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2016.02.25

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韓国と日本、両国の関係はよく「近くて遠い関係」といわれる。地理的には隣接しているが、心理的には遠いという意味だろう。先史・歴史時代を問わず、両国の間では数え切れないほどの交流が行われた。外交使節の往来とともに交易、文化などに渡る様々な交わりがあった。一方、多くの侵略と抗争という葛藤もあった。侵略をしたのは主に日本側で、古くは新羅・高句麗・百済の三国時代から19、20世紀の侵略と植民地支配に至るまで、数多くの傷跡を残した。

侵略により韓国人に多大な苦痛を与えた日本の罪や過ちを反省し、友好協力する両国関係の構築に一生を捧げた人がいる。それがソウル日本人教会の吉田耕三主任牧師(74)。彼は1976年に韓国へ移ってからの40年間、両国対話のために努めてきた。彼は両国葛藤の懸案である植民地時代の過去史清算、独島、慰安婦問題などについて一貫した意見を述べてきた。葛藤が生じる度に当事者らに書簡を出したりマスコミに寄稿するなど、絶えず日本側の謝罪と反省を呼びかけた。

2012年8月、吉田牧師は李明博(イ・ミョンバク)前大統領の独島訪問を非難した野田佳彦全総理に抗議書簡を出した。吉田牧師は「韓国人の怒りがわからない日本人」と題した手紙で「韓国大統領が韓国の島(独島)を訪問するのがどうして問題なのか。日本が韓国の独立運動家や慰安婦の少女たちに犯した過去の過ちを考えると、当時の最高責任者の後継者である現在の天皇に韓国の大統領が謝罪を求めるのも当然のこと」と強調した。続いて「日本の政府関係者らは、自国の蛮行や被害を受けた韓国人の痛みをどの程度自覚しているのか聞きたい」と付け加えた。

彼は1976年に京畿道(キョンギド)華城(ファソン)にある「堤岩里教会虐殺事件」の現場を訪問したのがきっかけとなり韓国での活動を決心したという。来る3月1日は97周年を迎える三一節。1919年の3月1日、日本帝国主義の支配に対し韓国人たちが平和的示威により独立への意志を示した抵抗運動を記念する日だ。一世代以上の期間を、韓国の地で謝罪と和解のための疎通に努める吉田牧師を訪ねた。

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ソウル日本人教会の吉田耕三主任牧師は1976年に韓国へ移って以来の40年間、過去の歴史に対する日本の反省を呼びかけ、韓国と日本の和解のために努力している

ソウル日本人教会の吉田耕三主任牧師は1976年に韓国へ移って以来の40年間、過去の歴史に対する日本の反省を呼びかけ、韓国と日本の和解のために努力している



- 1981年に韓国へ移られましたが、韓国に暮らす日本人の数も、コミュニティーなどにも多くの変化があるように感じます。

現在韓国に滞在する日本人長期居住者は数千人で、短期居住まで含むと1万人を超えています。長期滞在者のほとんどは「ソウルジャパンクラブ」というコミュニティーの会員です。また、「Korea-Japan Ministries」 通称「コジャミ」というグループもあります。現在、韓国で日本語礼拝を実施する教会は14~15ヵ所あります。そのほとんどは大きい教会で英語、中国語とともに日本語礼拝が設けられたものです。我が教会のように日本人牧師が自ら日本人向けの教会を運営し、礼拝を守るところもあります。

- 韓国人男性と結婚した在韓日本人女性向けの牧会者を探したのがこの教会の設立起源だと聞きました。

東京基督教大学で神学を学び、宣教活動を行いました。そうしている中、母教会、つまり私が洗礼を受けて救いを得た教会の先輩牧師さんから、自分はもう歳だから早く戻ってくるようにと言われたので名古屋に帰りました。死ぬまで故郷で伝道しようと思いました。

- 出身も愛知県ですか。あの「徳川家康」と同じですが。

生まれは東京です。日本に詳しいですね(笑)。東京生まれですが、戦争で移りました。当時せいぜい3~4歳でしたので、東京時代の記憶はほとんどありません。

30代から東京で牧会活動を始め、1974年には汝矣島(ヨイド)広場で開催された「Explo'74(世界伝道研修大会)」に参加することになりました。当時日本から1千人以上の牧会者が参加した大変大きなイベントでした。世界大会だったのですが、地理的に最も近い日本からの参加者が一番多かったです。

「Explo'74」では1週間の滞在でした。「Explo」とは英単語「explore」から来た言葉で、聖霊が「爆発」する伝道大会という意味を持っています。昼間には永楽(ヨンラク)教会のセミナーに参加し、夕方には汝矣島広場で夜通し賛美歌を歌い、説教し、証を述べました。当時は個人の自由時間がなかったので、若者牧師同士でもう一度韓国に行こうと意気投合しました。その2年後に訪ねたのが京畿道華城の堤岩里教会です。堤岩里虐殺があった場所です。話は前から聞いておりましたが、実際現場で祈りを捧げるときは本当に怖かったです。コリントの信徒への手紙一3章17節に「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです」とあります。植民地時代には聖殿を汚したのが一度や二度のことではありませんでした。40~50の教会で3月1日の独立運動当時に虐殺が行われました。私ども若い牧師たちがその場で悔い改め、涙を流しながら祈りを捧げて話し合った末の結論は、これまで献金も謝罪文も送ってきましたが、結局は人が直接行くべきだということでした。ただ、当時は名古屋で牧会者として幼稚園を運営するなど仕事が多かったのですぐには実現できず、4~5年の準備期間を経て1981年9月に韓国へ移りました。

