「いま、会いに行きます」は、2011年12月4月に初オンエアされ、数多くの脱北者のエピソードが紹介され、今年で3年目になる長寿番組だ。毎週日曜日午後11時に放映されるこの番組は、韓国在住の外国人が出演し、2006年に放映されて人気を博したKBS 2「美女たちのおしゃべり」にコンセプトと形式が似ている。「いま、会いに行きます」の出演者は脱北した女性たちで、自分たちの経験談を感動的に伝えている。現在、脱北者のほとんどを占めている女性たちの北朝鮮での生活と脱北の過程に関する話は、視聴者だけでなく、同じ経験をした出演者たちの涙を誘ったり、笑いを誘ったりする。閉鎖的だとばかり認識されてきた北朝鮮でも、韓国ドラマを楽しみ、韓国のチョコパイを好んで食べるという彼女たちの話を通じ、北朝鮮に広がる韓流について考えさせられたりもする。
コリアネットは「いま、会いに行きます」の収録現場を訪れ、出演者の中からユン・アヨンさん、キム・ジノクさん、シン・ウナさんの3人に話を聞いた。
いまだに北朝鮮の実情に関心のない韓国の人々、また漠然とした恐怖(北朝鮮の戦争威嚇、核保有)を抱いている外国人に伝えたいことは。
ユン・アヨン: 恐ろしいのは北朝鮮の独裁体制や政権であって、その地域や国が悪いわけではない。そこで暮らす一般の住民たちは、他国の人と同じような生活をしているし、一つの餅をみんなで分け合って食べる人情あふれる人たちだ。
キム・ジノク: 確かに、北朝鮮の人たちは、外国人に会った経験がないので、むしろ先にプレッシャーを感じると思う。また、平壌や北朝鮮は外部の視線に敏感で、外国人には優しく接するべきだという方針(教育)があるので、おもてなしが良い。だから、北朝鮮の指導層と一般の国民を少し区分して判断してほしい。指導層の度重なる脅迫に悩まされているのは北朝鮮の国民なのだから。
シン・ウナ: 北朝鮮といえば、核を保有し、核で世界を威嚇する世界で最も悪辣な独裁政権と思われているが、目に見えるものがすべてではない。北朝鮮でも子どもたちは学校に通い、赤ちゃんも生まれる。統治者だけに目を向けるのではなく、一般の住民にも目を向けてほしい。
北朝鮮での暮らし
ユン: 咸鏡北道で生まれ、17年間そこで暮らした。中国で出生したという理由で出身成分が低かった父は監視の対象で、それが子どもにも影響を与え、学校を卒業できないまま脱北した。サークル活動への参加や夢を叶えるための活動に制約を受けた。17年間ずっと監視を受けながら暮らしていたが、食糧難がひどくで1998年に家族みんなで脱北することを決めた。
キム: 咸鏡北道清津市の東海に面した地域に住みながら高校に通い、15歳まで北朝鮮で暮らした。幼いときからずっと同じ場所に住んでいたせいか、特別監視を受けていると感じたことはなく、自由に暮らしていた。先生に見つかれば大変なことになったが、恋愛も自由にしていた。脱北直前まで貿易会社の社長をしていた父が、外部の反乱勢力に資金を調達したという名目で処刑される危機に瀕したが、あらゆる手段を駆使した結果、15年の刑に減刑され、病気で拘置所から釈放された。危機を感じた父は中国へ行こうと提案したが、私はドラマを通じて親しみを感じていた韓国に行こうと答え、遠足に行く気分で出発した。でも、豆満江から韓国への道は逆境の連続だった。
シン: 中学2年まで北朝鮮で暮らしたが、幼いころのことはあまりよく覚えていない。
脱北過程
ユン: 中国では食堂で働き、いつも不当な待遇、報酬、逼迫を受け、北朝鮮に強制送還される危機もあったが、2004年7月に韓国に入国した。(母が先に脱北して韓国にいて、自分も脱北を試みたが、人身売買グループによって中国のある家庭に保母として売られ、多くの苦労を重ねたがそこを逃れ、モンゴルを経て韓国に来た)
