社会

2016.05.13

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先生の日を記念して学生が教授の胸にカーネーションをつけている



子曰く、故きを温ねて新しきを知る、以って師と為るべし(子曰、温故而知新、可以為師矣)。

『論語』は、紀元前210世紀頃の古代東アジアで最も有名な師であったであろう孔子の語録を弟子たちが集めたもの。孔子の影響力は、少なくとも彼の影響力に対する解釈は時空を超えて広く伝播され、今日の東アジア社会にもその足跡を残している。

「世界教師デー」は10月5日だが、韓国では毎年5月中旬に「先生の日」を記念している。韓国の先生の日は、1963年に青少年赤十字会の生徒らが病棟にいた先生のお見舞いに行ったことが由来となった。1965年からは「先生の日」が世宗大王の誕生日に移され今の5月15日になった。1973年から1982年までの独裁政権による暗黒時代には廃止となっていたが、1983年に市民社会から声が上がり始めたことで復活した。

毎年5月15日、またはその頃になると全国の先生たちにはカーネーションがプレゼントされる。在学生はもちろん、卒業生らも自分の好きだった先生に尊敬の意味を込め赤いカーネーションを手に先生の元を訪れる。また、毎年5月の中旬から全国の優秀な教師らが教育部から表彰状を受け取る。理想的な教育法や生徒たちに与えた影響、ひいてはより良い社会を作るうえでの貢献が功労として認められるのだ。全国各地の同窓会では母校の先生に感謝の気持ちを伝えるイベントを行ったりもする。好きだった先生の感謝の気持ちを伝えるとともに、幼い頃の思い出に浸り、懐かしい友達に会って楽しい時間を送ったりもする。

世の中何でもそうであるように、「先生の日」にも暗い面が存在する。これは現代の韓国の教育システムの失敗によるものと言えるだろう。米ロサンゼルス・タイムズ紙(Los Angeles Times)は2009年5月13日付の記事で裕福な家柄の生徒たちが往々にして先生に過度な贈り物する問題について報道した。ロサンゼルス・タイムズは「学校当局は自分の子供が学校での熾烈な競争で優位に立つようにと行き過ぎた心配をする保護者が贈る(主に封筒に入った現金)賄賂を防ぐのに苦労している」と伝えた。

このような問題が注目を浴びるのは、今のところはこのような現象がまれだという裏付けかも知れない。これよりも大きな脅威は「先生の日」に対する無関心だ。

韓国のコリア・タイムズ紙(Korea Times)は2012年の5月に「消え去りつつある先生の日の伝統」と題した記事で、ほとんどの大卒者が「先生の日」にとくに何もしないという世論調査の結果を報道した。その理由としては「まだ挨拶にいくほどの『準備』ができていないから」「母校を訪れて恩師に会うには忙しいすぎるから」などがあった。

韓国政府は「『先生の日』は教権尊重と恩師を敬う社会的風土を醸成することで教員の士気を鼓舞し、社会的な地位を向上させるために指定された日」と説明する。このような堅苦しい趣旨を読んでみると、最近の大卒者が何故「先生の日」に関心を持たないのかがわかる気がしないでもない。

しかし、暗い未来だけではない。「先生の日」にも一握りの希望はある。2015年5月15日、グーグルのイラストレーター、オリビア・フイン(Olivia Huynh)はその日のメイン画面についてこう説明した。「先生は私たちのメンターであり、友達であり、触媒剤だ。たった一言で私たちの情熱に火を点け、燃え盛る炎にすることができる。親ではないが先生もまた私たちが秘める可能性を最大限に発揮できるよう指導してくれる。私たちが教わったことが他の誰かに伝わり知恵が受け継がれていくように、先生たちがくれた感動は永遠にあり続ける。だから今日、この世で最も高貴で利他的な使命を持った職業のひとつである先生に韓国全体が感謝の気持ちを伝えよう」

「先生の日」について書かれたもののなかで、これより素晴らしい文章は読んだことがない。 (オリビア・フインの「先生の日」のイラストはこのURLから確認できる。:https://www.google.com/doodles/teachers-day-2015-korea)

だから「先生の日」には、それがフェイスブックでも構わないから、恩師に連絡をしてみるのはどうだろうか。今の自分にとって、幼い子供が成長する過程において、先生ほど意味のある存在は他にはないから。

先生の日を心よりお祝い申し上げます。

コリアネット グレゴリー・イーヴス記者
写真:聯合ニュース
翻訳:チャン・ヨジョン、イ・ジンヒョン
gceaves@korea.kr