文化

2016.10.11

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深い暗闇が現代の韓国社会に差し掛かっている。こう聞けば北韓で横行するような残虐行為のことを言っていると思うかも知れないが、実は消費主義や産業化に起因するものに近い。

この暗闇は「コリアンドリーム」への信頼が消えたことで訪れる魂のない、虚しさのようなものだ。この暗闇は1940~1950年代に生まれた世代が経験する信頼の喪失、彼らがゼロから掘り起こした富に対する信頼の喪失から来る。この暗闇は自然と木々、公園が不足していることがその原因だ。人は多すぎるのに、緑はあまりにも少ない。この暗闇は狭い空間で暮らしている人々、魂を休ませる場所がない多くの人から生まれる。この社会では学校ですら拠り所を見つけることができず、マイノリティーが意見を述べるチャンスもない。民主主義の政治が羽を伸ばして飛び立てるような物理的な空間も政治的な空間も、ない。1980年5月、独裁政権に立ち向かった光州(クァンジュ)事件のことを考えてみよう。

1970年生まれの韓江は、光州育ちで1980年の光州事件を自ら経験した。2014年に発表した小説『少年が来る』で、作家は当時の傷とそれが癒されるまでの過程をありありと伝えている

1970年生まれの韓江は、光州育ちで1980年の光州事件を自ら経験した。2014年に発表した小説『少年が来る』で、作家は当時の傷とそれが癒されるまでの過程をありありと伝えている




現代の韓国に見えるこの病は主に芸術の形で顕在化する。韓国のインディーズ音楽、アニメーション、ネット漫画、ドラマ、そして何より文学でよく現れている。1960年代前後に生まれ1990年代頃に大人になった韓国の若手作家らは深い憂うつと信頼の喪失といった今の時代の暗闇を表現する代表的な世代である。彼らは最高の作家であると同時に精神分析家でもある。

その「憂うつの文学」のスペクトルの不気味な方向の末端には李起昊(イ・ギホ)の『謝るのはうまい』(2009)がある。より正常に近く明るい方向に行くと金英夏(キム・ヨンハ)の『光の帝国』(2006)、または黃晳暎(ファン・ソギョン)の『パリデギ』(2007)があるだろう。そしてその中間のとこかに韓江(ハン・ガン)の『少年が来る』(2016)が位置する。

最近の英米圏で書かれた韓国文学についての記事はもっぱら韓江の話ばかりだ。韓江の名前は韓国文学を語るあらゆるメディアに登場し、他の韓国作家を圧倒している。それは作家がマン・ブッカー国際賞を受賞したおかげだ。素晴らしい文学作品が韓国語で書かれたというだけの話だが、英文学にしか接したことのない読者たちは韓江が「韓国文学」を代表する作家だと誤解しかねない。

韓江は韓国語で文章を書く。それが彼女を韓国文学を代表する作家にするわけではない。アメリカの小説家ジョナサン・フランゼンが英文学またはアメリカ文学を代表する作家でないのと同様だ。英文学とアメリカ文学に多くの作家が存在しているように、一見適当に名付けられた「韓国文学」も様々な性格をもっている。

「韓国」という唯一神に対する信仰—我々がどう規定しようが、社会・政治・芸術の部門に存在しているのは事実だ—はほぼ北韓社会のそれに近い。これまで多くの政権が「韓国らしいもの」が何かを悩んだ末に宣言することで、その意味は変化してきた。そして鋭い人たちはそれをクッポン(国ポン)と呼ぶ。クッポンとは盲目的な愛国主義者を意味するもので、国にヒロポンを組み合わせた造語。40歳以下の人々には「国家主義」という単語が もはや響かなくなってしまった今の時代に「クッポンでも打たれたんじゃない?」という言葉は、偽りの国家主義がなんとも薄っぺらく、時代遅れであることを皮肉る冗談である。

私たちは2012年、コミックな要素を取り入れたポピュラーミュージックで大ブレイクした歌手のPsyからそれを見たことがある。Psyの『江南スタイル』はオンライン上で世界的な大ヒットを記録した。『江南スタイル』はPsyの6作目のアルバム「Psy6甲 Part1」の3番目に収録された曲で、ユーチューブでは過去最高の26億以上の視聴数を記録、グーグルのユーチューブ開発者らはかつての『恋のマカレナ』ブームに匹敵する『江南スタイル』に対応するためにコーディング作業をやり直さないといけないほどだったという。