キム: 父と兄が脱北し、中国や東南アジアなどを経て1年2カ月後に韓国に入国した。一緒に脱北できなかった母とは7年ぶりに再会した。母に会えなかった期間はとても辛かった。父は脱北から1カ月後に偽造した韓国旅券を使って船で韓国への入国を試みたが、意外とあっさり入国することができ、後に北朝鮮から来たと申告して初めて関係当局に引き渡されたという。脱北するときに顔を見ることもできなかった母は、私が中国にいるときに頭満江を渡って来た。
シン: 両親と姉と一緒に北朝鮮を脱出し、一度は強制送還され、韓国に来る前は中国と東南アジアで6年間暮らした。家族みんなで山の中に隠れて暮らしたが、姉が唯一の友だった。身分を明かすことができず、賃金を滞納されたり、泥棒に間違えられたりするなど、中国では苦労の連続だった。東南アジアを経て韓国に来たが、メコン川でワニが口を開けている危険な状況の中で父が船から降り、草木をどけながら川をわたるときは心臓がドキドキだった。
韓国での生活への適応と学生時代
ユン: 社会主義の国では、自分が自ら決定するのではなく国が決定してくれるが、資本主義で自分が主体的に行動するのが難しく、市場経済の中での競争が大変だった。20代前半に韓国に来たが、韓国社会では0歳だった。政府の制度と支援のおかげで安定し、定着することができたが、日雇いや食堂のアルバイトを転々とした後、2008年に将来のためにこのままではいけないと思い、大学への進学を決心した。2009年に西江大学に入学し、韓国の社会や経済など基本的な常識を学んだ。脱北する過程で学んだ中国語を大学で専攻することで、韓国に対する理解を少しずつ深め、韓国社会に適応することができた。
キム: 北朝鮮にいるときから女優になるのが夢だった。脱北する過程で、東南アジアで韓流の力と文化の力を感じ、韓国でいかにその夢を叶えるかを考えた末、韓国の中学校2年に入学し、そこで「適応」という言葉を初めて知った。同級生たちの話についていけないなどとても寂しかったので、高校は高卒認定試験を受けようかと悩んだが、人文系の高校に入学した。その高校の演劇部は芸術高校に負けないぐらい熱心に創作劇の制作に励み、様々なコンクールに出場して賞を受賞し、自分にとっても自信になった。その後、先生が推薦した中央大学演劇映画科に入学した。「星から来たあなた」で一躍大スターになったキム・スヒョンが後輩であり、最近の彼の人気を考えると、思わず笑ってしまう。イケメンの彼を他の後輩によろしくと紹介したこともあり、どこに住んでいるのか聞いたこともある。
シン: 中学校のときに北朝鮮を離れ、韓国で暮らし始めて15年になる。辛かったのは、周りの人たちの態度だ。当時、政府から与えられる補助金だけで4人家族が生活するのは大変だった。韓国の資本主義社会の中では経済的条件が重要だったが、世帯主である父が就活をしなければならないにもかかわらず、脱北者という偏見から3Kの仕事すらさせてもらえず、2年間は経済的にとても厳しかった。脱北者の推薦枠で中央大看護学科に入学したが、幼いときから競争社会の中を生きてきた同期たちに混ざって講義を受けるのはとても大変で、試験が終わった後、駐車場で大泣きしたこともあった。でも、昨年無事に卒業することができた。
将来の希望
ユン: 現在9カ月になる子どもがいるが、子どもがもう少し大きくなったら北朝鮮について本格的に勉強し、大学で専攻した知識を生かして中国語の通訳者になりたい。将来、朝鮮半島が統一されれば、韓国で活躍するチャンスが多くなると思う。
