカー「サー(Suhr)」から後援を受けたのも光栄だった。この会社が後援するミュージシャンは、ヴィニー・ムーアやガスリー・ゴーヴァン、神保彰らだ。
- 音楽的なインスピレーションを受けるのはどこ。
私の周りの全てのものから音楽的なインスピレーションを受けている。環境の影響を受けながら毎日重ねている経験も私の音楽人生の一部だ。愛や幸福、苦難、家族など全てがこれに当てはまる。
- ロールモデルは誰。
とても多すぎて一人ひとり名前を挙げたらきりがない。その話になったら、一日中語っても数日はかかるかもしれない。彼らは皆「ギターの神様」だ。ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、AC/DC、サンタナ、B.B.キング、エディ・ヴェン・ヘイレン、スティーブ・ルカサー(Steve Lukather)、デフ・レパード、イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen)、スティーブ・ヴァイ、ジョー・サトリアーニ、トシン・アバシ(Tosin Abasi)、ガスリー・ゴーヴァン、スコット・ヘンダーソン、スチュアート・ハムなどなど...。名前を挙げ始めたらきりがない。今も毎日のように素晴らしいミュージシャンらからインスピレーションを受けている。
-あなたが考える優秀なギタリストの条件とは。
優秀なギタリストとは、個性のある音色を持った人だと思う。つまり、自分を特徴づける唯一の音をギターで表現できる人だ。人の心を引きつけ、その人と人生の物語を語り合い、心の中の傷を癒してあげられる人だ。
ギタリストの立場からいえば、テクニックも音楽の表現の一部として重要ではあるが、常に完璧に演奏することだけを意味するものではない。もちろん、テクニックに関することも、その人独自のギターの音色を生み出すために重要であることには違いない。
- あなたにとってギターとは、音楽とは。
音楽とギターは私の家族の一部だ。また、米バージニア北部で幼年時代を過ごした70年代~80年代は友だちをつくるための手段で、今は趣味であり、職業であり、人生を生きるための手段でもある。ギターのおかげで私は多くの大衆とつながることができた。音楽とギターは、いつも私の一部であり、私も音楽とギターの一部になりたいと思う。
キム・セファンが2011年にリリースしたアルバム「ヴィヴァルディ四季」(写真提供:キム・セファン)
2008年に制作したネクストの6thアルバムのジャケット写真(写真提供:キム・セファン)