ひと

2023.11.09

韓流がブームだ。K-POPだけでなく料理・ファッション・ビジネスなど多岐にわたって韓国が注目を集めている。これに大きく貢献しているのが各国のコリアン次世代だ。彼らは現地で生まれ育ち、現地の文化に慣れ親しんでいると同時に、韓国のDNAを持っているため、韓国を発信することにも熱心だ。海外文化広報院のKOREA.netと聯合ニュースは、各国で主流社会に入り活躍し、韓国人の地位を高め、ひいては韓国と居住国の間で架け橋の役割をしている人物を取材するシリーズを企画した。


今年8月3日、米シアトルで韓米同盟70周年記念演奏を行うバイオリニストのキム・ユンヒ氏

今年8月3日、米シアトルで韓米同盟70周年記念演奏を行うバイオリニストのキム・ユンヒ氏


[ソウル=KOREA.net イ・ダソム、聯合ニュース カン・ソンチョル]
[写真=キム・ユンヒ提供]

「バイオリンに出会ったのは運命だったんです。音楽とバイオリンは私の情熱であり、愛です」

済州(チェジュ)島生まれのバイオリニストキム・ユンヒ氏は、3歳の時にバイオリンに出会い、天才バイオリニストとして頭角を現わした。翌年は、ウィーン国立音楽大の予備校に「最年少」で入学した。

5歳にはハンガリーのサバリアオーケストラとの協演を皮切りに、ノルウェーのトロンハイム交響楽団(13歳)、スペイン国立放送交響楽団(14歳)、ドイツのシュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団(15歳)と共演し、「最年少協演」の記録を達成した。

19歳に、最年少でウィーン国立音楽大を卒業したキム氏は、「バイオリニストの神童」(CNN)、「世界ミステリー30」(フランスTF1)と、世界各国のメディアから称賛され、注目を浴びている。

オーストリアに本拠地を置き、欧州や米国、韓国などで活発な演奏活動を行っているキム氏は、練習の虫でもある。バイオリンを習い始めてから20代までは、毎日10時間練習していた。30代になった今は、練習時間を7~8時間にし、運動に励んでいる。

先月、全州市立交響楽団との協演のために訪韓したキム氏にインタビューした。一問一答は以下の通り。

—バイオリンを始めたきっかけは。

最初に習った楽器はピアノだった。性格が活発なせいで、ピアノの前に座って鍵盤を弾くのが退屈に感じられた。3歳の時に、母親の知り合いを通じて偶然にバイオリンに出会った。立って演奏するのが格好よく見えただけでなく、バイオリンを習うのが楽しかった。母親は、小さい頃からよくオーケストラ公演に連れて行ってくれたので、その影響も大きいと思う。幼いながらも、バイオリンが聴き心地の良い音を出していたことを今でも覚えている。

―「最年少」というタイトルが逆にプレッシャーになったのではないか。

「最年少」という言葉はあまり重要ではなく、プレッシャーに思ったことはない。もちろん、子どもにとって大きなステージに立つというのは大変なことだ。「最年少」は、ただ私を紹介する言葉に過ぎないだけで、大事なのはきちんと音楽に向き合うことだ。どうすればよい演奏を見せられるんだろうといつも悩んでいる。

―オーケストラとソリストが一緒に演奏するのは、難しくないのか。

初めて協演したのは5歳の時。5歳の子どもがオーケストラと協演するということは簡単ではない。でも、その時、初めて舞台に立つことの楽しさを感じた。舞台に上がるまで、絶え間なく練習して、完成した演奏を観客に披露するまでの過程が大好きだ。練習を通じて、前向きな感情だけでなく、苦しみや困難も経験してからこそ、きちんとした演奏ができると信じている。このすべてを楽しむ姿勢で臨めるのは、私が舞台を愛しているからだと思う。

今年6月17日、韓国の忠北道立交響楽団と協演するキム・ユンヒ氏

今年6月17日、韓国の忠北道立交響楽団と協演するキム・ユンヒ氏


―今まで行った数多くの公演のうち、最も記憶に残っている公演は。

私にとっては、どの公演にもそれなりの意味をあるので、一つを挙げるのは難しい。でも、強いて一つ挙げるとしたら、23歳のときに米ニューヨークにあるカーネギーホールで行ったリサイタルだ。当時は、音楽以外にも、あれこれ気を使うことが多くて大変だった。でも、公演を台無しにするにはいかなかったので、歯を食いしばって頑張り、演奏の準備をした。公演の本番中、ふと、このように演奏できる機会があるということがとても貴重に感じられ、(観客から)強いエネルギーをもらった。演奏が終わって、スタンディングオベーションを受けると、これまでの苦労がすべて報われるような気がした。公演を終えて泣いたのは初めてだった。音楽家にとって様々な感情を経験することがなぜ大切なのか、それが音楽にどれだけ良い影響を与えるのかを教わった。それ以来、もっと成熟した演奏をするようになった。

―30年間、休まず活動を続けているが、疲れたと感じたことはないのか。

音楽は私の人生で最も重要な部分であり、私の目標は良い演奏家として長く活躍することだ。目標を達成するため、毎日集中して練習することにエネルギーを使っている。エネルギーがゼロになったときのリフレッシュ方法は、運動に励むことだ。特に、ダイナミックな運動をすることでリフレッシュできる。

―自分に対する評価で、記憶に残っていることは。

昔は、すべての人が私の音楽を好きになってほしいと思って演奏していたが、今はそうではない。私自身のために音楽をやっているだけで、人のためにやっているわけではない。だから、他人の評価が得られなくても揺るがないよう、努力している。

―韓国文化が世界的な人気を博している。クラシック分野ではどうか。

20年前までは、東洋人がクラシックの国際舞台に立つこと自体が非常に難しいことだった。しかし、今は、韓国出身の演奏家たちの実力は世界を圧倒するほどになっている。特に、韓国の世界的なソプラノ歌手であるスミ・ジョーは、1991年、クラシック最高のフェスティバルとされるザルツブルク音楽祭でデビューした。東洋人がこの音楽祭のメインオペラで主演を務めたのは、スミ・ジョーが唯一無二。このように、(韓国出身の先輩アーティストらが)着実に基盤を固めてきたおかげで、イム・ユンチャンやチョ・ソンジン(最近、大ブレイクしているピアニスト)のような演奏家が増えたのではないかと思う。

―どんな演奏家になりたいのか。

木のような音楽家になりたい。木は時間が経つにつれ、根が深く張り、強くなる植物だ。私も時間が経つにつれ、もっと強くなり、深い味わいがにじみ出るような音楽を奏でる音楽家になりたい。

バイオリニストのキム・ユンヒ氏

バイオリニストのキム・ユンヒ氏


dlektha0319@korea.kr