昨年3月1日、西大門刑務所で行われたイベントの様子=西大門区庁
[ユン・スンジン]
1919年3月1日は、日本による植民地支配に抵抗して独立宣言書を発表し、民族的な万歳運動が展開された歴史的な日である。
3・1運動は全国へと、また海外へと広がり、韓国の独立への意志を世界に発信し、植民地支配に対する抵抗意識の拡大において重要な役割を果たした。特に、非暴力・平和的に行われた3・1運動は、中国の5・4運動(1919年5月4日、北京の学生たちのデモを契機として起こった中国の民族運動)、インドの非暴力・不服従運動(ガンディーが唱えたもので、イギリスの支配に対して暴力では対抗しない、服従もしないという抵抗運動)など、他国から植民地支配をされている国で行われた平和独立運動に影響を与えた。
大韓民国臨時政府は3・1運動を記念するため、1920年に3月1日を「独立宣言日」と称し、国家記念日に指定した。毎年3月1日になると、政府は記念式典を開き、全国各地では当時の万歳運動を再現するなど、様々な行事が行われる。
3・1運動から105年が過ぎた今、その日の意味を考え、韓国の歴史や文化に関心を持つ外国人に訪問してもらいたい場所を、歴史講師のチェ・テソンさん、西江大学校・史学科教授のチョン・イルヨンさんが紹介する。
1.ソウルのタプコル公園
ソウルのタプコル公園=文化財庁
ソウル・ 鍾路(チョンノ)区にあるタプコル公園は、韓国初の都心内の公園で、3・1運動の発祥の地である。
1919年3月1日、午後2時。たくさんの生徒たちや市民らはタプコル公園に集まり、民族代表らを待っていた。しかし、33人の民族代表は日本の監視を避けるため、タプコル公園ではなく、他の場所で独立宣言書を朗読していた。
公園に民族代表らの姿が現れないあの時、ある青年が八角亭に上り、独立宣言書を読み上げ始めた。これを受け、集まった人々は「大韓独立、万歳!」を叫び出した。3・1運動が始まりを告げた瞬間だった。
チェ講師は「生徒や市民たちが中心となって、タプコル公園で行った独立宣言式は、非常に重要な意味を持つ」とし、「ソウルを皮切りに全国へと、海外へと広がった万歳の叫びがスタートした場所だ」と説明する。
タプコル公園には、3・1運動記念塔や壁画、33人の民族代表の一人で、3・1独立宣言をリードしたソン・ビョンヒ先生の銅像がある。
2.西大門刑務所歴史館
西大門刑務所歴史館=文化財庁
西大門刑務所は、日本による植民地支配の際、日本が大韓帝国への侵略を本格化するために1908年に作った監獄。
1945年、光複(日本からの独立)を迎えるまで、数多くの独立運動家らが収監され、拷問を受けるなど、厳しい苦難を味わわなければならなかった。特に、柳寛順(ユ・グァンスン)は、3・1運動から1周年となる1920年3月1日、8号室に一緒に収監されていた女性らと万歳デモを主導し、独立への意志を示した。しかし、出所を2日後に控えたその年の9月28日に獄死した。
西大門刑務所歴史館は、民族のつらい過去が残っている西大門刑務所の当時のまま復元した独立運動歴史館だ。独立運動家の遺物や受刑記録カードなどが展示されており、当時の獄中生活が体験できるスペースもある。
西大門刑務所歴史館と独立門の一帯では、3月1~2日に様々なイベントが開催される。
3.提岩里3・1運動 殉国遺跡地
3・1運動殉国記念塔=韓国文化院連合会 地域N文化
京畿道・華城(ファソン)市の提岩里は、3・1運動が全国へと広がる時期、日本が最も残酷な方法で住民を殺した、虐殺の現場だ。
1919年4月15日、日本軍はキリスト教と天道教の男性信者20人あまりを提岩里の教会に集めさせた。その後、入り口や窓を全部閉めて、集まった人々を銃剣で殺した後、教会に火をつけた。火の中から飛び出してくる人や逃げる人も殺した。
その教会の跡地には記念塔が建てられ、その周辺は提岩里3・1運動殉国遺跡地として指定された。また、近くには、今は休館中の記念館がある。この記念館は、リノベーション工事などを経て今年4月、「華城市独立運動記念館」として再オープンする予定だ。
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