我々は当時の現象が今は小説家の韓江で再現されているのを見ている。皆が彼女の成功を利用しようとした。彼らにとって韓江は「韓国のモノ」だった。しかし韓江からすれば、彼女は単に小説を書いているにすぎない。彼女は見て、感じて、書く。韓国以外の広い世界では彼女が韓国人だから、韓国語で小説を書いたからその作品を読んでいるわけではない。ただその作品が良いから読んでいるのだ。

韓江の『少年が来る』は2014年に発刊され、2016年に英語版が出版された。翻訳はマン・ブッカー国際賞を受賞した作家の前作『菜食主義者』を翻訳したデボラ・スミスが担当した

韓江の『少年が来る』は2014年に発刊され、2016年に英語版が出版された。翻訳はマン・ブッカー国際賞を受賞した作家の前作『菜食主義者』を翻訳したデボラ・スミスが担当した



2014年に発表され2016年にデボラ・スミスが英語に翻訳した『少年が来る』で、韓江は独裁政権が大虐殺を起こした1980年の光州事件へと読者を連れていく。同作は悲しみ、精神異常、後悔、悔恨に関する悲痛で恐ろしい長編小説である。作家は社会の苦痛、つまり民主主義を主張した人々が経験した苦痛を余すところなく作品に移した。インドネシア、フィリピン、東欧、南米など比較的民主化が遅かった国の読者ならおそらく北アメリカの読者よりこの小説の内容に共感することができるはずだ。

同作は英語に翻訳された韓江の2作目の小説で、2015年に彼女の最初の英語版小説『菜食主義者』が今年マン・ブッカー国際賞を受賞した際に英語に翻訳・発刊された。『菜食主義者』の翻訳も同じくデボラ・スミスが担当した。

マン・ブッカー国際賞の受賞と2作目の英語版小説の発刊という幸運が重なり、韓江は残りの作家人生の間厚い読者層を確保することができるはずだ。そして死後も記憶に残る作家になるだろう。それだけ韓江の作品は素晴らしい。

韓江は1970年、有名作家の娘として生まれ子供時代を光州で過ごした。そして1980年5月の光州事件を経験した。『少年が来る』は民主主義の代償として払った犠牲を描写するシーンから始まる。民主化運動で犠牲になった人々の棺が並んでいる。それぞれ隣には家族の死を悲しむ人々がいる。

1980年の5月とその後の記憶を交錯して書いた作家は光州事件での大虐殺が作品のタイトルになった幼いボランティア少年から学界、政治犯、10代の青少年に至るまで、社会全般に与えた影響について語る。韓江のスタイルは確かに「ユニーク」なところがある。時間にずれが生じ、1人称・2人称・3人称と絶えず視点が変化する。そこで翻訳者の能力が存分に発揮された。読者たちはこうして時間と視点のジャンプを数回経験するうちにそのパターンを理解することになる。カナダの日刊紙「グローブ・アンド・メール」の批評家パシャ・マーラは以下のように作品を評価した。「…この作品は生々しい表現のため読みにくいとろこもあるが、映画の撮影に使われるブームマイク(映画撮影などでオーディオを収録するために使う、長いアームの付いたマイク)のように技術的な要素(文章の作法)がその鋭さを和らげる」

作家は最終章の「エピローグ:雪がかかったランプ」でそれまでの200ページで展開された事件のしこりが解消されていく過程について説明する。光州事件のとき、作家は10歳の子供だった。この小説は彼女が1980年5月の光州、そして今日の韓国に落とされた暗い影を受け入れるまでの過程を描く。そしてついに癒される。

まとめると、韓江の『少年が来る』は非常に素晴らしい。スカンディナビアのノワールに似ているが、フランツ・カフカやアルベール・カミュのように実存在主義的な要素もあり、ノルディック・ガルシア=マルケスや村上春樹のように不調和な一面も窺える。ただ作家が韓国人だから、あるいは韓国語の作品だから韓江の小説を読むのは止めてほしい。それは決して作品を選ぶ規準になり得ない。韓江の作品はその素晴らしさの故に読むべきだ。

コリアネット グレゴリー・イーヴス記者
写真:韓国文学翻訳院
翻訳:コリアネット ソン・ジエ記者、イム・ユジン
gceaves@korea.kr