慶尚北道(キョンサンブクト、以下「慶北」)の中心が大邱(テグ)から安東(アンドン)へ移った。
慶北道庁は22日、50年間も拠点としていた大邱市北区山格洞の庁舎を離れ、安東市豊川面に新たな庁舎を構えた。金寛容(キム・グァニョン)慶北道知事は「慶尚道という名称が制定された1314年からの700年という歴史の大きな節目となった。皆が一丸となって新たな千年を迎える慶北が飛躍できるようにしたい」と語った。

22日、安東市豊川面に移転した慶北新庁舎。瓦の屋根から韓国ならではの情緒が感じられる
慶北の面積は19,029km²と、17の広域市道のうち最も大きい。ソウル605km²の31倍だ。慶北の歴史は、高麗の忠粛(チュンスク)王元年である1314年にまで遡る。当時、慶州と尚州の頭文字を取って「慶尚道」と名付けた。慶尚道は1407年に洛東江(ナクトンガン)を境目に慶尚左道と慶尚右道に分けられて以来、分けたり合わせたりを繰り返した末、1594年に再び合わさり星州牧(ソンジュモク)八居県(パルゴヒョン)に「慶尚監営(キョンサンガミョン)」を置くことになる。1599年に安東に移転した慶尚監営は、1601年に今の大邱へ移った。1910年には「慶尚北道庁舎」に改称し、大邱市中区布政洞(現在の慶尚監営公園)に庁舎を構えた。以後、1966年に大邱市山格洞に庁舎を移し50年間、その地を拠点としていた。
安東新庁舎は昨年4月の完工以来、毎月2万人あまりの人々が訪れる安東の観光名所として定着しつつある。安東の河回村(ハフェマウル)を訪れる観光客らが、韓国伝統の瓦65万枚を使った韓屋式の庁舎にも寄り始めたのがきっかけとなった。
新庁舎の所々には、伝統建造物ならではの美しさが溶け込んでいる。延べ面積143,747㎡の新庁舎は道庁、道議会庁舎、住民福祉館、大公演場など4つの棟からなる。庁舎前の整えられた造園が、新庁舎に品格を与える。庁舎前の広場に入ると、朝鮮時代の建築物の形式である「回廊(フェラン)」が目に留まる。回廊は宮殿や寺院などを囲む通路で、良い気運を閉じ込め、悪い気運を防ぐという意味が込められている。

慶北道庁新庁舎の正門の役割を果たす「慶和門」は、慶北道民の調和を象徴する
建造物の名前にも意味が込められている。正門の役割を果たす横17メートル、高さ8メートルの門は、住民の調和を意味する「慶和門(キョンファムン)」と名付けられた。道庁本館は住民のための安らぎのある行政を目指すという意味を込め「安民館(アンミングァン)」、4階の大講堂は新羅時代の国家の重要な懸案を全会一致で決める和白制度の意味を込め「和白堂(ファベクダン)」と名付けた。庁舎前の広場は、道全体の調和を意味する「テドンマダン」だ。
慶北道庁は地理的に首都圏や忠青(チュンチョン)権と近くなり、国土均衡発展に向けた新しい発展の軸としての役割を果たす。108kmほど離れたところにある政府世宗庁舎とも緯度(北緯36度)が同じだ。首都圏と南部権を繋ぐ「腰」としての役割も果たすものと見られている。このように、全国どこでも2時間以内に楽にアクセスできる交通網を構築する予定だ。

慶北道庁新庁舎の後ろに標高332mの剣舞山が見える

慶北道庁新庁舎の夜景
コリアネット ソン・ジエ記者
写真:慶北道庁
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