朝鮮通信使船の様子。江原道産の70~150年経った松で造られた船は、長さ34.5m、幅9.3m、高さ5mに達する=先月26日、釜山、シャルル・オデゥアン
[釜山・ソウル=シャルル・オドゥアン記者]
朝鮮王朝時代に日本に派遣され、両国の交流を象徴する外交使節、「朝鮮通信使」が乗った船の復元船が、先月28日、韓国と日本の国交正常化60周年を記念するために釜山(プサン)から大阪に向かった。
復元船は、2018年に国家遺産庁国立海洋遺産研究所が制作したものだ。大韓・対馬海峡を渡り、来る11日に大阪に到着する。
ユネスコ世界記憶遺産である狩野益信の「朝鮮通信使歓待図」。(上)1655年に江戸城に向かう第6次通信使行列の描写と国書伝達の場面。ソウル歴史博物館で、5月25日まで展示される=ソウル歴史博物館
朝鮮は壬辰倭乱後に、日本との国交を再開し、1607年から1811年まで12回にわたって通信使を派遣した。「よしみ(信)を通じる」という意味が込められた「通信使」の名称は、朝鮮が日本に派遣した使節団にのみに使われた。外交において、最も重要視されたのが信頼だった。
通信使の人数は、総責任者や名筆家などを含み、約300~500人。外交活動はもちろん、日本の各地域で文人と詩文や書画の交換をしたり、活発な学問活動を行った。
韓国と日本は2世紀にわたって行われた「朝鮮通信使に関する記録物」を、2017年にユネスコ世界記憶遺産に共同で登録した。平和に向けた文化交流の象徴といえるだろう。
朝鮮通信使船の様子。江原道産の70~150年経った松で造られた船は、長さ34.5m、幅9.3m、高さ5mに達する=先月26日、釜山、シャルル・オデゥアン
漢陽(ハニャン、ソウル)から出発し、忠州(チュンジュ)、聞慶(ムンギョン)、永川(ヨンチョン)を経て釜山に到着するのがコースだった。日本に向かう前に、使節団の安穏無事を祈るために、海神祭と餞別が行われた。
このような伝統を受け継いでいくために、釜山文化財団は「朝鮮通信使祭り」を10年以上続けているのだ。
今年は先月25日から27日まで、梵魚寺(ポモサ)では安全運航の祈願祭、永嘉台では海神祭、龍湖ビョルビッ公園では朝鮮通信使船出港式などのイベントが行われた。
行列は、釜山港第1埠頭から北港親水(チンス)公園までの区間で再現された。略式の再現は、11月までに東(トン)区・光復(クァンボク)路で5回予定されている。
慶熙宮で、朝鮮が日本に派遣した3人の使臣の任命式が、再現された。当時は昌慶宮で行われていた=4月24日、ソウル鍾路区、釜山文化財団
朝鮮通信使船の航路を再現するなど、韓国と日本の間で文化交流が行われている。
ソウル歴史博物館では、特別展を開き、両国が保存する通信使関連の遺物130点余りを紹介する。期間は、6月29日まで。朝鮮と日本が朝鮮通信使を通じてどのように交流し、友情を育んだのかがわかる。
13日には2025大阪万博の韓国の日に合わせて、大阪ATC埠頭で朝鮮通信使船入港記念式と共に朝鮮通信使の行列が再現される。
交換展示では、国立中央博物館と東京国立博物館の代表的な所蔵品を紹介する。ソウルで今年6~8月、東京で翌年2~4月に開かれる予定だ。
caudouin@korea.kr