- 韓国生活35年目になりました。先生の目に映る韓国社会や韓国はどうですか。

古くから「近くて遠い国」と言われますが、韓国で多くのことを学んで、感じて、たくさんの人たちと交流できたことには非常に感謝しています。韓国人の国民性、民族性については偉大なところがあると思います。もちろん最近の運転者たちを見ると、歩行者たちとはまるで違う人のように思えることもありますが。韓国人や韓国社会をマスコミではよく「パリパリ(早く早く)」という言葉で説明したりもしますが、私の意見は違います。ロシア人が韓国の旅行客のことを「ミスター・パリパリ」と呼んだそうですが、私はそう思いません。韓国人はゆっくり考え、ゆっくり動き、寛容のある民族です。30年以上この地で生きていますが、この意見にまったく変わりはありません。韓国人は本当に広い心を持っています。でも日本人はそうじゃない。

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週報を手に持った吉田牧師(上)。週報には韓国と日本との間に十字架が置かれた絵が描かれている。両国が十字架を介して手を繋いで行こうというメッセージが込められている。ある青少年信徒が週報を見て描いた絵が教会の入り口に貼り付けられている(下)

週報を手に持った吉田牧師(上)。週報には韓国と日本との間に十字架が置かれた絵が描かれている。両国が十字架を介して手を繋いで行こうというメッセージが込められている。ある青少年信徒が週報を見て描いた絵が教会の入り口に貼り付けられている(下)



- 韓国での35年、それでも馴染めない部分がありそうですが。

言葉の問題。日本人には克服しにくい発音があります。余談ですが、私はキムチが大好きで、キムチさえあればいくらでもご飯は食べれます。でも、妻はキムチがまったく食べれません。信徒たちからキムチを手渡されることもありますが、それでもダメなんです。辛いのも苦手ですが、冷たいのがダメなんです。でも幸いなのは、韓国に医療宣教会があることです。そこに牧師でありながら漢方医としてもお勤めの方がいらっしゃるのですが、漢方薬を処方してくださいました。妻は西洋薬を受けつけない体質なんですが、韓国でこんなに良い方々に巡り合うなんて、神様が健康を守ってくださっているのです。

吉田牧師は韓国に渡る決心に反対しなかった妻(左)に感謝している

吉田牧師は韓国に渡る決心に反対しなかった妻(左)に感謝している



- これまで韓国社会における多くの変化を目撃されたと思います。

韓国に移った最初の頃はまだ車がほとんど走ってなかったのでバスや地下鉄を利用しましたが、その度に席を譲る姿を目撃して本当に驚きました。誰も頼んでないのに若者の方から進んで譲歩することには感動しました。ただ、どの社会もそうですが、その公序良俗が若い世代には伝わっていないような気がします。

もうひとつ、日本も同じですがIT産業が広がり、もちろん長所も短所もそれぞれありますが、ITによる若者世代への悪影響が懸念されます。

キリスト教についてですと、1980~90年代には韓国の大型教会が日本の牧師たちを招待して教会成長セミナーをたくさん開催しました。サラン教会(愛の教会)のオク・ハンフム牧師もその一人でした。昔、先生に韓国の歴史現場を見学させるのセミナーコースを提案したことがあります。タプコル公園から西大門(ソデムン)刑務所、安重根(アン・ジュングン)義士記念館など、見ておくべき場所が数多くあります。最低1日は自由時間を与えて日本の牧師たちが自分の目で確認することができれば、セミナーは成果を出せると話しました。

- 韓日両国は最も近い隣国として数千年間交流してきました。壬申倭乱(=文禄・慶長の役)以降も国交を再開し善隣交流を展開しました。なのに今は、過去より感情が悪化して不満が募っています。500余年前にはそれでも和解して往来したのに、今日の韓国は断固として謝罪を要求し、日本は民族のプライドを重視していて、まるで互いに向かって突進する機関車のようです。このような感情や葛藤の解決には何が必要なんでしょうか。

牧師の娘、ドイツのメルケル総理はそうでないのですが、日本の政治家たちは被害者の立場から考えず、自分が在任する2~3年間を無事に過ごせたらいいという姿勢です。韓国の教会のように政府当局を動かすことができればいいと思います。

教会ですら韓国にきちんと謝罪して和解しようとする努力をしませんでした。教会同士の交流は幅広い分野で行われてきましたが、独島や慰安婦問題などはほとんど解決できませんでした。昨年、両国が慰安婦問題に合意したそうですが、合意は認めるにしても被害当事者らが納得するまで対話を続けるべきだと考えています。

