A. 反論の余地のない韓国の独島管轄権
大韓民国政府は独島が韓国の管轄にあると確信している。この事実は地理的にも歴史的にも国際法に照らしても議論の余地がない。
B. 地政学的な立場
大韓民国の東の端に位置した独島は鬱陵島(ウルルンド)から南東方向87.4 キロメートルに位置している。世宗実録地理志(1454)の記録には于山島(ウサンド・独島)と武陵島(ムルンド・鬱陵島)はよく晴れた日には互いに肉眼で観察できたと書かれている。鬱陵島の住民は昔から独島が鬱陵島に属すると信じてきた。これは根拠ある事実である。
日本の明治政府(1868-1912)の国家最高機関である太政官は日本の内務省の島根県の領土整理に関する質問に対して1877年「鬱陵島と独島は日本と関係がない」と指示した。
F. 大韓帝国勅令 41号
高宗(コジョン)時代である1900年、大韓帝国は勅令 41号を発表して当時石島(ソクト、現在の独島)を鬱島(ウルド)郡(現鬱陵島)に帰属させた。1906年、鬱陶郡主シム・フンテクは、独島が島根県の調査団によって日本に合併されたという話を聞き、矛盾した画策に対応するために江原道観察使に報告した。
G. 議政府指令 3号
1906年、大韓帝国最高意思決定機関である議政府は指令3号を発表して日本の独島併合に対する不当性を指摘し、この問題に対する再調査を指示した。
H. 国際法に反する日本の侵略
日本の帝国主義の野望により起きた日露戦争中、日本は島根県領40号を通じて独島を併合する。これは明らかな国際法上不法行為であり、どのような場合にも正当化されない。昔から大韓帝国に至るまで韓国が管轄してきた領土を侵略した明白な主権侵害だからである。
I. 第2次大戦後のカイロ宣言
韓国は1910年日本の支配下に入り、殖民地支配は1945年日本の第2次世界大戦の敗戦で終決した。1943年アメリカ・イギリス・中国はカイロ宣言を採択して日本が武力で奪ったすべての領土を返還することを要求する。1945年韓国の独立と共に独島は韓国の領土として返還された。これは1951年サンフランシスコ条約で改めて確認された。独島は韓国独立後、今日に至るまで終始韓国の管轄下にあった。
J. 韓国政府の確固たる立場
韓国政府は独島が終始韓国の領土だったという立場に変わりがない。韓国政府は独島問題を外交的交渉や法的決定の対象として見做さず、独島の韓国支配を否定するどのような主張にも強く対応する。