人は誰でも、自分のアイデンティティについて考えることがある。私たちの祖先はどこで生まれ、いかにして、今のような姿をした人間を誕生させたのだろう。
わずか十数年前までは、それは想像の領域であった。
韓国人の場合、北方系モンゴル人がシベリア、満州などを経て朝鮮半島に南下したという推測だけが存在していた。少なくともある美術学者が韓国人の顔を解明する前までは。韓国顔研究所(Korea Face Institute)のチョ・ヨンジン所長は、韓国画家でありながら解剖学を専攻した独特なキャリアを持っている。弘益(ホンイク)大学と同大学大学院で東洋画を専攻した後、ソウル教育大学などで美術を教えていたが、教授をやめ、顔の研究に集中している。特に、50年近く、数多くの人体と動物の遺体を解剖し、この地に住む存在の特質を解明してきた。
生涯をかけて韓国人の顔の研究に没頭している韓国顔研究所のチョ・ヨンジン所長。韓国画家でありながら解剖学を専攻した彼の経験は、歴史学、考古学、医学など様々な分野で生かされている
彼の研究によると、今日の韓国人は、北方系と南方系の子孫であることが判明したという。顔などの特徴を分析した結果、韓国人の20%ほどは南方系の特徴が強く、80%程度は北方系だという。南方系は濃い眉毛、二重まぶた、短い鼻と大きな小鼻、厚い唇、濃いひげ、四角い顔、太い髪、黒い肌などが特徴だ。一方、北方系は眉毛が薄く、鼻は長く端が尖っていて、一重まぶたで、目が小さく、唇が薄いのが特徴。チョ所長は、「南方系は、氷河期以前に東アジアに広まり、北方系は、アフリカから移住し、約2万5000年ほど前にバイカル湖の近くで長い間氷河に閉じ込められていたが、約1万年前に氷河期が終わり、徐々に東アジアに進出した。朝鮮半島に最初に移ってきたのは南方系だった」と説明する。
ここまで来れば、ばらばらになっていた歴史のパズルを組み合わせ、原形の姿に一歩近づいたと言える。このように、時の流れを経て形成された顔は、来るべき未来の姿の予想も可能にする。生涯、顔の研究に没頭してきたチョ所長から、顔を通じた真理の探究の旅について聞いた。
研究所で脳の構造を説明しているチョ・ヨンジン所長
- 安定的な国立大学の教授をやめ、研究に専念している理由とは。 どんどん歳を取っていくなか、教授としての生活は容易ではありませんでした。会社勤めと同じで、研究に没頭できる時間があまりありません。研究することはたくさんで、人生と体力は限りがあるなかで、チャンスが来たので選択したのです。
- 顔の研究をするようになったきっかけとは。 小学校3年生の時にある女の先生と出会ったのが始まりです。その先生のお父さんが忠清南道(チュンチョンナムド)舒川邑(ソチョンウプ)に機関長として来られました。先生も一緒に来て教師になり、私の担任になったのです。姉も、兄もいない自分に多大な影響を及ぼした方です。先生は邑内に住んでいる私のところに、夏休みや冬休みになると家庭訪問をしてくれました。オー・ヘンリーの『最後の一葉』など、よく、自分が読んだ本の話をしてくれたんです。先生は、「君は美術に素質があるから、ダ・ヴィンチのような芸術家になりなさい」と言っていました。たまたま学園社で発刊した百科事典6巻のうち第1巻が当時出版され、師範学校の学生だった叔父がそれを持っていました。うちにはこれといった本がなかったので、中学2年の時まで、その百科事典を内容を暗記してしまうくらい、何回も読み返しました。画家になるためには解剖学も勉強しなければならないと、先生にアドバイスされました。先生の影響を受けて、今でもダ・ヴィンチを目指しています。50年後、500年後のダ・ヴィンチです。ダ・ヴィンチを真似をしているうちに、500前の化石人間になりました(笑)。中学、高校の時から独学で解剖学を勉強しました。