キム: 北朝鮮で暮らしているときから女優になるのが夢だった。当時、周囲にそんな人はいなかったが、脱北して東南アジアでの韓流パワーを感じ、女優への夢が一層強くなった。北朝鮮から来たと...、自分が置かれている現実的な状況から、反対する周囲の人もいるが、私は意地でも必ず成功してやろうと決心し、一生懸命努力している。(彼女は卓球南北単一チームの姿を描いた映画「コリア」(2012)で北朝鮮選手の役を演じた)
シン: 中央大学看護学科を昨年卒業した。テレビ出演の仕事が終わったら、ぜひ本業に就きたい。脱北する過程で数多くの人の支援を受けたので、今後は人のためになる仕事をしたい。「いま、会いに行きます」を見た芸能事務所の関係者から女優としてスカウトしたいという話もあったが、この道は自分の行くべき道ではないと思う。
余談
「今会いに行きます」で大衆の認識が変わったことは。
キム: 韓国の会社に勤めているいとこがいる。彼の会社の同僚たちがこの番組を見ていて、これまで自分は脱北者だと言えなかったが、番組に出演しているのはいとこで、自分も脱北者だと言ったら、誰も驚かず、北朝鮮のどこの出身かと来かれ、番組の力を感じたと話していた。朝鮮半島統一が実現したら、北朝鮮の人々はうまく適応できるでしょうか。
통일이 되면 북한 사람들이 잘 적응할까?
キム: 韓国ドラマをたくさん見るように、北朝鮮の人々は違うことに素早く適応する姿勢ができている。北朝鮮の人々の思考回路は、韓国やその他の国の人々よりも開けていると思う。
南北の恋愛に対する先入観
キム: 北朝鮮から来たというと、北朝鮮では手を握っただけで結婚しなければならないのかと必ず聞かれるが、全くそんなことはない。北朝鮮でも恋愛しながらすることはみなするし、恋愛結婚も珍しくない。もちろんお見合い結婚もある。
南北のストリートフード文化
キム: 北朝鮮から来たというと、北朝鮮では手を握っただけで結婚しなければならないのかと必ず聞かれるが、全くそんなことはない。北朝鮮でも恋愛しながらすることはみなするし、恋愛結婚も珍しくない。もちろんお見合い結婚もある。
南北のストリートフード文化
キム: 北朝鮮にはストリートフードというものはないが、チャンマダン(野外市場)には豆腐飯などがある。トッポッキを初めて見たときはとても驚いた。なぜ(貴重な)餅をコチュジャンに和えて食べるのか。蜂蜜か醤油をつけて食べるべきなのに...。韓国では一般的だが、北朝鮮ではおやつとしてポン菓子を食べるが、トウモロコシと機械を動かすための焚き物を用意しなければならない。
南北の育児文化
ユン: 生後9カ月の子どもの教育を巡って意見が分かれるときがある。韓国社会の構造上、誰でも子どもによくしてあげようとし、他の家庭がさせていることを全部真似しようとするが、母親があまりにも献身的に子どもの世話をしているようだ。私は自分なりの主観があり、これは違うと思ったら、私自身(老後)を先に考える。子どもの独立心を養うことが重要だと思う。それ以外では南北の文化の違いはほとんどないが、困ったのは、子どもが生まれたばかりでは子どもに童謡を歌ってあげないといけないとき、韓国の母親は自分が幼いときに聞いた童謡を自然に歌ってあげるのに、私が幼いときに聞いた北朝鮮の童謡はあまりにも思想的で革命的で、金一成親子を賛美する内容なので、童謡の本を買って勉強したことだ。北朝鮮の童謡を少し紹介するなら、「つぼみよ、早く開けと降り注ぐ暖かい日差し...」。
政府の脱北者支援に対する要望
ユン: 政府の支援によって経済的にとても助かっている。南北間の認識の違いをさらに埋めるために様々なプログラムを作ってほしい。
キム: 様々な脱北者団体を支援せず、実質的な効果を得られる1~2カ所に絞って支援してほしい。ハナ院(脱北者の社会定着を支援するための機関)では韓国の生活に必要な常識以外だけでなく、特定の進路、職業訓練も同時に実施してほしい。