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2015.09.02

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大日本帝国は朝鮮を強制占領したのに続き、1931年に満州事変を起こし、中国にまで攻め入った。1932年4月29日に上海虹口公園で行われた日本の戦勝記念祝賀式で、ある青年が日本軍の首脳らが立っていた檀上に向かって爆弾を投げつけた。その青年は、朝鮮出身の尹奉吉(ユン・ボンギル)。この事件で、上海派遣軍司令官など、日本侵略軍の首脳らが死亡した。現場で逮捕された尹奉吉は、12月19日に銃殺刑を宣告され、25歳の若さで殉国した。

2008년에 발매된 윤봉길의사 탄신 100주년 기념 우표.

2008年に発売された尹奉吉義士生誕100周年記念切手



1908年6月21日に忠清南道(チュンチョンナムド)礼山(イェサン)郡で生まれた尹奉吉は、10歳になった1918年に徳山普通学校に入学したが、翌年に抗日独立運動の3・1運動が起こると、植民地教育を拒否し、自ら学校を退学した。以降、書堂で漢学を学び、自ら西洋学問を磨いた。

尹奉吉は、夜学と読書会を運営し、農民のための教材を執筆するなど、農民運動家として農民啓発と農村復興のための活動を行った。23歳になった1930年3月、尹奉吉は民族のためにより大きな貢献をしようと中国に向かった。

1930年10月18日、尹奉吉は、中国青島で祖国のための誓いを綴った手紙を書いた。「青年時代には、親の愛よりも、兄弟の愛よりも、妻子の愛よりも、もっと剛毅な愛があることを覚悟した。自分の雨露と自分の山川と自分の親を捨ててでも、この道を進むと決心した」

1932年4月26日、韓人愛国団に入団し、金九(キム・グ)をはじめとする独立運動家と大事を起こすことを決意した。尹奉吉の偉業は多くの国で知られており、中華民国の総統・蒋介石(1887-1975)は、「4億の中国人がやり遂げられなかった偉大なことを、韓国人一人がやり遂げた」と称えた。

コリアネット イム・ジェオン記者
写真提供:郵政事業本部
jun2@korea.kr