もうひとつ、韓国内で発生する問題の80~90%の原因は南北の分断にあると考えています。南北分断の原因もまた、日本による韓国侵略です。日本帝国主義の侵略がなければ38線も、韓国戦争もなかったはずです。今まで日本の政治家たちは誠意をもって交渉に臨みませんでした。

- 大多数の日本人からすると、韓国人が望む謝罪は無限に近いといいます。中国も1970年代に日本との国交を再開しながら植民地支配に対する謝罪を受けただけで、被害賠償を要求することはありませんでした。韓日関係とは何が違うのでしょうか。

まず、15万~20万人の少女、若い女性たちが無理矢理慰安婦として動員されたということでしょう。韓国の被害者数が中国より遥かに多いです。また、日本側の謝罪に対する認識も間違っています。産経新聞のソウル支局長も当時外交部長官だった今のパン・ギムン国連事務総長に同じ質問をしたことがあります。当時は非常に恥ずかしかったです。ソウル支局長たる者が、本当の意味がわかってないのが問題です。「遺憾であります」「申し訳ありません」と日本人は言います。一見謝罪のようですが、慰安婦問題には言葉だけでなく国の予算を使った賠償が必要です。「遺憾であります」の一言で足りるものではあません。

- 日本人は自分の意見をあまり表現しない傾向があります。でも先生は慰安婦、独島問題などの懸案について日本政府とは異なる意見をはっきり表明されますが、母国に帰ったときに困ったりすることはありませんか。

それはありません。日本人は5~6年前までは独島がどこにあるのかすら知りませんでした。韓国で長く滞在しながら独島の歴史や慰安婦問題などについて、日本では見たことのない多くの資料に接することができました。独島は新羅時代の512年から韓国の領土で、日本側はそれから2000年後の1905年に自分たちの領土だと主張しはじめました。明治時代の太政官は、独島は日本とは関係ないと話しました。そしてポツダム宣言、サンフランシスコ講和条約などから日本政府が完全返還し、独島の問題もそのとき終わったのです。産経新聞特派員のような人に聞きたいです。あなたたちの目はソウルで一体何を見ているのかと。

- 日本は韓国より遥かに早い時期にカトリックやプロテスタントを受け入れました。でも教勢は弱いです。それはどのような文化の違いから起因するものでしょうか。

韓国のプロテスタントは、日本より約25年遅れて伝わりました。韓国での宣教が成功したのは、その活動が下から始まったからだと思います。庶民から上位階層にまで広まったと。一方で日本は、有識者からキリスト教を受け入れ始めたものの、庶民にまで拡散することはありませんでした。

韓国教会の成長背景として挙げられるもうひとつの要因は、3.1独立運動をキリスト教の牧師たちが主導したところにあります。教会が国のために命がけで献身したことは、キリスト教でない人にも良い印象を与えたと思います。今の韓国教会は反省しなければなりません。3.1独立運動のときのように国民から信頼され、国民の見本にならなければなりません。一方で、日本の教会は国のために果たして何をやってきたのか。戦争を止めることも、国民に感動を与えることもできませんでした。

- 日本人作家、遠藤周作の小説『沈黙』にはキリスト教と日本伝統文化との衝突が頻繁に登場します。韓国教会による活発な日本宣教活動の裏には、日本の情緒が理解できていないため発生する副作用もあるのではないでしょうか。

韓国で引退される老牧師が日本に渡り伝道をしてくださるのが、我々の立場からすると助かります。日本には牧師のいない教会が多いからです。ただ、しっかり準備をして祈りを捧げないと失敗は必然です。

一例に、CCC(Campus Crusade for Christ:大学生宣教会)のサマーキャンプには日本宣教を目指すたくさんの学生たちが参加します。このキャンプで私は、本気で日本人が愛せない、許せない学生は日本宣教を止めるようにと言いました。宣教師たる者は、許せない犯罪を犯したとしてもイエスの心でその人に接しなけばなりません。質疑応答のときに、一列に座っていた女子学生が手を挙げ、自分はまだ日本に宣教する準備ができていないと告白しました。宣教師のハドソン・テーラー(James Hudson Taylor, 1832~1905)をご存知でしょうか。中国宣教のため旅立つ彼に、友人がなぜ中国宣教をするのかと聞いたところ、「宣教するために中国に行くのではなく、中国人を愛するために行くのだ」彼はそう答えたのです。国内宣教でも同じことが言えます。

- 先生の人生において韓国とはどんな意味なのか。

かつて私は故郷で伝道がしたくて名古屋に帰ったわけですが、神様がそれよりも大切な仕事を私に任せてくださったんだと考えています。韓国で謝罪と和解のために努力するのが、神様から預かった任期のない課題です。

対談:コリアネット ウィ・テックァン記者
まとめ:コリアネット チャン・ヨジョン記者
写真:コリアネット チョン・ハン記者
whan23@korea.kr

吉田牧師やソウル日本人教会についてのより詳しい内容は下記のホームページをご覧ください。
http://kr.j-ch-seoul.link/aboutus