- 情熱以外に説明のしようがないですね。 大学(弘益大学美術大学)時代、西洋画家のキム・ウォン先生が人間の骨格標本を持っていましたが、その先生が私を後継者に選びました。先生は北朝鮮・平壌(ピョンヤン)出身で、日本で美術を勉強しました。日本人の西田正秋(Nishida Masaaki)先生から学んだといいます。西田先生は、日本の美術解剖学(Artistic Anatomy)の創始者です。すでに日本では150年前に美術解剖学という学問を取り入れています。大学1年生の時に人体を解剖した絵を描きました。成績に関係なく、ただ楽しくて描きました。1968年11月16日に「勝利を目指す目は決してわき見をしない」と決心し、1969年1月6日に作業を終えました。これらの絵を大学2年生のときに「人体解剖図」という名前で出版しました。その本は、全国にいる美大生にかなり売れたので、生活の足しになりました。1972年に韓国日報にカトリック医科大学で解剖学の助教を募集する広告を見かけ、志願しました。それがきっかけとなって、本格的に解剖学を学ぶようになったのです。1972年10月、カトリック医科大学の解剖学教室で、初めて解剖の実習に参加しました。「剖身解真」。小宇宙である人体を解明し、真理を解くと決心しました。4月23日午前10時、初めて解剖しました。解剖学者としての一歩でした。7年間、同大学で解剖学を勉強しました。人体に没頭したのは、成績とは関係なく、ただ楽しかったからです。勉強とは、他人が研究したことを学ぶことで、研究とは、他人も知らないことを自分で解明することですが、考えれば考えるほど、自分は研究者に向いていると思います。
- 美術学徒としては珍しい経験ですね。 チキンを食べるときも、筋肉を詳しく観察ました。最初は動物を中心に観察し、次第に植物も観察するようになりました。形態を正確に把握するためには計量的な説明が必要だと思いました。どんな現象でも定量化することができるんです。顔を定量化するために、等高線撮影装置を作りました。当時は、容姿記述法が全く発達していませんでした。ある人の顔を、それを見ていない人にどのように伝えればよいのか、悩みました。
- これまで、韓国人の起源はアルタイ語族(Altaic languages)とされてきましたが、顔の研究によってそれが裏付けられたのですね。そうです。1万2000年前、南方系が最初に朝鮮半島にきました。当時、インドネシア付近のスンダランド(Sundaland)が地球温暖化に伴う海面上昇でスンダ列島(Sunda Islands)となり、人口密度が高くなりました。よりよい暮らしのため、スンダ列島の住民たちは、家族連れで海岸線に沿って移動してきました。1万年前までは興安嶺山脈(Stanovoy Mts)が立ちはだかっていましたが、氷河が溶けて道ができ、多くの男性が移動してきました。北方系は山脈に沿って移動したものとみられます。朝鮮半島には、基本的な遺伝子プールがあります。一度、基本遺伝子が決まった後でも、異質的な集団が流入しますが、少数であるため、本質は変わりません。もちろん、本質は単一民族ではありません。
- 忠清北道(チュンチョンブクド)堤川(チェチョン)で発掘された黄石里(ファンソンリ)人は、ヨーロッパから来たのではありませんか。 そのように思われます。2300年前に獲物、餌を探して移動した結果、北欧から朝鮮半島まで来たのです。今でも堤川の周辺地域では似ている顔が多く見られます。頭の形がサツマイモ状の人が多数住んでいます。黄石里人の脳を分析したところ、ヨーロッパ人の脳であることがわかりました。東洋人とヨーロッパ人の脳は違います。全羅南道(チョンラナムド)、慶尚南道(キョンサンナムド)の海辺にヨーロッパ人の脳を持つ人たちが住んでいました。
チョ・ヨンジン所長が大学1年生のときに描いた人体解剖図。「勝利を目指す目は決してわき見をしない」との決心について、17歳の時の1968年11月6日に始め、1969年1月6日に完了したと書いている
- 愚問ですが、なぜ顔の研究をされているのですか。顔は遺伝子の発現体です。遺伝的な情報が顔にははっきりと表れています。民族、家計のルーツを見つければ、方法は色々と生まれてくると思います。容姿を決定する遺伝子はとても少ないです。脳を作る遺伝子は約2万個です。朝鮮半島にはもともと南方系が住んでいました。後から北方系が少しずつ入ってきましたが、基本的な気質は南方系です。基本的には、統一新羅時代に韓国人の顔が出来上がりました。そのときに全国均質化現象が一気に進んだのです。日本は東と西の顔の差が120倍もあるのに対し、韓国人は同質性が非常に高いです。新羅による統一は、韓国人の原型を形成しており、言語学者によると、私たちが使っている言語も原型は統一新羅語だそうです。
