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2017.10.20

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誕生100周年を迎えた作曲家の尹伊桑(1917~1955)=聨合ニュース



[ミン・イェジ、イ・ギョンミ]

作曲家の尹伊桑(ユン・イサン、1917~1995)誕生100周年を記念し、韓国だけでなくドイツでも彼の作品を称える報道が続いている。

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高評された尹伊桑の歌曲「夜よ、開け」公演=ドイツのブリック・アクチャル(Blick aktuell)ホームページ



「第23回メンデルスゾーン週間」をきっかけに3日、ドイツのコブレンツ(Koblenz)では、尹伊桑の歌曲「夜よ、開け」演奏会が開かれた。

ドイツの「ブリック・アクチャル(Blick aktuell)」誌は10日、「聴衆を感動させた夜よ、開け」との記事で、「尹伊桑は、ドイツの詩人ネリー・ザックス(Nelly Sachs)の詩『夜よ、開け(Teile dich Nacht)』に曲を付けた」とし、「(この曲は)今や名作として演奏されている」と評価した。

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尹伊桑誕生100周年を記念し、彼の人生と音楽について報道したドイツの公共ラジオ放送局「ドイチュラントフンク」=ドイチュラントフンクのホームページ



ドイツの公共ラジオ放送局「ドイチュラントフンク(Deutschlandfunk, DFL)」も、尹伊桑の誕生100周年を記念し、彼の人生と音楽について集中報道した。

9月18日、「それぞれの音が尹伊桑の音楽になる」との記事で、「彼の作品は、韓国の伝統音楽と西洋の音が調和して作られた新しい音楽だ」と評価した。

DFLは、「尹伊桑は、いつも韓国という自分のアイデンティティを探そうとした。しかし、彼は韓国の作曲に止まるのはもったいない人物だ」と言ったドイツのフルーティストであるロスヴィータ・シュテーゲ(Roswitha Staege)の評価を引用した。

また、ベルリンの「ベルリン芸術アカデミー(Akademie der Künste)」で、「尹伊桑の今日」とのテーマで討論が行われることに触れたDFLは、「尹伊桑は故国である韓国では名誉を回復するのに割と時間がかかった」と報じた。

DFLはこの記事以外にも、「尹伊桑誕生100周年:韓国の音楽架け橋」、「尹伊桑誕生100周年:南北の作曲家尹伊桑」などの記事を掲載し、彼を追慕した。

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慶尙南道の統営市にある尹伊桑記念公園の記念館=コリアネットDB



慶尙南道の統営(トンヨン)で生まれ、ベルリンで亡くなった彼は、西ベルリン国立音楽大学で作曲を専攻した。

1967年ベルリンでソウルに拉致され、スパイの疑いで終身刑を言い渡されたが、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Strawinsky)や指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)など世界的巨匠らの抗議で解放され、ドイツに戻った。その後、1971年にドイツの国籍を取得した。

彼の音楽分野における功労を認めたドイツ政府は1987年、ドイツ連邦共和国大功労勲章を授賞した。故国を懐かしみ、東洋の音を西洋の音楽と結合した彼の代表曲は、「夜よ、開け」・「蝶々の夢」や韓国語で名づけた「禮樂」・「舞樂」などがある。

km137426@korea.kr