慰安婦被害者のカン・ドクギョンが描いた絵の前で記念撮影を行うイ・ナヨン理事長
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[写真=イ・ジへ]
8月14日は、日本軍「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」だ。故キム・ハクスンが日本軍「慰安婦」被害事実を初めて証言した日が1991年の8月14日だった。韓国はこの日を2018年から「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」としている。この日のことを忘れないために、そして被害者の尊厳と名誉を回復するためである。
先月24日、KOREA.netは、イ・ナヨン正義記憶連帯理事長(中央大学教授)にインタビューを行った。日本軍による被害を受けた人々に関する記録を残し、真実を明かそうとするイ・ナヨン正義記憶連帯理事長は、「記憶は記録されなければ消える。連帯せずには力を失う」と強調した。
- 「慰安婦」、「性奴隷」などの表現があるが、どれが正しいのか。
「慰安婦」という表現には、加害者であった男性からの観点が反映されている。強制性、暴力性が消されているのだ。なので、国際連合(UN)では、公式的に「日本軍性奴隷制(military sexual slavery by Japan)」という表現を使っている。だが、被害者の立場からすれば、「性奴隷」という表現を聞くと苦痛を感じることだろう。韓国政府と正義記憶連帯は、「慰安婦」という表現を肯定するわけではないが、実際に日本軍が使っていた「慰安婦」という表現に犯罪の主体である「日本軍」を付けて、「日本軍『慰安婦』被害者」と表記している。
- 韓国をはじめとする8カ国が協力して、「日本軍『慰安婦』被害」に関する資料を、2016年に「ユネスコ世界の記憶遺産」として登録しようとしたが、失敗した。それはなぜなのか。
2016年5月18日、8カ国(韓国・日本・中国・台湾・フィリピン・インドネシア・東ティモール・オランダ)から14の民間団体が、「世界の記憶」に登録するための共同申請を控えて、署名式を行った。集めた資料は史上最大規模で、各国の被害者による証言、史料、活動の記録、写真・映像など、2744件に上った。
しかし、日本の右翼が「日本軍『慰安婦』の声」がユネスコ「世界の記憶」に登録されることに反対した。さらに、当時ユネスコに最も多くの分担金を出していた日本政府も、分担金の支払いを見送る方法でユネスコに圧力をかけた。結局、市民団体は登録の申請ができなかった。一国でも反対すれば、記録物の登録申請ができないように規定が変更された。「日本軍『慰安婦』の声」は、いまだに登録されていない。
「戦争と女性人権博物館」に展示された慰安所の絵。被害者である慰安婦たち、性暴行の加害者である日本軍、並んで順番を待つ日本軍、並んで性病診断を受けるために待つ慰安婦たちの様子が描かれている。
-日本政府の「加藤談話」と「河野談話」が真の謝罪として受け入れられない理由は何か。
韓国での女性運動の拡散、被害者の登場、史料の発見などにより、これ以上の否定は難しいと判断した日本政府は1992年に加藤談話を発表した。加藤談話は、日本軍が関与していたことを初めて公式に認め、強制性を部分的に認めた。しかし、真相の究明や法的賠償責任などの重要な内容が抜けていたので批判を受けざるを得なかった。
1993年の河野談話は、女性を募集する過程で本人の意思に反して強制動員したという点を認め、歴史教育を約束したという点で意味がある。しかし、民間業者に犯罪の責任を転嫁し、不法性も全く認めなかった。何よりも、日本の国会は談話を採択しなかった。さらに大きな問題は、日本政府が河野談話について形骸化する試みを続け、歴史教科書の歪曲まで行ったという点である。
- 2015年に行われた韓日慰安婦合意の問題点は何か。
「適法な合意文であると言えないからだ。国会への報告や公聴会もなく、両国の署名した合意文すらなく、両国の外交部長官の共同記者会見の形で発表された。さらに、両国の外交部ホームページに掲載された記者会見の内容にも一致しない箇所が見られた。
合意の内容も問題である。日本政府は10億円を「賠償金(不法行為による損失を補償する金額)」ではなく「慰労金」と規定し、法的責任を否認した。また、「最終的・不可逆的解決」という表現で以後の問題提起自体を防ごうとした。少女像の撤去まで要求し、謝罪の真正性が疑われた。
何よりも問題なのは、被害者の声を無視したまま行われたという点だ。国連も被害者が中心でなければならないという原則に従っていないため、「政治的合意」であると規定した。私たちは、問題の解決になっていないという立場を持続的に表明し、今も多様な勧告案と報告書を提出している。
「戦争と女性人権博物館」に建てられた日本軍「慰安婦」被害者の銅像
- 日本政府が1995年に創設した「アジア平和国民基金」の問題点は。
日本政府による公式的な賠償ではなく、市民による募金だった。日本政府が「道義的責任」に見せかけて、法的責任から逃れようとしたのではないかと思われた。被害を受けたほとんどの女性が反発し、受領を拒否した。事業は結局、2007年3月に中断された。
- 私たちがするべきことは何か。
韓国政府に公式的に登録された被害者のうち、現在、生きている方は6人だ。その方々が亡くなった後も、記憶を記録し、守っていかなければならない。それが私たちの義務である。正義記憶連帯はデジタルアーカイブ事業を行っている。被害者の証言や歴史的資料をデジタル化し、3カ国語(韓国語、英語、日本語)で提供するデジタルウェブサイトを設けた。
アパートの1階を借りて収蔵庫も作り、ソウル・麻浦(マポ)区には「戦争と女性人権博物館」も運営している。10人以上の市民が博物館のホームページで申し込めば、現場でゼミも行う。日本軍「慰安婦」被害者の意志を受け継いで、全世界で起こった戦時性暴行被害にあった方たちのために基金を運営している。何よりも力になるのは、市民の関心と参加だ。真実を守るためには、記憶と責任、そして行動を忘れてはならない。
jihlee08@korea.kr