- 韓国人の遺伝子には、異質な要素が残っていますね。その通りです。遺伝子が今でも残っています。慶尚南道統営(トンヨン)沖の小さな島で発見された6000年余り前の人骨は、アフリカ人を彷彿とさせます。後頭部がアフリカ人のように上がっており、顔の色は黒人に近いです。
- 今後、韓国人の顔に大きな変化が予想されますか。 人は、そんなにたくさん移動しません。顔の属性を理解するのは難しいことではありません。今でも、道内結婚が最も少ない地域が忠清南道(チュンチョンナムド)ですが、68%の人が同じ地域の人と結婚しています。慶尚南道、全羅南道(チョンラナムド)は道内結婚が85%に上っています。地域遺伝子プールに大きな変化はないでしょう。東南アジアから韓国に帰化する人が増えていますが、主に女性なので、大きな影響を与えることはないでしょう。
- 先生の分類方式が、人種論との誤解を招く恐れはありませんか。 一般の人はそう考えることもあるでしょう。韓国人は、右脳が左脳より発達していて、すぐに結論を出す傾向があります。なので慎重にならないといけません。先入観を持ちやすいからです。あくまでも類型の話であって、すべてに適用されるわけではありません。
チョ・ヨンジン所長が復元した朝鮮半島の住民の姿。左は忠清北道堤川で発見された黄石里人で、2300年前に北欧から移住してきたものと推定される。中央は統営沖の烟台(ヨンデ)島で発見された男性の人骨を復元した頭像で、アフリカ人を連想させる。右は西暦2100年に予想される将来の韓国人男性の姿
- 一旦基本的な形が決まったら、大きく変わることはないということですか。 同時に全人口の12%程度が流入すれば変わりますが、そんなことは不可能です。韓国に1000万人も入ってくるのは到底無理です。だから将来を予測することができます。今後も、韓国人は右脳が左脳より優勢で、身長は日本人より若干高いでしょう。韓国人によく見られる糖尿病、結核、骨粗しょう症などの問題も続くでしょう。これらを常数と捉え、未来に備える必要があります。
- 言語習慣も脳の活動と無関係ではないですね。東南アジアの言語は、鼻音が多いですが、特定の部分に偏らず、発音素をあまねく持っているのが望ましいです。中国語には、韓国語の「ㄱ」に相当する発音がありません。発音に発現している解剖学的要素がありますが、それを使わないと退化します。韓国語にあった脣軽音も全部蘇らせなければなりません。それを使わないと、脳を使わなくなります。単に脣軽音を駆使する、しないではなく、周到な行動をすることとも関連しているからです。言語中枢は、言葉だけでなく、繊細な思考や行動とも関係があります。言語は、脳に一生涯影響を与え続ける文化要素であるため、国語の研究も並行されなければなりません。韓国語は子音の数が少ないので、左の脳の使用が相対的に少なくなっています。
- 顔の研究の最終的な目的とは。 研究によって判明した問題を教育によって補完することです。例えば、韓国語から長短音がなくなっていますが、これは、早く教えなければなりません。左脳(left brain)が弱いので、長短音がなくなり、硬音化、激音化が進み、語彙が減っていきます。比較級・最上級が減少します。右脳(right brain)は皮質が薄く、すぐに消耗する傾向があります。判断が速く、行動は素早いですが、最後の仕上げが弱いです。韓国語は、最初の音節にアクセントが来る一方、後ろの音節は弱くなる傾向が強いです。こうなると、脳を使う習慣が弱くなります。左脳の使用を活発化し、バランスをとる必要があります。
記事・写真:コリアネット ウィ・テックァン記者
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